特務捜査官レディー(三十)潜入
2021.08.03

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(三十)潜入

 とある喫茶店の指定の席に腰掛けて、囮捜査に掛かる情報を持ってきたという人物を、敬と二人で待っていた。
「ねえ、今更聞くのもなんだけど……、ニュースソースは確かなの?」
「あのなあ……。そういうことはもっと前にちゃんと確認するものじゃないのか? ただでさえ、身の危険をともなうことなのに」
「だって……」
 たしかに敬の言うとおりだった。
 響子さんに酷い目に合わせた、覚醒剤・売春組織の情報が入手できたというので、舞いあがっていたのである。
 よし!
 組織を壊滅してあげるわ。
 ……てな感じで、猪突猛進だった。
 喫茶店のドアが開いて、それらしき二人の人物が入ってきた。
 敬が手を挙げて招き寄せる。
 二人が、わたし達の席に合い席で座った。
 早速敬が紹介をはじめた。
「紹介するよ、今回の捜査に協力してくれる金さんだ。例の勧誘員とはかつての親友だったらしい」
 金というと韓国か中国系の人かしら……。
 金さんは、流暢な日本語で喋りだした。
「彼とは仲が良かったんですが、暴力団の組織に入っだけでなく、売春婦の斡旋なんかはじめて……。友として、女性を辱めるそんなことなんかやめろと何度も言ったんですが……」
 ちょっと中国系のなまりかしら……。
「というわけで、親友をこんな仕事から足を洗わせたいと情報をくれたんだ。その情報を元に、こっちの捜査官が奴に引き合わせる役をやる」
 もう一人の男性が挨拶する。
「どうも、都庁の春田です。よろしく」
「どうも……」
 もう一人は、ちょっとよれよれの背広を着た、一見コロンボ刑事のような感じの男性だった。
 都庁の職員か……。
 都道府県にもそれぞれ売春防止法に関わる部門があるわけだから。
 まあ、いかにも刑事というような目の鋭い人物だとまずいのだろう。
 というわけで、情報をくれたという人物が説明を始めた。
「彼は芸能プロダクションのアイドル勧誘員と称しておりますが、実際には売春婦の斡旋業が本業です。若い女性に声を掛けては、スタジオ撮りと称してマンションに連れ込み、覚醒剤を使って言いなりにさせて売春婦に仕立て上げるのです。
 まずはその場で強姦生撮りAVビデオを撮影して、AV業界に売り渡します。まさしく本人の同意を得ない無理矢理の強姦シーンを生撮りするわけです。泣き喚き抵抗する女性達の本番生撮りですから臨場感抜群ですからね。バージンなんかだったりしたら「強姦! 処女の生贄シリーズ」とかいうタイトルのアダルトビデオは奴らの作品ですよ。バージンなんてのは売春婦には無用の長物ですからね。
 犯された挙句に、言う事を聞かないとこのビデオをばらまくぞと脅されて、泣く泣く売春婦として働かされる場合もあるのです。まあ、結局はAVビデオとして売られてしまうのですがね。それで言いなりにならない場合は、覚醒剤の虜にしてからということになります」
 以前にも内容を聞いたが、ほんとうにひどい話だった。
 本番生撮り強姦シーンを撮られて、素人AV女優デビュー。
 その後は覚醒剤の虜にされ、逃げることも適わずに売春婦とされてしまう。
 そんな女性達が地下組織に捕われて、売春婦として調教され売られていく。
 見逃すわけにはいかない。
 誰かが組織を壊滅しなければ……。
 そうよ。
 このわたし……。
「それじゃあ、打ち合わせをはじめるぞ」
 敬が切り出した。
 その勧誘員に紹介する際の、こまごまとした打ち合わせをはじめるわたし達だった。


