特務捜査官レディー(二十八)蘇生手術
2021.08.01

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(二十八)蘇生手術

 五分後に黒沢産婦人科病院に到着する。
 さすがに赤信号を通過できる救急車である。
「あ、そこの道を入ってください。救急はそちらなんです」
 病院の手前の裏道に入るように指示する。
 表玄関ではなく、裏に回るのを首を傾げている救急隊員。
 説明している場合ではないので黙っておく。
「その地下通路に入って下さい」
 下りのスロープに入っていく救急車。
 裏玄関の前に、先生と看護婦達が待ち構えていた。
 早速、響子さんを担架から病院側が用意したキャリアに移す。
「第一オペルームへ運ぶんだ」
 救急隊員と共に第一オペルームへ響子さんを運び込む。
 第一オペルーム……。
 以前に見せてもらったことがある。
 そこはとんでもなく最新鋭設備の整った手術室だった。
 あらゆる状態の患者をも診ることのできるすべての器械が揃っている。
 炭酸ガスレーザーなどの各種のレーザー・電気メス。
 脳神経外科用に使用する、最小2ミクロンサイズの手術を可能にするナリシゲ製極微小油圧マニュピレーター(遠隔微動装置/特注)などは特筆ものであろう。
 第一というくらいだから、手術室は他にも四つある。もちろん闇の世界が関与している場所は、絶対閉鎖空間となっていて、先生と組織員しか入れないのは言うまでもない。
 救急隊員もこれほど充実した救急施設を見たことがないらしく、目を丸くしていたが、
「それでは責務ですので……」
 ともかくも救急出動に関する報告書に記載するべき事項の確認を取っていた。
 司法警察官として立会いの確認書に署名するわたし。
「それでは、私たちはこれで失礼させていただきます」
 きょろきょろと辺りを見回しながら帰っていった。
 よほど珍しかったのだろう。
「さてと……。真樹にも手伝ってもらおうか」
「はい。喜んで!」

 手術がはじまった。
 しかしあれからだいぶ時間が経っている。
 響子さんは全身蒼白、生きているかも怪しい状態であった。
「どうですか? 先生」
「大丈夫だ。まだ生きているぞ」
「え? ほんとうですか」
「見ろ、わずかだが脳波が出ているぞ」
「ほんとうだ。波が出てる。良かったあ……。死なれたら、磯部さんに申し訳がたちません」
 先生は、心臓が動いているかよりも、脳波の状態を重視していた。
 心臓は止まっても、人工心肺装置があるし、心臓移植や人工心臓埋め込みという手段で、延命を施すことができる。何せここは、闇の臓器売買の拠点病院なのだ。いくらでも臓器は手に入る。しかし、脳波が止まってしまえばどうしようもないからだ。
「まだ、安心するのは早い。波が出ているというだけじゃ。どうしようもならん」
「先生なら、きっと助けて頂けると思って、運んできたんですから。この、あたしだって生き返らせてくれたじゃないですか」
「真樹の場合は、たまたま運が良かっただけだよ」
「お願いしますよ。何でもしますから」
「じゃあ、今夜どうだ?」
「こんな時に、冗談はよしてください」
「判っているよ。そんなことしたら、真樹の旦那の敬に、風穴を開けられるよ。しかし……素っ裸で、飛び降りるとは……、おや?」
「どうなさったんですか?」
「この娘……。性転換手術してるじゃないか」
「あ、ああ。言い忘れていました。その通りです。さすが先生、良く判りましたね」
「わたしは、その道のプロだよ。人造形成術による膣と外陰部だな」
「わたしと、どっちが出来がいいですか?」
「もちろん真樹の方に決まっているだろう。第一、移植と人工形成じゃ、比べ物にならん」
「そうですよね。どうせなら、その娘も本物を移植してあげたらどうですか?」
「免疫の合う献体がでなきゃどうにもならんだろ」
「でも、何とかしてあげたいです。あたしと敬がもっと早くに『あいつ』を検挙していれば、母親がああならなかったし、この娘がこうなることもなかったんです」
「それは麻薬取締官としての自責の念かね」
「この娘には幸せになってもらいたいです」
「そうだな……。それはわたしも同感だ」
「せめて……」
「いかん! 心臓の鼓動が弱ってきた。少し喋り過ぎた。治療に専念するよ」
「あたしも手伝います」
「薬剤士の免許じゃ、本当は手伝わせるわけにはいかないんだが、ここは正規の病院じゃない。いいだろう、手伝ってくれ。麻酔係りなら何とかできるだろう」

