響子そして(二十三)遺言状公開
2021.07.27

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(二十三)遺言状公開

「さて、この娘が儂の孫であることは、書類の通りに事実のことだ。その顔を見れば、弘子の娘であると証明してくれる。儂が言いたいのは、相続人として直系卑属はただ一人、この響子だけということだ」」
「それがどうしたというのだ」
「儂は、今この場で生前公開遺言として、この響子に財産のすべてを相続させる」
 椅子を跳ね飛ばして、四弟の健児が興奮して立ち上がった。
「馬鹿な!」
「でも健児、遺留分があるから、すべてを相続させることできないんじゃない?」
「姉さん、知らないのかい? 直系卑属の響子に遺言で全額相続させたら、俺達の遺留分はまったく無くなるんだよ。被相続人の兄弟姉妹には遺留分は認められていないんだ」
「ほんとなの?」
「そうだよ」
 さっきから、何かにつけて意義を唱え続けている、四弟の健児。
 なんか変だ……。
 明らかにわたしを拒絶する態度を示している。わたしが響子として紹介された時からずっとだ。
「まあ、落ち着け健児。先をつづけるぞ。では、儂の生前公開遺言状を発表する。弁護士、よろしく」
「わかりました……」
 三人並んだ中央にいた弁護士が鞄から書類入れを取り出した。
「それでは、公開遺言状を読み上げますが、これは正式には公正証書遺言となるもので、遺言者の口述を公証人が筆記し、証人二人が立ち会って署名押印したものです。
 なお、証書は縦書きになっておりますので、そのように理解してお聞きください。
(右は上、左は下ということです)
 読み上げます。

 平成十六年第一三五号。
 遺言公正証書。
 本職(公証人 以下同じ)は、後記遺言者の属託により、後記証人の立会いをもって、左の遺言の趣旨の口授を筆記し、これを証書に作成する。
一、遺言者は、その所有に関わる左記の不動産及び有価証券を、孫娘磯部響子に相続させる。
 (一)東京都○○○市上寺山一丁目一番二号。
    宅地、十一万二千二百三十平方メートル。
 (二)同敷地内
    家屋番号 十二番。
    鉄骨鉄筋コンクリート三階建居宅一棟。
    床面積 七万千八百七十五平方メートル。
 (三)同屋敷に付帯する設備及び調度品など一切。
 (四)長野県佐久郡軽井沢町軽井沢○○○番一七二一号。
    宅地 四千五十七平方メートル。
 (五)同敷地内
    家屋番号 七番。
    鉄骨鉄筋コンクリート二階建別荘一棟。
    床面積 三千二百十三平方メートル。
 (六)同屋敷に付帯する設備及び調度品など一切。
 (七)千葉県鴨川市上○○○番三号
    宅地 二千五百七平方メートル。
 (八)同敷地内
    家屋番号 二番
    鉄筋コンクリート二階建別荘一棟。
    床面積 二千三百七十平方メートル。
 (九)同屋敷に付帯する設備及び調度品など一切。
 (十)その他、全国に所有するすべてのビル・建築物などの所有権一切。
 (十一)株式会社○○○商事、所有の全株式
    株式会社△△△海運、所有の全株式
    ………………(中略)………………
    株式会社×××製紙、所有の全株式
二、遺言者は、長兄の故一郎の子孫、長姉の依子、次兄の故太郎の子孫、次妹の正子、それぞれに金十億円を相続させ、四弟の健児には金五百万円を相続させる。その資金は銀行預金及び有価証券等を売却してこれに当てること。
三、遺言者は、以上を除く残余の財産はすべて、孫娘磯部響子に相続させる。
四、この遺言の遺言執行者として、
  東京都○○区大和田町三丁目二番地六号。
  行政書士、竹中光太郎を指定する。