 そして二時間後、わたしはその勧誘員に会っていた。
 都庁職員の姪とということで、アイドルになりたいという設定だった。
 芸能プロダクションの友達がいると金さんから聞いて紹介してもらおうとやってきたということになっている。
「金なら知っていますよ。僕の親友ですからね」
 親友だった、の間違いじゃないの?
 にしても、喋り方が丁寧だ。
 まあ、女性を引っ掛けるのが商売だから、言葉使いには気をつけているのだろう。
 都庁職員が、勧誘員に頼んでいる。
「……というわけで、姪っ子をアイドルにしてやってくれないか」
「ほう……」
 じろじろとわたしの身体を嘗め回すように観察する勧誘員。
「何歳ですか?」
「24歳です」
「年食ってますね」
 失礼ね!
 そりゃあ確かに、アイドルとくれば二十歳未満だろうけどさ……。
 それに実年齢も……。
「まあ、いいでしょう。で、いつから来てくれるのでしょう」
 でしょうねえ……。
 こいつの本当の目的は、若い女性を勧誘して覚醒剤の売春婦を探して組織に売り渡すこと。
 そこいらの売春婦程度なら、高校生・大学生でなくても大丈夫だから。
 要はセックスができればそれでいい。
 顔なんか、二の次三の次くらい。
「今からでも結構です」
「そうですか……」
 呟くように言うと、携帯電話を取り出した。
「ちょっと芸能プロダクションに連絡を取ります」
 言いながら、席を外した。
 芸能プロダクション?
 よく言うよ。
 売春組織でしょう?
 外へ出てどこかへ連絡している勧誘員の姿が、大きな店のガラス越しに見えている。
 やがて、
「お待たせしました」
 と戻ってくる。
「それでは早速スタジオに行きたいと思いますがよろしいですか? 芸能プロダクションに紹介するための写真を撮りたいと思いますので」
 早速きたわね。
「はい、大丈夫です」
 わたしは、立ち上がった。

 さあ、囮捜査の開始だ!
 どんなことになるのか……。
 神のみぞしる。


 それから勧誘員の運転する自動車に乗って、そのスタジオへと向かった。
 もちろん捜査員と別れて、わたしと勧誘員の二人だけである。
 わたしを陥れようとしているのに、邪魔なこぶ付きを許すわけがない。
 後部座席に腰掛けているわたしを、ルームミラーでちらちらと眺めながら車を走らせる勧誘員だった。

 その頃、敬は……。
 勧誘員の自動車を着かず離れず、後ろから追いかけていた。
 女性の運転する自動車の助手席に陣取っている敬。
「見失わないで下さいよ」
「大丈夫ですよ。これをご覧下さい」
 という女性の指差すところには、車載ナビゲーターがあった。
 GPSと連動して、自車の位置をリアルタイムで地図上に表示する装置である。
「赤い点滅がこの車で、青い点滅が真樹さんです」
 ナビゲーターに表示された地図に、赤い点滅と青い点滅が明滅していた。
「発信機ですよね。いつの間に取り付けたんですか?」
「取り付けたんじゃない。真樹の身体に装着してあるんだ」
 後ろの座席から、黒沢医師が顔を出して答える。
 黒沢も、真樹のことが心配で囮捜査のバックアップ部隊に参加してきているのであった。
「装着? 以前、真樹が髪飾りがどうのとか言ってましたけど……」
 と敬が尋ねると、
「それは真樹君の体内に埋め込んだ発信機からの信号だよ」
 黒沢医師が答えた。
「発信機を身体の中に埋め込んだんですか!?」
「そう驚くことはないだろう。埋め込んだとは言ってもメスを入れたんじゃんない。女性には男性にはない隠し場所があるだろ?」
「え?」
 一瞬首を傾げる敬だったが、
「あ……。ああ、そういう事ですか。判りました」
 と納得する。
「髪飾りだと外れることがあるし、何かにぶつかって壊れることもあるからな。彼女のために、万が一を考えて妊娠しないようにとIUDを装着してやった。それに発信機がついているのだよ。本人には内緒だがね」
 妊娠しないようにか……。
 その言葉を聞いて、言い知れぬ不快感を覚える敬だった。
 覚醒剤密売の組織の本拠地を探り、売春婦として無理矢理捉えられている女性を解放するために、囮捜査で潜入することを、自ら志願したとはいえ……。
 将来を誓い合った恋人してはやり切れないものがあった。