「脈拍低下、血圧も低下しています」
「強心剤だ! G-ストロファンチン。酒石酸水素ノルエピネフリン注射」
「だめです。覚醒剤が体内に残っています。強心剤が効きません! 昇圧剤も効果なし」
「なんてことだ!」
「心臓停止寸前です。持ちません」
「胸部切開して、直接心臓マッサージするしかないが……」
「覚醒剤で麻酔は利かないですよ。ショック死します。とにかく、覚醒剤が効いている間は、一切の薬剤はだめなんですから」
「わかっている!」

「人工心肺装置に血液交換器を繋いで、血液交換する。とにかく体内から覚醒剤を早く抜くんだ」
「血液交換って……。彼女、bo因子の特殊な血液なんですよ。全血の交換となると、B型でもO型でも、そのどちらを使っても、抗原抗体反応が起きる可能性がありますよ」
「O型でいい。一か八かに掛ける!」
「先生。ほんとうに大丈夫ですか?」
「やるしかないだろう! ちきしょう。生き返ってくれ!」


 先生とわたしの懸命の治療の結果、響子さんは何とか一命を取り留めた。
 彼女のように、現在の人生に絶望して身を投げた者の命を救うのは、生きようという執念がないだけに、それを助けるのは甚だ困難を伴う。
 その点わたしの場合は、敬との約束を守るために、生きることに執念を抱き続けていたから、奇跡的に助かったのだ。
 幸いにも先生の蘇生技術は、ブラックジャック(手塚治虫作)も真っ青の腕前を持っている。
 何せ裏の世界における闇病院には、毎日のように遺体や植物人間、或いは抗争事件で負傷した暴力団幹部らが運び込まれて、臓器摘出やら人体実験と延命治療、そして救急治療が行われているのだ。いかなる人体実験や治療をやろうとも、それが失敗し死亡しても、誰もどこからも苦情や告訴請求などは一切発生しない。好き勝手に思う通りの手術ができるから、自然に技術もどんどん上達するというわけである。医学倫理に縛られた表の世界ではありえない、闇の世界だからこそできる医療技術だ。

 黒沢先生から、響子さんに移植できる臓器が見つかったと連絡があったのは、彼女の蘇生に成功して危機を脱した三日後のことだった。
 もちろん臓器とは、真の女性に生まれ変わらせるための女性器官のことである。
 子宮から膣、卵巣や卵管、そして外性器に至る女性として必要たるすべての臓器。
 かつてわたし自身が移植されたように、響子さんにその移植手術を執行するという連絡が入ったのである。
 急ぎ黒沢病院へ急行する。
「見つかったって本当ですか?」
「もちろんだ。完全に適合した、しかも良好の臓器だ」
 闇の病院には、臓器摘出を依頼する臓器密売組織からの遺体や植物状態の人間が運び込まれる。その摘出される臓器で移植希望のない、本来なら廃棄処分される女性器は、先生が自由に再利用しても良いことになっているらしい。その女性器を、先生の道楽? として、男性から女性に生まれ変わらせる性転換手術に利用しているわけである。
 響子さんは、MTFとしてSRS(性再判定手術)を施術していた。しかしそれはあくまで外見上の女性でしかなかった。男性との性行為は可能ではあるが、子孫を生み出すことのない生殖とは無関係のまがいものの性である。
 わたしは、かねてより響子さんに真の女性になってもらいたいと思っていたので、黒沢先生に女性器の移植手術を依頼していた。臓器移植がもたらした新しい人生については、先生から性転換手術を受けたわたし自身が一番良く知っている。はじめて生理がおとずれた時、本当の女性になったんだという感激は、言葉に尽くせないほどのものだった。
 そしてついに、響子さんに適合した臓器(女性器)が手に入ったという連絡。