  東京都○○市上寺山一丁目一番一号
   無職  遺言者  磯部京一郎
    明治四十一年三月十二日生

 右の者は、本職氏名を知らず面識がないので、法定の印鑑証明書によりその人違いでないことを証明させた。
  東京都品川区西五反田三丁目二番七号
   会社員  証人  渡部登志男
  東京都港区赤坂一丁目二番二号
   銀行員  証人  草薙 道夫

 右遺言者及び証人に読み聞かせたところ、各自筆記の正確なことを承認し、左にそれぞれ署名押印する。
  遺言者  磯部 京一郎 (押印)
  証 人  渡部 登志男 (押印)
  証 人  草薙  道夫 (押印)

 この証書は民法第九六九条第一号ないし第四号の方式により作成し、同条第五号に基づき本職左に証明押印する。
 平成十六年四月一日。東京都○○市上寺山一丁目一番一号所在遺言者居宅居間にて。
  東京都港区赤坂五丁目六番七号
   東京法務局所属
    公証人  歌川 信太郎 (押印)

 以上です」

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特務捜査官レディー(二十三)新情報
2021.07.27

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(二十三)化粧指南

 彼女の元に戻る。
 化粧道具をちゃぶ台の上に広げ鏡を置いて、彼女に化粧の仕方を教える。
「産毛を剃りましょうね」
 女性用剃刀で丁寧に産毛を剃り落としてゆく。これをやらないと化粧品のノリが悪くなる。
「まずは下地クリームからね。化粧の乗りを左右する大切なことだから手を抜いちゃだめなの」
 というようにして、基礎からしっかりと教えながら化粧を施していく。
 他人に化粧して貰うことなどはじめてなのであろう。
 目を見開いてしっかりと、わたしの手の動きを追っている。
「初心者のよくやる失敗はね。クリームを塗りすぎることなのよ。ほんの少しだけつけてね、よーく延ばしていくの」
 ファンデーションやチークやら、ひとつひとつ懇切丁寧に指導してゆく。
 彼女のほうも真剣に聞いていた。
「そしてここからが一番難しいアイメークよ。目は女性の命だし、一番視線が集中するから、手を抜かずにきっちりと、ポイントを押さえていくの」
 アイブロー、アイシャドーやアイラインなど、まばたきをするからせっかくの化粧が落ちたり汚れたりしないように丁寧に行う。なんといってもぼかしのテクニックが出来を左右するといってもいいかもね。
 止めは口紅。リップライナーでしっかりと輪郭をとってから、中身を塗つぶしていく。
 まだまだやらなきゃならない事もあるけど、初めてなんだから取りあえずはこんなものでしょう。
「はい。出来上がりよ」
 と、鏡を彼女の前に差し出す。
 どこから見ても本物の女性と見違えるくらいの完璧な化粧だった。
「これが、あたし?」
 本人もあまりの変身振りに驚いて唖然としていた。
「ね? 素敵な女性になったでしょ。どこから見ても、まさか女装している人には見えないわよ」
「あ、ありがとう……」
 素直にお礼を言われた。
 まあ、これで少しはガードが下がるでしょう。
 取りあえず今日のところはこれくらいにしておきましょう。
 何事も順序が肝心なのよね。
 それなりの取調べ? を終えて、彼女を女性用の留置室に特別に入れてもらうようにしてもらった。何せ化粧をしタイトスカートな女性用スーツを着ているのだ。通路から丸見えの男性用留置室に入れるのは酷である。