「にしても……。こんなスーパーカーで出張ってくるなんて。目立ちすぎはしませんかね?」
 敬が運転席の女性に話しかける。
 敬たちが追跡に使っている車は、そんじょそこらにあるような車ではなかった。世界有数の企業グループである篠崎重工が四百周年記念に十台限定生産で発売した、篠崎重工製「erika-markⅡ スーパーエンジェル」という七千万円はするかという代物だった。
 それを所有しているのが、かつて敬が所属していた特殊傭兵部隊を傘下にしていたセキュリティーシステムズco.ltdの統括運営母体、世界最大財閥の真条寺家。その所有のスーパーカーであった。
「仕方がありませんよ。真樹さんの発信機からの電波を受信できるのは、お嬢さまのファンタムⅥと、麗華さまのこの車に搭載したこのナビゲーターしかないんですから」
 と答える運転席の女性は、真条寺家のメイドの神田美智子。
 麗華とは、美智子がお嬢さまと呼んだ真条寺財閥総帥である真条寺梓、その執権代理人こと竜崎麗華のことである。
 警察によって殉職したとして戸籍を抹消されたはずの敬が、パスポートなしで日本に入国できたのは、この竜崎麗華のおかげである。
 自動車が止まった。
「どうやら芸能プロダクションとやらに着いたようです」
 ナビゲーターの点滅が、先ほどから動かなくなっていた。
 どこかの駐車場にでも入ったのだろう。
「どのマンションですか」
「マンションじゃなくて、いわゆる雑居ビルですね。ナビゲーターにビルの全体像を投影してみましょう」
 美智子が捜査すると、ナビゲーターにビルが映し出された。
 ○○金融、ビデオレンタル……、というような看板や窓ガラスの大きな広告が目立つビルで、狭い敷地一杯に建てられていた。しかし、その映像はどう見ても上空から鳥瞰したものであった。
「この映像はどこから撮影しているのですか?」
「衛星軌道上の『azusa5号A』という資源探査気象衛星からです」
「衛星からですか?」
「ええ、5号B機に世代交代して引退したものを、今回の捜査のために利用させてもらっています」
「衛星からの映像を自由に扱えるなんて、さすがに真条寺財閥ですね。いっそのことその財力で覚醒剤密売や売春組織も壊滅してくれれば、世のため人のためになるというものを」
 敬が呟くように言うと、黒沢医師がそれに答える。
「光があれば闇もあるものだ。相反するものではあるが、必要でないようにみえて実は必要という事もある。例えば人間の腸に寄生する、腸内細菌は栄養をかすめとる一見悪者のように見えるが、ビフィズス菌や乳酸菌のように悪玉菌の繁殖を抑えることをやっている善玉菌もいる。また太陽から吹き寄せる太陽風エネルギーは、強烈な放射線を伴っていて人間は数秒とて生きてはいられないが、その太陽風がバリヤーとなってもっと光速で高エネルギーな外宇宙からの宇宙線を遮断している。そういう場合もあるということさ」
「はあ……。難しくて判りません」
 正直に感想を述べる敬だった。
「もっと判りやすくいえばだ。闇の臓器売買組織を考えてみてくれ。裏の誘拐団組織が殺した人間から臓器を摘出し、臓器売買の世界に臓器を流している。確かに極悪非道の世界かも知れないが、その反面臓器移植で助かる人間もいるし、臓器移植の技術や臓器長期保存の技術も革新的に進歩してきている」
「あのう……。確かにそうかも知れませんが、覚醒剤や人身売買で苦しんでいる人の気持ちはどうなるのですか? それでいいんですか? 高次元なレベルじゃなくて、もっと身近なレベルで考えてくださいよ。我々は警察官です。人が苦しんでいる。それを助けるのが任務なのですから」
「あははは……。確かにそうだ。えらい!」
 とぽんと敬の肩を叩いて笑い出す黒沢医師だった。

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特務捜査官レディー(二十九)特務捜査課
2021.08.02