「移植が成功したら、晴れて本物の女性としての新しい生活がはじまるのですね」
「成功したらって、私の腕を信用していないのか?」
「い、いえ……すみません」
 先生にだってプライドがある。
 100%成功させる自信がなければ、手術などしない。
 素直に頭を下げて謝る。
「まあ、いいさ。君の言うとおりに、新しい生活が待っているのは確かだ」
「でも、また組織に捕らえられるということはありませんか?」
 これまでに彼女を取り巻いてきた運命の性を考えるとき、心配せずにはおれない問題だった。
「大丈夫だと思う。今後は、私のところで責任を持って預かることにする」
「まさか……二号さんにして自分のとこで囲うとか?」
「おい!」
「うふふ。冗談ですよ。そう言えば、奥さんと若くして死に別れたと、おっしゃってましたけど、再婚なさらないのですか?」
「再婚か……。あまりに綺麗で、完璧に近い女性だったからな。その気にさせてくれる女性が現れないうちにこんな年になってしまったよ」
「何をおっしゃいますか。まだまだ十分子供だってお作りになれるお年じゃありませんか」
「この年になって子作りか?」
「まだ若いということですよ。七十歳で子供を作った男性の例もあるじゃないですか」
「ほう……。随分、子作りに固執しているが、まさか……。できたんじゃないだろうな?」
「え?」
 からかっているつもりでもなかったが、今度はこちらが逆襲されたって感じだ。
「ち、違いますよ。あの事件が解決するまでは、子供は作らないって……。な、何を言わせるんですかあ」
 つい……、口がすべってしまった。
 そうなのだ。
 磯部健児を逮捕するまでは、子供は作らない、結婚しないと、敬と誓い合っていたのである。
 だから……。
 いや、こんな話はよそう。
 わたしのことはこの際どうでもいい。
 問題は響子さんの方である。
 話題を変えてしまおう。
「手術は、いつ始められるのですか?」
「麻酔担当の医師が到着次第だ」
 蘇生手術にはわたしが立ち会ったが、あれは緊急性があったからだ。
 麻酔科医に連絡が取れなかったので、仕方なしにわたしが代理で担当したのだった。
 やがて麻酔科医が到着して手術がはじまった。

 磯部響子。
 彼女が生まれ変わる手術。
 これまでの哀しい運命から解き放ち、覚醒剤によって血にまみれた身体にメスを入れ、新しい命を吹き込む手術となるはずだ。
 人工的に造られた膣や外陰部を除去し、そこへ脳死状態の女性から摘出した子宮や膣などのすべての臓器を移植する。
 男性を受けて入れて妊娠し、出産そして授乳……。
 一人の女性として生きるために必要なすべてのものを与える手術。
 真の性転換手術だった。

 そして十八時間にも及ぶ長い手術の末に彼女は生まれ変わった。
 子供を産み育てることのできる真の女性として……。

 今度こそ、幸せな人生を歩めることを期待したい。
 心からそう祈るのであった。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
響子そして(二十七)安息日
2021.07.31

