特務捜査官レディー (響子そして/サイドストーリー)
(五十)覚醒剤阻害薬  決行の日。  黒沢先生の元を訪れるわたしだった。 「そうか、ついにやるのか……」 「はい。それで以前にお願いしました通りに……」 「判っている。覚醒剤を中和する薬を用意しておいた。腕を出してくれ」 「注射ですか?」 「ああ、錠剤なんかだと、肝臓に負担を掛けるからな。筋肉注射にして、徐々に血液に 流れ出すようにする」 「プロギノンデポーみたいなものですか?」  プロギノンデポーとは女性ホルモン製剤の一種で、先生が言ったように筋肉注射であ る。経口薬の場合、小腸から吸収された栄養素や薬物は、門脈を通って肝臓を通るよう になっているが、有毒成分などはここで解毒して体内に通さないようにしている。薬剤 やホルモンなども解毒の対象となっていて、小腸から吸収されても肝臓でどんどん処理 されるわけである。処理し切れなかった残りが体内へ入っていって効果を発揮するわけ ね。より効果を高めようとするにはより多くの量を飲まなければならないし、反面肝臓 の負担がよりますというわけ。  そこで注射や点滴などで、肝臓を迂回させて直接血管や筋肉に注入すれば、無駄なく 効果を期待できる。それがデポ剤である。とはいえ血液に乗って体内を巡って効果を与 えた残りは、結局肝臓に流れ込んできて処理されてしまう。 「そういうことだ」  早速、袖を捲くって腕を差し出す。 「うん。きれいな白い柔肌だ。覚醒剤はやっていないな」 「当たり前です!」  ぷんぷん!  麻薬取締官が覚醒剤やってたらしゃれにならない。 「場合によっては、この腕に消えないあざがいくつも残るようなことにもなりかねない のだぞ」 「わざと言ってませんか? 恐怖を煽って囮捜査を断念させるつもりで」 「ばれたか……」  もう……。  しかし、確かにこの腕にあざが残るような事態にもなりうるわけよね。  でも今更……。  何があろうとも、絶対に後悔はしないわ。  捉われた女性達を助けなくちゃ。  響子さんみたいな哀しい運命をたどるよなことは避けたい。  だれかが犠牲になってでも……。 「んじゃ、射つよ」  用意されていたアンプルから、注射器に阻害剤が注入され、そしてわたしの腕に注射 された。 「どうだ気分は?」  脈を測ったり、顔色を窺ったりしながら、わたしの状態を確認している先生。 「うん……今のところは、なんとも……」 「そうか……。なら大丈夫だな」 「ありがとうございました」  捲くった袖を戻しながらお礼を言う。 「ところで、妊娠阻害剤の方はどうですか?」 「いや、それは薬じゃない方法を取ることにしよう」 「……といいますと?」 「IUDを君の子宮内に装着するのさ」 「避妊リングですね」 「そうだ。長期に作用する避妊薬だとどうしても副作用が避けられないし、脱出できな くって薬の効果が切れてしまったら元も子もない。その点IUDなら装着している限り 避妊を継続できるし、生理も自然に到来するから、薬のせいで不妊になってしまったと いうこともない。取り出せばいつでも妊娠が可能になる便利グッズだ。もっとも100 %避妊というわけにはいかないし、どちらかというと出産の経験のある女性向きなんだ が、今回の任務の特殊性を考えればそれが一番良いと思う」 「入れる時に、痛くないですか?」 「大丈夫だ!」  ちょっと強い口調で断定する先生だった。  あ……。  いらぬことを訊いてしまったという感じ。 「じゃあ……。お願いします」 「判った。診察台に上がりたまえ」 「はい」  産婦人科用の専用診察台……。  両足を大きく拡げるようになった脚台のついたアレだ。分娩台と兼用にもなる。  いつものことであるが……。  気持ちのいいものではない。  スカートとショーツを脱いで、下半身裸の状態で診察台に上る。  先生が取り出したのは、クスコと呼ばれる……。  ……とこれ以上語るのはよそう。  自分で自分を陵辱するような言動は控えたい。  ……。 「よし、装着完了だ」  手馴れたものだった。  おそらく裏の組織から頼まれて、数多くの女性に施術しているのであろう。 「取れなくなっちゃうことはないですよね」 「ない。タンポンを使うようなものだ」 「わたし……。タンポン使ったことないんですけど」 「ほんとか? 処女でもないのに?」 「処女が関係あるのですか?」 「言ってみただけだ」 「もう……先生ったら」 「あはは。何にせよ、大丈夫だ。一応言っておくが、IUDを使っていても妊娠するこ とがあることだけは覚えておいてくれ」 「万が一ですが、そんな場合どうなります?」 「IUDを入れたままでも、妊娠の継続は可能だよ。受精卵が一旦子宮に着床してしま うと、IUDの効果が薄れてしまうんだな」 「そうなんだ……」  それにしても……。  性転換手術を受けてからというもの、先生と会うといつも妊娠がらみの会話になって しまう。  もしかして、自分が手術した患者が正常に妊娠し出産するまでは見届けたいという、 医師としての責任感からであろうか……。  ともかくも、敬との将来を考えれば、避けて通れない話題ではあるわね。  妊娠したら、やはり先生に診てもらうことになるわけだし……。  自分の現在の状況を考えれば、他の産婦人科病院には通えないだろう。
     
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