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(二十九)特務捜査課

「響子さんを監禁していた人たちはどう?」
 響子さんの手術が終わった翌日、敬に会って確認してみる。
 今回の響子さん救出作戦は、敬が取り仕切ったのと女性の監禁ということで、警察側が容疑者を取り調べることとなっていた。
 容疑は、覚醒剤所持と女性監禁及び暴行傷害罪である。
「だめだな……。口が堅すぎて、黒幕のことは一切口に出さないぜ」
「それで……、響子さん。覚醒剤を射たれて、その……やられちゃったの?」
「ああ、間違いない。彼女の身体から男の精液が検出された。これで響子さんが死んでしまったら、間違いなく死刑が求刑されるところだ。刑法第220条と221条、第227条、そして第241条だ」
「241条は、響子さんが自ら投身自殺したのだから、違うのじゃない?」
「投身自殺じゃないだろ。逃げ出そうとしての転落事故だ。逃げ出さなければ廃人にされてしまう。監禁され、唯一の逃げ道はそこしかなかった。十分241条の適用範囲だと思うぞ」
「なるほどね。敬にはしては、よく勉強してるじゃない」
「あのなあ……。俺は警察官だぜ。司法警察官の真樹ほどじゃないが、刑法のすべてを把握はしていないが、自分の管轄するところの条文くらいは知ってるさ」
「ふんふん♪ よろしい」
「あのなあ……」
「それで、磯部健児のことは一切だめ?」
「ああ、奴らが磯部健児と関わっているのは間違いないのだが。頑固に口を割らない」
「そうか……。せっかく逮捕したのに」
 これまでにも、健児と関わっていそうな人物を何人も捕まえているのだが、いずれも頑なに口を閉ざしていた。
 何せあの政界にも顔の利く財界のドン、磯部京一郎氏の甥っ子なのだ。その血筋を背景に銀行からの融資も多く、中でも海運業においてはかなりの営業収益を上げている。だがその裏では麻薬覚醒剤の密輸入の総本山と言われている。あまたの暴力団が彼を匿うのも当然といえた。
「いっそのこと、どこかのビルの屋上から奴を狙撃でもするか?」
「それ! いいわね。いつやるの?」
「あほ……。本気にするな」
「なんだ、冗談なの、つまんないわね」
「まあ、何にせよ。奴を直接挙げるのはほとんど不可能だ。周囲から少しずつ囲い込むようにして追い込んでいくしかない」
「健児の周囲の人間から落としていくわけね。局長みたいに」
「そうだ。それに、俺達が公安委員会に申請している、例の件さえ通れば少しは動きやすくなるからな」
「特務捜査課ね」
 警察・麻薬取締部・税関・海上保安庁・各都道府県など、麻薬銃器等の密輸・密売、及び売春や人身売買(密入国)に関わる取り締まり機関はさまざまあるが、縦割り行政のなんたるかという奴で、それぞれ独自に捜査を執り行なって横の連絡は皆無に近い。複数の機関が連携しての検挙の例もあるが、その実績は少ない。
 その弊害を説いて、以前から上層部に上申していた「特務捜査課」の設置があった。前任の生活安全局長に握り潰されてしまった件である。
 今回麻薬取締部と警察との連携によって、覚醒剤取り引きと売春斡旋を行っていた暴力団組織員を逮捕に至ったことで、具体的な話が進展しつつあった。この件に関しては麻薬銃器取締課の課長さんが熱心に動いてくれているそうである。感謝!


 それから数日後だった。
「例の組織の売春婦斡旋勧誘員、つまりスカウトだな。その一人が判ったぞ」
 と敬が情報を仕入れてきた。
「ほんとう?」
「ああ……。しかし、本当にやるつもりか?」
「もちろんよ」
「そうか……」
 情報は与えてくれたが、あまり乗り気を見せない敬。
 当然でしょうね。
 自分の恋人を危険な囮捜査に駆り出すことになるのだから。
 ただ、組織を壊滅させたいという情熱には逆らえないといったところでしょう。
 放っておけばより多くの女性が苦しむことになる。
 彼の正義感が、私情を振り払ってまで行動に出ているのである。
「ごめんね……」
「いいさ。それでな……」