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(二十七)安息日

「もう、銃声が聞こえてびっくりしたわよ。部屋を出ようとしたら、扉の前にメイドさんに扮した女性警察官が二人立ちふさがっていて、出してくれなかったのよ」
 部屋に戻ると、里美が憤慨していた。
「しようがないわよ。わたしだって、これだもの」
 と包帯を巻かれた腕を見せた。
「痛くない?」
 里美は人差し指で、包帯を軽くちょんちょんと触っている。
「少し痛むけど、大丈夫よ」
「申し訳ありませんでした。里美さんには、命に関わる危険なところに行かせるわけにはいかなかったのです。もし眠れないとか不安とかありましたら申してください。精神安定剤とか睡眠薬を用意してあります」
 今夜の付き添いとなった女性警察官が言った。
「だったら。生理痛に効く薬ありませんか? ショックで始まったみたいで……」
「あら大変……ありますよ」
 と言いながらコップに水と一緒に薬をくれた。
「しかし、明日は調書がありますけど、大丈夫ですか?」
「ええ。たぶん大丈夫よ」
「明日の調書は、先程の巡査部長が伺うと思いますので、訳を話して手短かにしてもらえるようにしましょう」
「でも、今夜徹夜で容疑者の尋問するんじゃありません? 寝ずにですか?」
「巡査部長は事件となれば六十四時間くらい平気で起きていますよ。その後、二十四時間寝ちゃうんですけどね。寝だめができるそうです」
「変わってますね」
「そうなんですよ。彼女、あれでも恋人がちゃんといてね。他人が羨むくらい仲がいいの」
「へえ、恋人がいるんだ?」
「弁護士に扮してた警察官がいたでしょう?」
「いたいた」
「この捜査の現場責任者の巡査部長なんですけど、その人と密かに婚約しているみたい。彼、何でも銃器と麻薬捜査の研修として、ニューヨーク市警に出向してたらしいけど、逆に組織からマークされて命を狙われたみたい。それで生きるために狙撃される立場から狙撃する立場、特殊傭兵部隊に入隊したらしいの。それで傭兵の契約期間を終えて日本に帰ってきたらしい」
「すごい経歴なんですね」
「そうなのよ。だから彼の狙撃の腕はプロフェッショナルだそうよ。一キロ先からでも朝飯前という噂があるわ」
「そんな彼と、真樹さんがどうして恋人同士になれたの?」
「何でも彼女が二十歳の記念に、アメリカ一周旅行している時に知り合ったとかいう話しよ。それ以上のことは話してくれないの。ま、誰にも秘密はあるだろうから聞かないけど」
「じゃあ、真樹さんの銃の腕前も彼に教わったからかな」
「たぶんそうだと思いますよ」

「そんなスナイパーの彼と、純真可憐な真樹さんが恋人同士と、署内で変な噂されてませんか? 署内で変な目で見られたり、風紀が乱れるとか問題になったりしない?」
「とんでもないわ。彼女の正式な身分は、国家公務員の司法警察員の麻薬Gメンじゃない。地方公務員の警察官がとやかく言えるような雰囲気じゃないのよね。それでいてまだ二十三歳の若さでしょう? 憧れの的にはなっても、誹謗中傷されるような存在じゃないのよね。わたし達女性警察官全員で彼女を見守ってあげてる。それに彼の方も、みんな避けているし、なんせ一撃必中の腕前なんだから、怒らせたら大変。一キロ先からでも眉間にズドンだからね。証拠を残さずに抹殺されちゃうよ」
「ふーん……」
「あ、ごめんなさい。つい長話しちゃった……。そろそろ、お休みになって下さい。わたしは隣の部屋にいますから、何かありましたらいつでも申し付けてください」
 この部屋には常駐するルームメイド用の控え室があってベッドもある。女性警官はそこに泊まることになっている。