 翌日も取り調べ室に彼女と二人で差し向かうわたし。
「女性用の留置場に入れるようにしてくれのはあなたね?」
「だって、男性用の留置場って酷いじゃない」
 最近の留置場における女性に対する扱いはかなり柔軟になってきているようだ。例えば警察庁の留置場で説明すると、男性用の留置場は看守席から良く見えるような位置にあって、室内が通路から鉄格子ごしに丸見えになっており完全にプライバシーがなかった。よく映画で見られるようなずらりと檻が一列に並んでいる監房とほとんど同じである。それに引き換え女性用は通路からまず前室のような部屋があって個室のような雰囲気のある造りになっている。
 また男性が所持品をきびしく制限されているのに対し、女性の方は身だしなみに必要な化粧品やくし・ヘアブラシなどを前室にある洗面所で使うことができる。
 もちろん彼女のために化粧道具を留置所に用意してあげたのもわたしだ。
 替えの新しいランジェリーも差し入れしてあげた。
「それじゃあ、今日もお化粧の練習しましょう。眉の手入れとマスカラをメニューに入れたからね」
 

 さらに数日間。
 彼女を女性として扱い、まずは化粧の勉強から始まる一日の繰り返しだった。
 そんなわたしの献身的な? 扱い方によって頑なだった彼女の心が少しずつ和らいできていた。
 女装をはじめたきっかけや、衣装をどこで買ってるなどといった会話。
 気楽に化粧やファッションなどの女性的な話題で盛り上がっていた。
 そして……。
「いいわ。あなたには随分良くしてもらったから、一番知りたがっている情報を教えてあげる」
 ある日突然、彼女がこう言い出した。
「覚醒剤の入手先は、某警察署の生活安全局の局長よ」
 と、ついに白状したのである。
「麻薬課が押収した覚醒剤を、こっそり横流ししているの。それを運び人が受け取ってわたしが仲買い人となり売人達に売り渡していたのよ」
「ありがとう」
「わたしを女性として扱ってくれたお礼よ。ここを出たらまた男性監房に逆戻りだろうけど、ここにいる間だけでも自分が女性になれた気分を与えてくれたことに感謝するわ」
 彼女の言うとおり、留置場での捜査が終われば、検察官の起訴・不起訴の審議となり、起訴となれば拘置所へ送られる。犯罪容疑者を前提とする拘置所は留置場ほど環境はよくなっていない。
「起訴されても、せめて執行猶予がつくことを祈ってるわ」
「だといいんだけどね」

 こうしてわたしの彼女に対する取調べは終わった。


 その過程で手に入れた飛び切りの情報。
 某警察署生活安全局局長が麻薬課が押収して保管している覚醒剤を横流ししている。

「それは、ほんとうかね?」
 彼女から得た最新情報を課長に伝える。
「警察のキャリア組が麻薬の横流しとは……世も末だな」
「課長……。あまり驚かれていませんね」
「ああ……。実は別のルートからその局長が麻薬の横流しをしている情報を掴んでいたんだ」
「なぜ、逮捕しないんですか?」
「何せ、警察という組織の中で行われていることだろう? その局長が横流しをしているという情報はあっても、確証がまだ得られていないんだ」
「証拠不十分ですか?」
「そういうことだ。手は尽くしているんだが、なかなかねえ。縦割り行政の壁という奴だ」
「そうでしたか……」
 この麻薬取締部でも、あの局長には手をこまねいているということだ。
 今回の覚醒剤取引のことをみてもわかるように二重・三重に防御策を施している。
「では、警察内部に密かに協力者を募るというのはどうでしょうか? 特に麻薬課に所属する警察官をです」
「協力者? かね……」
「はい。実は、心当たりがあるんです」
「大丈夫なんだろうね。問題が起きたりはしないか?」
「問題が起きるのを心配して、行動に移さなければ、その間にも多くの麻薬患者が苦しみ続け、新しい患者を増やしているのですよ」
「それはそうなんだが……」
「課長!」
 私はいつになく高揚していた。
 このまま放って置いては、ひろし君のような第二の事件が置きかねないのである。
「わ、わかった。その警察官? かね。一度内密に合わせてくれないか?」

