美奈の日記 27

 家に帰り着く。  明かりの点いていない家。  学校から帰れば、台所から夕食の支度をする音と、空腹の身に沁みる香りが漂ってきて いた。 「お帰り、美奈。ちょっと手伝って」  やさしい声が出迎える。  ママがいつも居て温かい雰囲気の漂う生活空間がそこにはあった。  しかし今は返ってくる言葉もなく、空虚なまでに寒々としていた。  ママのいないことが、こんなにも寂しく感じたことはなかった。  背中を押されるようにして居間に入る。 「食事にしましょうね。食欲はないだろうけど、無理してでも食べたほうがいいわよ。T Vでも見ていてね」  と、静香さんは台所へ向かった。  でも、こんな状態だから、とてもTVを見る気分にはなれない。  ただじっと居間のソファーに腰を降ろしてぼんやりと床を見つめていた。  静かな空間に、掛け時計の秒針を刻む音さえもが耳障りなほどに響いている。  ボクの周りの空間が凍りついていた。  静香さんの作った料理を食べ、お風呂に入って、そしてベッドに入る。  まるで機械のように無表情に、日常の繰り返し。  普通の女の子なら一晩中泣き崩れて枕元を濡らすこともあるのかも知れない。  しかし、ボクは泣かなかった。  涙の一滴も……。  泣けなかったのかもしれない。  突然の母親の事故による脳死を告げられて、臓器移植の手続き開始、それは自分へも行 われるという。  眠れぬ夜が明けた。  それが毎日の習慣であるゆえに、無意識に学校の制服を着込んでから階下へと降りてい く。 「おはよう、美奈ちゃん」  努めて明るく振舞っているのだろう静香さんの表情にはありありと寝不足の兆候が見ら れていた。  たぶんボクのことを心配していたのだろう。  夜中にこっそりとボクの部屋の前で聞き耳を立てたりして様子を伺っていたかもしれな い。  ダイニングキッチンの食卓の上に、並べられる朝食。 「学校に連絡して、しばらくお休みすると伝えておいたわ。とても学校で勉強できる環境 じゃないでしょう?」  そうかもしれない。  それから数日。  ボクは外へ出かけることもなく、自室に閉じこもったままぼんやりと過ごしていた。  遠くで電話の呼び出し音が鳴っている。  やがて階段を昇ってくる足音。  そして扉が開いて上気した表情で静香さんが入ってきた。 「美奈ちゃん! 手術の日が決まったわ!!」  臓器移植の決行日だとすぐに判った。  ママの死亡を意味することも理解できた。 「とにかく病院へ行くわよ。すぐに着替えるのよ」  言われるままに着替えようと立ち上がるが、激しい目まいが襲いかかってきた。  一種の拒絶反応からくるものだった。  ママの死に直結する臓器移植手術に抵抗感があったのだろう。  ふらついた身体を静香さんが支えてくれた。  そして黙って着替えを手伝ってくれた。
     
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