 翌朝。
 小鳥のさえずりと共に目が覚めた。
 部屋の外のバルコニーに来訪する野鳥達だ。子供の頃と変わらぬいつもの朝の風景。
「おはようございます。お嬢さま」
「ん……。おはよう」
 あれ? 女性警察官じゃない……。
 昨日とは違うメイドが三名。わたしが目を覚ましたのを期に、仕事をはじめた。
 どうやら、今朝から本来のメイド達に戻ったようだ。各個室にはルームメイド二名と個人専属のメイド合わせて三名が必ずいることになっている。カーテンを開け放つ者、花瓶の花の手入れをはじめる者、そしてわたし付きのメイドはベッドサイドに立って指示を待っている。やはり見知った顔はいない。八年も経てば入れ代わって当然だろう。
「今、何時かしら」
「七時半でございます」
「そう……朝食は?」
「八時半からでございます。旦那さまがご一緒に食堂でとご希望でございます」
「一緒でいいわ。シャワー使えるかしら」
「はい。しばらくお待ち下さい。今、ご用意します」
 メイドはバスルームへ入って行った。何するでもない、蛇口を開いてお湯が出るのを待つだけだ。ボイラー室から、ここまではかなりの距離の配管を通ってくるから、蛇口を捻っても最初に出るのは水、すぐにはお湯が出ないのだ。冬場なら暖房用に常時配管をお湯が流れているから、すぐに出るのだが。なお、メイド用の控え室やバスルームがあるのは、ここと祖父の居室、及びそれぞれに隣接する貴賓室の四部屋だけである。後は共用のバスを利用することになっている。
 里美はまだ眠っている。
 ベッドと枕が変わっているから、なかなか寝付けなかったようだ。もう少し寝かせておいてあげよう。
「お嬢さま、シャワーが使えます。どうぞ」
 ネグリジェを脱いで、メイドに渡してバスルームに入る。
 熱いシャワーを浴びる。うーん……朝の目覚めにはこれに限るね。
 頭もすっきりして外へ出ると、すかさずメイド達が身体を拭ってくれた。バスローブに着替えてベッドを見ると、里美が惚けた表情で起き上がっていた。里美は目覚めが悪いので、起きてもしばらくはボーッとしていることが多いのだ。メイドが動きまわり窓を開けて風が入ってきたりして、目が覚めてしまったようだ。
「ほれ、ほれ、里美。あなたたもシャワーを浴びなさい。すっきりするわよ」
「ふえい……」
 はーい、と答えたつもりの間の抜けた声を出す、里美の背中を押すようにして、バスルームに放り込む。
「あー。すっきりした。お姉さん、おはよう。食事はまだ?」
 出てくるなり、早速食事の催促だ。実に変わり身が早い。
 あのね……。
「おはよう、里美。食堂で八時半からよ」
「今何時だっけ?」
「八時と少々です」
「よっしゃー。行こう、今いこ、すぐいこ」
「バスローブのままで行く気? ここはわたし達のマンションじゃないのよ」
「あ、いけなーい。着るものは?」
「お母さんが着てたのがあるから、それ着なさい。わたしが着れるんだから、里美も着れるでしょ。ベッド横のクローゼットに入っているから、どれでも好きなの着ていいわ」
「はーい」
 そう言うとクローゼットを開けて、早速衣装選びをはじめた。
 わたしと里美は、サイズが同じなので、良く服を交換しあっていた。というよりも最初の頃、里美は衣装を全然持っていなかったので、わたしの服を借りて着ていたというのが正しい。その後里美自身の衣装が増えていっても、わたしが買った衣装をしょっちゅう借りていた。
「ほんとにどれ着てもいいの? 高そうな服ばかりじゃない」
「気にしないで、服はしまっておくものじゃなくて、着るものなんだから」
「んじゃ、遠慮なく」

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
特務捜査官レディー(二十七)投身自殺
2021.07.31