 そのスカウトの手口は、若い女性に言葉巧みに近づき、
『アイドルになってみませんか?』
 誘いに乗ってきた女性をマンションに連れ込む。
 写真撮りするなどして一応それなりにアイドルにさせるような素振りを見せながら、
『緊張しているね、この薬を飲むと落ち着くよ』
 と、覚醒剤を使う。
 やがて覚醒剤の虜となってしまうその女性を、売春婦へと調教していくそうだ。
 覚醒剤の魔力によって抵抗する意識を奪われ、スカウトの言いなりになっていく。
 今時の若い女性のアイドル願望心理を突いたあくどいやり方だ。
「いつもながら、ひどい話ね」
「まあな……。女性を金儲けのための商品としか見ていないからな」

「今回の任務は、売春婦斡旋業として暗躍する組織員に近づいて、奴らの地下組織を明らかにすることだ。そこには覚醒剤を射たれ、その魔力によって売春婦に仕立て上げられようとしている女性達が捉えられている。その女性達を救出する。斉藤真樹」
 わたしの名前が呼ばれる。
「はい!」
「心苦しいところではあるが、囮としてその組織員に近づき、地下組織への潜入をはかる役目をやってもらいたい」
「判りました!」
「その組織員に面識のある人物に依頼して、君がアイドルになりたいと紹介させる手筈になっている。組織員の本当の目的は売春婦斡旋だ。当然のごとくして、君は地下組織へ送られる事になるだろう。うまく成りすまし潜入を果たしてもらいたい」
 課長はたんたんと説明しているが、部下に危険な任務を与えねばならない苦渋の選択を強いられて、顔にこそ出さないが心底苦悩しているに違いない。
「決行の日は明後日である。くれぐれも慎重に行動してくれたまえ」
「はい!」
 自分から志願したこととはいえ、いざ決行となるとやはり緊張する。

 早速、先生のところに連絡しなくちゃ……。


 決行の日。
 黒沢先生の元を訪れるわたしだった。
「そうか、ついにやるのか……」
「はい。それで以前にお願いしました通りに……」
「判っている。覚醒剤を中和する薬を用意しておいた。腕を出してくれ」
「注射ですか?」
「ああ、錠剤なんかだと、肝臓に負担を掛けるからな。筋肉注射にして、徐々に血液に流れ出すようにする」
「プロギノンデポーみたいなものですか?」
 プロギノンデポーとは女性ホルモン製剤の一種で、先生が言ったように筋肉注射である。経口薬の場合、小腸から吸収された栄養素や薬物は、門脈を通って肝臓を通るようになっているが、有毒成分などはここで解毒して体内に通さないようにしている。薬剤やホルモンなども解毒の対象となっていて、小腸から吸収されても肝臓でどんどん処理されるわけである。処理し切れなかった残りが体内へ入っていって効果を発揮するわけね。より効果を高めようとするにはより多くの量を飲まなければならないし、反面肝臓の負担がよりますというわけ。
 そこで注射や点滴などで、肝臓を迂回させて直接血管や筋肉に注入すれば、無駄なく効果を期待できる。それがデポ剤である。とはいえ血液に乗って体内を巡って効果を与えた残りは、結局肝臓に流れ込んできて処理されてしまう。
「そういうことだ」
 早速、袖を捲くって腕を差し出す。
「うん。きれいな白い柔肌だ。覚醒剤はやっていないな」
「当たり前です!」
 ぷんぷん!
 麻薬取締官が覚醒剤やってたらしゃれにならない。
「場合によっては、この腕に消えないあざがいくつも残るようなことにもなりかねないのだぞ」
「わざと言ってませんか? 恐怖を煽って囮捜査を断念させるつもりで」
「ばれたか……」
 もう……。
 しかし、確かにこの腕にあざが残るような事態にもなりうるわけよね。
 でも今更……。
 何があろうとも、絶対に後悔はしないわ。
 捉われた女性達を助けなくちゃ。
 響子さんみたいな哀しい運命をたどるよなことは避けたい。
 だれかが犠牲になってでも……。
「んじゃ、射つよ」
 用意されていたアンプルから、注射器に阻害剤が注入され、そしてわたしの腕に注射された。
「どうだ気分は?」
 脈を測ったり、顔色を窺ったりしながら、わたしの状態を確認している先生。
「うん……今のところは、なんとも……」
「そうか……。なら大丈夫だな」
「ありがとうございました」
 捲くった袖を戻しながらお礼を言う。
「ところで、妊娠阻害剤の方はどうですか?」
「いや、それは薬じゃない方法を取ることにしよう」
「……といいますと?」
「IUDを君の子宮内に装着するのさ」
「避妊リングですね」
「そうだ。長期に作用する避妊薬だとどうしても副作用が避けられないし、脱出できなくって薬の効果が切れてしまったら元も子もない。その点IUDなら装着している限り避妊を継続できるし、生理も自然に到来するから、薬のせいで不妊になってしまったということもない。取り出せばいつでも妊娠が可能になる便利グッズだ。もっとも100%避妊というわけにはいかないし、どちらかというと出産の経験のある女性向きなんだが、今回の任務の特殊性を考えればそれが一番良いと思う」
「入れる時に、痛くないですか?」
「大丈夫だ!」
 ちょっと強い口調で断定する先生だった。
 あ……。
 いらぬことを訊いてしまったという感じ。
「じゃあ……。お願いします」
「判った。診察台に上がりたまえ」
「はい」
 産婦人科用の専用診察台……。
 両足を大きく拡げるようになった脚台のついたアレだ。分娩台と兼用にもなる。
 いつものことであるが……。
 気持ちのいいものではない。