 ということで、課長に敬を紹介することにした。
「生活安全部麻薬銃器課の沢渡敬です」
 敬礼して課長に挨拶する敬だった。
「君かね。協力者となってくれるというのは」
「はい、そうです」
「協力するということは、君のところの局長が何をしているかを知っているということだね?」
「もちろんです。そのために命をも狙われました」
「ほんとうかね?」
「ええ、ニューヨークへ飛ばされた挙句にです」
 敬は、ニューヨークで起きた事件を説明しだした。もちろんニューヨーク市警署長のことは伏せている。
「……なるほど、日本では、事故にしても殺人にしても、警察官が死ねば必ずニュースになる。それが地球の裏側で殺人が横行するニューヨークなら、単なる殉職として済まされてしまうことが多いし、犯人捜査も全部向こう任せだ。もし、局長が手引きしていたとしても手掛かりは闇に葬りさられるだろうしな」
「まあ、そんなわけで命からがら舞い戻ってきました」
「そこまでされたのに、よく警察官に復職でたものだ」
「局長を引き摺り下ろしたい一身ですよ。もう一度私を手に掛けようとすれば、逆にその首根っこを掴まえてやりますよ。局長も、それが判っているから、すぐには手を出せないでいるわけです。でも水面下では何らかの手を打っていると思います」
「うーむ……。難しいな」
「そこで、ちょいと罠をしかけてやれば引っかかるかも知れません」
「まかり間違えば命を落とすことになりはしないかね?」
「ありうるでしょう。しかし、組織の上層部にいる局長を、その座から引き摺り下ろすには、こちらもそれなりの覚悟が必要でしょう」
「で、具体的にどうするのだ?」
「局長を動かすには、やはり薬でしょう。だよな、真樹」
 と言ってわたしに微笑みかける敬だった。
「ええ」
「おとり捜査か! しかも真樹君を使うのか?」
「そうです。わたしと局長は、たぶん……面識がありませんから」
 黒沢先生の整形手術は完璧なまでに、他人に仕上げてくれた。気づかれることはないだろう。
「しかし、いくらなんでも、それは……」
「課長! 何度も言わせないで下さいよ。局長を放っておいたら」
「わかっている! 君がそこまで言うのなら、まかせるよ。で、どうしたらいいんだ。地方警察官と麻薬取締官との連携捜査となる方法だ」
「それはですね……」
 乗り出すようにして、敬が説明をはじめた。

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特務捜査官レディー(二十二)ピンチはチャンス!
2021.07.26

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(二十二)ピンチはチャンス!

「まさか女性警官がこんなところまで出張ってくるとは思わなかったわ」
 銃口をこちらに向けたまま、話しかける仲買人。
「ハンドバックを床に置いて、滑らすようにこちらに放りなさい」
 こんな危険な現場に来る以上、ハンドバックに拳銃が入っていると考え、取り上げようとするのは当然だろう。
 跪いてそっとハンドバックを床に置き、相手に放り出す。
 真樹から目を逸らさないように、銃を構えたまま、ゆっくりと腰を降ろしながらハンドバックを拾う仲買人。
 あ! ショーツが見えた。
 下着もちゃんと女性の物してるんだ。
 しかしショーツが見えるような仕草してるようじゃ、女装歴もたいしたことないわね。腰を降ろすときもしっかり膝を揃えて、優雅に落ちている物を拾うのよ。さっきわたしがやって見せたようにね。
 ……なんて考えてる余裕はないか。
 ハンドバックを開けて、中身を確認する仲買人。
「へえ、M84FSか……」
 と拳銃が入っているのを確認し、さらには麻薬取締官の身分証を取り出して開いてみる。
「あなた、麻薬取締官だったの? へえ、女性もいたんだ。どうりで、こんな危険な現場に女性警察官が? とは思ったけど。これからは気をつけなくちゃいけないわね」
「どうも」
「しかし顔を見られてしまったからには、ここで死んで貰うしかないわね」
 わたしに向けられた拳銃のトリガーにかかった指に力を込めている。
 その時だった。
「やめてえ!」
 それまで震えて動かなかった売人が飛び出して、仲買い人の腕を押さえたのである。
「は、離しなさい」
「人殺しはやめて!」
「うるさいわね。ならあなたから死んで」
 銃口の矛先が売人の方に向いた。