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(二十七)投身自殺

 それから数日後。
 わたしは黒沢先生の元を訪れていた。
 囮捜査のこととかをすべて話してみた。
「何か便利な薬とかありませんか? 妊娠阻害剤とかもありましたよね」
 先生が、某製薬会社の社長ということで、そういった性に関わる薬剤を手に入れられるのではないかと思ったからだ。
「おいおい。言ってることの意味を、良く理解して依頼してるんだろうな?」
「もちろんです。売春組織と関わるのですからね。万が一に備えたいのです」
「妊娠阻害剤はあるが、それを必要とするときは組織に囚われた結果としての性行為もあるだろう。その状態で犯された後から薬を飲むことは不可能だと思うぞ。ピルを毎日飲んでいれば妊娠はしないが、これも囚われた状態では飲用は無理だ。ピルの飲用をやめれば即座に妊娠可能となる」
「事前妊娠阻害剤はないのですか? 飲んだら一週間くらいは妊娠しないというの」
「捕らえられて一週間以内で脱出できるか、救出されるかということか?」
「やはり一週間でしょう。証拠を掴むも掴まないにしてもね」
「ふむ……」
 じっとわたしの顔を見つめる先生だった。
 どれくらい意思が固いとかを推し量っているように思えた。
「まあ、いいだろう。捜査に協力しようじゃないか。産婦人科医として、女性の苦しみを放っておくわけにはいかないからな。売春が原因で望まぬ妊娠をした女性の中絶手術をすることだけは願い下げだからな。覚醒剤にも効果がある催眠阻害剤と即効性麻酔針仕込み髪飾りを進呈しよう」
「ありがとうございます。髪飾りは何となく判りますが、催眠阻害剤とは?」
「麻酔剤がどうして効くか知っているか? 薬剤師の君なら当然知っているはずだが」

 もちろん知らないでどうする。
 生物には体内エンドルフィンという麻酔作用を及ぼす物質を分泌する能力を持っている。指などを切るとしばらくは痛みを感じるが、やがて傷が治っていないにも関わらず痛みが無くなるかやわらぐはずだ。これは痛みの刺激に対してそれをやわらげようとして、身体の防衛システムがこのエンドルフィンを分泌するからである。痛みを感じる組織にはこのエンドルフィンに感応する受容体(レセプター)があって、受容体がエンドルフィンを受け入れると痛みを感じなくなるというわけである。また中国古来の針麻酔という術法も、針の刺激によって体内エンドルフィンを分泌させて麻酔作用を引き起こしているわけである。
 受容体とは、細胞膜上あるいは細胞内に存在し、ホルモンや抗原・光など外から細胞に作用する因子と反応して、細胞機能に変化を生じさせる物質。ホルモン受容体・抗原受容体・光受容体などをいう。アレルギー反応も同様のシステムで起きるものである。
 これはもちろん女性ホルモンを呑んだ男性の乳房が発達することを考えればよく判ることだ。男性にも女性ホルモン受容体があるからこそ、女性ホルモンで乳房が発達するのである。
 さて本題の人工的な麻酔剤だ。
 麻酔作用を期待するには、何も体内エンドルフィンと同じ成分そのものでなくても良い。要は、この痛みを感じる組織中にある受容体が感応し、期待する作用を及ぼす成分であればいいのだ。科学的に論ずるならば、化学成分式に表されるところの、ある特定の塩基配列を持つということになるのだが……。
 細胞に作用する因子と、これに感応する受容体という関係から、本来体内に存在しない体外から入ってきた物質に対しても、一様に効果を発することを利用するもの。
 それが麻酔などの薬剤なのである。
 麻薬や覚醒剤が人体に及ぼす作用も、同様にして説明できる。
 では、阻害剤とは?
 麻酔や覚醒剤が効果を発するのは、それに感応する受容体があるからである。ならばその受容体を別の無害で長時間作用するもので先に埋めてしまえば、麻酔も覚醒剤も効果を発揮することなく、そのうちに体外に排泄されてしまう。アル中の人に麻酔が聞かないのも一種これのせいである。

 簡単に説明すると、受容体を別の無害な物質で、先に埋めてしまえ!である。

「……ということです」
 ぱちぱちぱち。
 と拍手しながら答える先生。
「正解だよ。さすがは薬剤師」
「からかわないでください。つまり、事前に阻害剤を投与していれば、覚醒剤を射たれても効果を発揮しないということですよね」
「そうだ。しかし、覚醒剤が効いているという演技が必要になってくるかも知れないがね。しかも任務を考えれば、身体を汚されることも容認しなければならないのは、君が妊娠阻害剤を求めるとおりに避けて通れないことだ。それでも君は、渦中に飛び込もうというのだね」
「はい。敬も理解してくれました」
「そうか……。彼も納得の上でというなら、これ以上何もいうこともないだろう」
「ご無理を言って申し訳ありません」
「任務決行の日がきたら事前にここに寄りたまえ、最善の薬を用意しておこう」
「ありがとうございます」