 スカートとショーツを脱いで、下半身裸の状態で診察台に上る。
 先生が取り出したのは、クスコと呼ばれる……。
 ……とこれ以上語るのはよそう。
 自分で自分を陵辱するような言動は控えたい。

 ……。
「よし、装着完了だ」
 手馴れたものだった。
 おそらく裏の組織から頼まれて、数多くの女性に施術しているのであろう。
「取れなくなっちゃうことはないですよね」
「ない。タンポンを使うようなものだ」
「わたし……。タンポン使ったことないんですけど」
「ほんとか? 処女でもないのに?」
「処女が関係あるのですか?」
「言ってみただけだ」
「もう……先生ったら」
「あはは。何にせよ、大丈夫だ。一応言っておくが、IUDを使っていても妊娠することがあることだけは覚えておいてくれ」
「万が一ですが、そんな場合どうなります?」
「IUDを入れたままでも、妊娠の継続は可能だよ。受精卵が一旦子宮に着床してしまうと、IUDの効果が薄れてしまうんだな」
「そうなんだ……」

 それにしても……。
 性転換手術を受けてからというもの、先生と会うといつも妊娠がらみの会話になってしまう。
 もしかして、自分が手術した患者が正常に妊娠し出産するまでは見届けたいという、医師としての責任感からであろうか……。
 ともかくも、敬との将来を考えれば、避けて通れない話題ではあるわね。
 妊娠したら、やはり先生に診てもらうことになるわけだし……。
 自分の現在の状況を考えれば、他の産婦人科病院には通えないだろう。

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響子そして(二十九)裏と表の境界線
2021.08.02