 チャンス!
 わたしはタイトスカートを捲し上げて(ちょっと恥ずかしいけど……)、ガーターベルトに挟んでいたダブルデリンジャーを取り出して、すかさず仲買人の手を狙って撃ち放った。
 M84FSは見せ球である。それを取り上げれば安心して、隙を見せるだろうという心理を付いたつもりだ。ハンドバックの中に銃などを隠し持つというのは、誰しも考える。
 実は隠し玉として、スカートの下にデリンジャーを用意していたのである。

 ズキューン!

 耳をつんざくような銃声が、化粧室内に反響する。
「きゃあ!」
 悲鳴を上げたのは売人である。自分が撃たれたと思ったようだ。
 デリンジャーから撃たれた銃弾は、見事に仲買人の持っていたM1919を弾き飛ばした。
 わたしのハンドバックも投げ出されて、中身の化粧品とかがそこら中に散らばる。
 間一髪の差でわたしの射撃の方が早かった。
「ちきしょう!」
 銃を弾き飛ばされ形勢逆転となった仲買人は、わたしに体当たりして突き飛ばすと、廊下へ飛び出して行った。不意を突かれてわたしは尻餅をついていた。
「油断した」
 起き上がりハンドバックを拾い上げて、売人に渡しながら、
「散らばったもの拾っておいてね」
 と依頼する。
 呆然としたまま、バックを握り締めて固まっている売人。
 仲買人の手から弾き飛ばしたM84FSを拾い上げて、後を追いかけて廊下へ駆け出す。
 途中、目に入った火災報知を拳銃の銃底でカバーを割って非常ボタンを押す。
 ホテル中を火災報知器のけたたましい非常ベルが鳴り渡る。
 これでホテルの外で待機している同僚達も踏み込むことができるだろう。
 通常は男性が入れないレディースホテルも、火災という非常事態となれば警察官として堂々と入れるわけだ。
 ちなみに麻薬取締官も司法警察官ということを忘れてはいけない。
 仲買人は上へ上へと逃げていく。
 なぜ上に逃げるのか?
 非常の脱出路があるのかも知れない。
 となれば早いとこ捕まえなければならない。
「待ちなさい!」
 と言われて待つ悪人はいない。
 しかし、タイトスカートにハイヒールという姿のせいか走りにくそうである。
 慣れないことはしないことね。
 もちろんわたしは普段から着慣れているから、足捌きもスムーズである。
「もう少しで追いつくわ」
 あ!
 転んだ。
 あはは、慣れないハイヒールなんか履いてるからよ。
 なんて笑ってる場合じゃない。
 すかさず飛び込んで、日頃の逮捕術を見せ付けるいい機会となった。
 立ち上がり殴りかかってくるその腕を絡め取って逆手に捻りあげながら投げ飛ばす。
 もんどりうって倒れた相手に、固め技から後ろ手両手錠を掛ける。
「はい! 一丁挙がり」
 というわけで、ついに仲買人を確保できたのである。
 どかどかと駆け上ってくる、明らかに男性用と思われる靴音が響いている。
 やがて同僚達が息せき切って現れる。
「真樹ちゃん!」
 わたしの姿を見て一目散に駆け寄ってくる。
「大丈夫だったかい?」
「怪我してない? ホテルの従業員が銃声のような音を聞いたらしいから」
 仲買い人のことよりも、わたしのことを心配してるよ。
「はい。しっかりと大丈夫です」
 そしておもむろに仲買い人を見て、
「こいつが、仲買い人か?」
「はい。そうです」
「よし、良くやったぞ。えらい」
 と頭をなでなでされた。