 朗報が持ち込まれた。
「響子の居場所が判ったぞ」
「ほんとう?」
「ああ。新庄町の富士マンションに閉じ込められている」
「早速、助けにいきましょう」
「当然だ、すぐに行くぞ。暴力団対策課と麻薬課の連中を張り込ませている」
「まだ、踏み込んでいないの?」
「捜査令状がまだ届いていないんだ。届き次第踏み込む」
「ああ、そんなことしているうちに……」
「しかし、法は法だ。警察官が法を破ったりはできん」
 とにもかくにも、麻薬取締部の同僚と共にそのマンションへ急行することにする。
「課長! いいですよね?」
「無論だ!」

 すでに日付が変わっていた。
 富士マンションの響子さんが囚われていると思われる部屋が見える隠れた場所で、車の中に潜むようにして張り込んでいるわたし達だった。
 その部屋のカーテンは締め切られていて、明かりは点いてはいない。
 今回の強制捜査に携わるのは、警察から麻薬銃器課の三人と暴力団対策課の四人、麻薬取締部からわたしを含めて四人、そして一般の制服警官が三十二人(主に交通課)である。
 そして取り仕切るのは麻薬銃器課巡査部長の敬である。
 三つの課を取りまとめ、合同捜査チームを結成させた彼である。
 生活安全局の副局長を説き伏せてしまう、その素早い行動力と説得力はさすがだ。
 さすがにわたしが惚れるだけのことはある。
 だが、肝心の捜査令状がまだ届いていなかった。
 令状がなければ、たとえ囚われていると判っていても踏み込むことはできない。
 しかも響子さんが人質状態では踏み込みのも簡単ではない。
 相手は暴力団だ。拳銃くらい所持しているはずである。
 決行は慎重かつ迅速に行われなければならない。
 やがて一人の捜査員が令状を持って現れた。
「令状が届きました!」
「よし! 踏み込むぞ。ただし監禁されている女性がいる。行動は迅速に、発言は慎重にだ」
「了解!」
 敬がてきぱきと強制捜査の手筈を組み立てていた。
 家宅捜査令状を持って部屋に入る班(麻薬取締官が担当)、逃走路を封鎖する班、交通規制を行う班、銃撃戦になった時の住民の避難誘導班などである。
「真樹は、響子さんを保護する担当だ」
 響子さんは一応女性である。(少なくとも外見上は……)
 女性であるわたしに保護担当が回ってくるのは当然である。
「巡査部長、あれを!」
 捜査員の一人がマンションの部屋を指差して叫んだ。
 あ!
 誰かが窓から身を乗り出している!
 しかも裸の女性だ。
「響子さんの部屋だ!」
 まさか!
 次の瞬間だった。
 ふわりと身を投げ出したその身体が宙に舞った。
 まっさかさまに落下してゆく。

 きゃあー!

 わたしは思わず悲鳴を上げてしまった。
 捜査員が駆け出してゆく。

 ドシン!

 鈍い大きな音があたり一面に響き渡った。
 バンの天井にめり込むように身体が沈み込んでいた。
 そうなのだ。
 丁度真下の路上にバンが違法駐車していたのだ。
「救急車を呼べ!」
 誰かが叫ぶ。
 責任者である敬が動く。
「ここはまかせて、麻薬取締官は部屋の方に急行してください。身投げを知って逃げ出されます」
「判った!」
 麻薬取締官達はマンションへと突入していく。
 捜査員はたくさんいるのだ。
 全員がその女性に関わってはいられない。
「交通課はただちに交通規制だ。一帯を通行止めにしろ!」
「了解!」
 交通課の警察官が無線連絡によって、道路封鎖のために配置に付いていた要員に指示を出す。
 付近一帯を通行止めにして現場に車両を進入させないためである。