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(二十九)裏と表の境界線

 そのままでは、また組織に命を狙われてしまうと考えた医師は、あたしの顔をその脳死患者そっくりに整形手術もしてくれていて、その患者のパスポートと身分証を使って、アメリカを脱出して日本に帰国しなさい。そういう医師の協力を得て無事に日本に戻ってこれたのです」
 実に長い告白だった。
「じゃあ、今のあなたは、その脳死した患者の身分を騙っているというわけですね」
「はい。ですが、その患者だったご両親にはすべてを話して許して頂きました。そしてあたしを実の娘、斎藤真樹として認めてくださり、一緒に暮らすようになりました。なぜならあたしの身体には、その患者の子宮や卵巣を含む臓器のすべてがあり、その両親と血の繋がる子供を産む事ができるからです」
「そういうわけだったの……」
「あたしが麻薬取締官としてすぐに実務につけたのは、警察官としての経験があったからです」
「敬さんはどうなさったの?」
 女性警察官からある程度のことは聞いていたが、あくまで噂に過ぎない。真樹さんから真実を聞きたかった。
「あたしが撃たれた時、実は一緒にいたんです。『あたしを置いて逃げて。もう助からない』という声を無視してまで、傷ついたあたしを抱きかかえて逃げようとしてくれていました。しかし、追っ手がすぐそこまで迫っていたので、悲痛の思いであたしを置いて逃げました。やがて彼は、追っ手から逃げるために、特殊傭兵部隊に入隊して、腕を磨き時を待ったのです」
 女性警察官の話したこととは内容がちょっと違うが、傭兵になったということは正しかったようだ。
「あたしは彼に何とか連絡を取ろうと考えましたが、傭兵部隊に入った事も知りませんでしたし、連絡手段がありません。そのうちにあたしと彼の死亡報告が日本の警察にされた事を知りました。致し方なく斎藤真樹として日本に帰り、あたしを実の娘として扱ってくれる新しい両親の下で、何不自由のない女子大生として暮らしていました。ところがある日、敬から突然『帰国するからまた一緒に仕事しよう』というエアメールが届いたのです。
 実はあたしを助けてくれた先生が、四方八方手を尽くして敬の居所を突き止めて、あたしが斎藤真樹として生きて日本に帰国したことを伝えてくれたのでした。もちろん、敬を愛していたあたしは再び彼と一緒に仕事をするために、麻薬取締官となるべく勉強をはじめ、見事合格採用されることになったのです。あの生活安全局長を覚醒剤取締法違反で逮捕して、その地位を剥奪・名誉を奪って復讐しようと考えたのです。そのためには一介の警察官では無理です。地方組織ではない国家的機関である麻薬Gメンにしか、それを可能にできないでしょう。そしてあたし達は、ついにそれをやり遂げて彼を逮捕に成功したのです。そして現在に至っています」
 聞けば聞くほど哀しい人生の連続じゃない。まるで、わたし自身の経験にも良く似た悲哀が込められていた。見知らぬ世界へ飛ばされ、恋人の死に直面し、自分自身の存在の抹殺と再生、そして恋人の生還。わたしと秀治が生きて来た人生とどれだけ重なる部分があるだろうか。

 しかしどうも解せないことがある。
 産婦人科医と臓器移植という言葉を聞くと、どうしてもある人物の名前が浮かび上がってくるのだ。

「……さて、そろそろお暇しましょうか。長い間ありがとうございました。また何かありましたら何なりとご連絡下さい。あ、これ。名刺です」
 名刺を受け取り、これまで喉のところまで出かかっていた言葉を発した。
「あの……」
「何か?」
「もし差し支えなければ、執刀医のお名前をお尋ねしてもよろしいでしょうか? せめて日本人かどうかでも……」
 期待はしていなかった。どうやら非合法的に移植が行われたようだし、整形手術を行って身分擬装工作の手助けをしたとなれば、執刀医の名を明かす事は医師生命に関わる場合があるので、秘密にしてくれと口封じされたはずである。
 彼女の口からは意外な答えが返ってきた。
「それ以上のことは詮索しない事が身の為だ。それ以上を知ると再び裏の世界に引き戻されることになる。……わたしの先生の口癖です、お判りになりますか?」
 ああ……その言葉……。間違いない。
「そうでしたか……判りました」
「そういうことです。では、失礼します」
 そうなのだ。真樹さんは、暗に黒沢先生のことを言っている。どうやら黒沢先生は移植の本場アメリカで技術を磨いたのだろうと思った。その時に真樹さんに偶然出会って、命を助けたのだ。そう確信した
 黒沢先生のことは、詮索してはいけない。まして、他人にそれを話してもいけないのだ。時々裏社会のことを話してくれはするが、もちろん他言無用の暗黙の了解の上なのだ。たとえ相手もそれを知っていると確信していてもあえて言わない。問わない。
 裏と表の境界線上に生きる人間の最低限のルールなのだと悟った。

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