 レディースホテルの覚醒剤取引事件の仲買人の取調べがはじまった。
 留置所において仲買い人と対面するのであるが、逮捕された当時の女装したままで、なおかつ女性言葉を使うので、取締官もやりにくそうだった。そこでわたしが駆り出された。
 他の男性取締官に席を外してもらって二人きりで相対することにした。
 まともに付き合っていても喋ることはないだろうと思う。
 わたしは搦め手から攻めていこうと思った。
「ねえ、女装って楽しい?」
「何よ、急に」
「わたしにもね、女装が好きな人がいてね。よくお喋りするんだけど、女装する人にも何種類かあるそうね。気分転換に単に女装を楽しむ人と、女性の心を持っていて女性になりたいと思っている人、MTFっていうそうね。あなたはどっちかしら?」
「それがどうしたっていうのよ。どっちでもいいでしょ」
「そういう風に女性言葉で話し続けているところみると、あなたは後者ね」
「勝手に思っていればいいわ」
 と、あさっての方を向いてしまう彼女だった。
 うん。
 なかなか難しいわね。
 どんな話題を持ってくれば、乗ってくるかしら。
 とにかく話にならなければどうにもならない。
 その横顔を見ながら、その化粧の仕方の下手くそさを思う。
 女装している人にとって、何が一番難しいかというとやはり化粧であろう。
 できれば綺麗になりたいと思っているだろうし、かと言ってなかなか上手くできないものである。このわたしだって化粧をはじめたた頃は、母につきっきりで、実際に化粧品を使って教えてもらったものだが、そうそう思うとおりにならなかった。
 初心の頃に有りがちなのは、クリームとかを塗りすぎて、ついつい厚塗りしてしまって、仮面のようになってしまうことである。厚化粧になって何かするとひび割れを起こしたりする。
 この彼女も、そんな初心者のようであった。
「ところで化粧って難しいでしょう?」
「下手くそっていいたいのでしょう」
「そうね。女性のわたしからみると、確かに下手ね。はっきり言うわ」
「ふん。どうでもいいでしょ」
「ねえ。教えてあげましょうか?」
「な……」
「お化粧ってね。雑誌とか読んでの自分勝手流じゃ、なかなか上手にならないのよね。プロなり美容師さんにちゃっと、化粧道具を使って習わないとね。まあ、わたしだってプロじゃないけど、それなりに勉強しているから教えてあげられるわよ」
「そんなことして、どうなるってんのよ」
「綺麗になりたくないの?」
 彼女が一番気にしているところから、じわじわと攻め立てるわたし。
 化粧が下手だと言われそうとうの劣等感に陥っているはずだ。そこへ化粧の仕方を教えてあげると言われれば、多少なりとも心を動かされるはずだ。
「そんな化粧じゃ、注目されて女装者だとばれちゃうわよ。上手に化粧すると、誰がみても女性としか見えない自然なお顔になれるものよ」
「そうは言っても……」
 彼女の気持ちがだいぶぐらついてきたようだ。
 もう一押しよ。
「ね、ね。教えてあげるわ。ちょっと待ってね。今、化粧道具を持ってくるから」
 彼女を残して、一旦取調室を退室する。
 そとで待機していた同僚が話しかけてくる。
「真樹ちゃん。どう? 上手く言ってる?」
「うーん。今はじまったばかりという感じです。ちょっと化粧道具を取ってきます」
「化粧道具? 化粧直しするの?」
「まあ、まかせてください。中へは入らないでくださいね。せっかくの手筈が狂って
しまいますから」
「あ、ああ。真樹ちゃんがそういうなら……」
 それから女性用留置室へ行って、女性被留置者のために用意してある化粧道具を借りてくる。化粧道具を意外と持っていない被留置者も多く、接見室での接見・差入の際に化粧できるように用意してある。
 留置場における社会復帰のための矯正の一環であり、出入り業者から化粧水程度の化粧品は購入できる。

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