 捜査員がバンの天井によじ登っている。
「生きているぞ! まだ息がある」
 すぐさま報告が帰ってくる。
「担架を持って来い! 脊髄を損傷しているかも知れない。担架に乗せて、ゆっくり慎重に車から降ろすんだ」
 担架が運び出されてバンの天井に上げられ、その場で脊髄に負担を掛けないように慎重に担架に移された。
「ようし、担架を水平に保ったまま、ゆっくり降ろせ!」
 わたしは呆然と見つめていた。
 身投げという事態に足がすくんでいたのである。
「真樹! こっちへ来い」
 敬が、わたしを呼ぶが動けない。
「真樹。聞こえないのか! おまえが見なくてどうする?」
 車から降ろされた裸の女性。
 ここには女性はわたししかいない。銃撃戦が想定される捜査に女性警察官は使えない。
 当然、彼女の介抱などはわたしの役回りとなる。
 敬の声に我を取り戻して、その女性のところに駆け寄る。
「ごめんなさい!」
 すぐさま身体に毛布を掛けて体温の維持を図る。もちろん裸を他人に見られないためでもある。
「響子さん?」
 その姿を見たことのないわたしは、敬に確認する。
「間違いない、響子だ……」
 この娘が響子さん……。
 血の気の引いた青ざめた顔。
 哀しい運命の性に振り回され続けている……。
「敬、これを見て」
 白い腕に残された痛々しいほどの注射跡。
「覚醒剤を射たれているな……」
「ええ……」
 最悪の状態に陥っていた。
 覚醒剤の魔性に操られ、それから解き放そうと自ら命を絶とうとしたのだろう。
「可哀想な娘……」
 涙が頬を伝わって流れてくる。
 どうしようもなく哀しくて仕方がなかった。

 銃撃戦に備えて付近で待機していた救急車がやってきた。
「真樹は、彼女についていけ! 後のことは俺に任せろ」
「判ったわ!」
 担架に乗せられた彼女と共に救急車に乗り込む。
 サイレンを鳴らして、救急車が発進する。
「センターどうぞ。飛び降り自殺の女性を収容。……脊椎損傷の可能性有り。行き先を指示願います」
 運転席の方から、東京消防庁災害救急情報センター(119番)に連絡を取っている声が聞こえてくる。
「待ってください。わたしの知り合いの病院があります。そちらへ搬送してください」
「救急指定病院ですか?」
「いいえ。違いますが、腕は確かです」
 彼女は、性転換している女性だ。
 一般の救急病院に搬送するのは後々問題が起きるに決まっている。
 生死の渕を彷徨っていたわたしを、奇跡的に助けてくれたあの先生のところしかない。
「黒沢産婦人科病院です」
「産婦人科? 場違いではありませんか?」
「彼女は特別な女性なんです。そこしか治療はできないんです。責任はわたしが取ります」
「判りました。では、場所を教えてください」
 住所を教える。
「センターどうぞ……。患者の収容先は、同乗した人物の指定先に決定しました。はい、ですから……」
 センターに行き先決定の連絡を入れている声。
 救急車は、一路黒沢産婦人科病院へと進路変更した。
 わたしは早速黒沢先生に連絡する。
 救急車内での携帯電話は禁物であるが、そうも言っていられない。
「斉藤真樹です。急患お願いします。飛び降り自殺で、脊椎損傷の可能性があります。さらに覚醒剤中毒の症状も見受けられます……」
 彼女の容態を詳しく説明していく。
『判った。至急に用意する。連れて来たまえ。裏の場所だ、判っているな?』
 連絡は取れた。
 後は一刻も早く病院へ到着するのを祈るだけである。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v


ファンタジー・SF小説ランキング


小説・詩ランキング



11

- CafeLog -