純愛・郁よ
(九)誘拐?
ある日。
郁が予告もなく突然に戻ってきた。
しかも生まれたばかりの赤ちゃんを抱いてである。
「お、おい。その赤ちゃん、どうしたんだよ」
「うちの家の近くの神社に捨てられていたの。『この娘、茜をお願いします』ってい
うカードが入ってた」
「まさか、そのまま連れて帰ったのか?」
「うん。気がついたら、この娘を抱いて電車に乗ってた。家に戻ると警察に通報する
と思ったから」
「それじゃあ、人さらいになるじゃないか」
「だって、だって。この娘、捨てられてたのよ。放っておいたら死んじゃうと思った
から」
「やっぱり警察には届けた方がいいよ」
「いやだよ。そんなことしたら、取り上げられて孤児院にいれられちゃうもの」
「しかしなあ……」
「いや!」
こういう一言のもとに拒絶してきたら、もう何を言っても無駄だ。
「じゃあ、別れるしかないな」
別れるという言葉は、郁を言いなりにさせる最後の切り札だ。もっとも頻繁に使っ
ては効果が薄れるから、ここぞという時にしか使わない。
今がその時だ。
「武司……ほんきで言ってるの?」
「嬰児誘拐で捕まったらいやだからな」
「生涯一緒に暮らそうって言ったじゃない」
「犯罪となれば、話しは別だ。判るだろ。その娘を警察に引き渡せば、今まで通りだ」
「そんなの、可哀想だよ……」
別れるとなれば働いて生活費を稼ぐ必要がでてくる。
しかしこれまで一度も働いたこともなく、ずっと専業主婦をやってたから、これか
ら働き口を探すのは並み大抵じゃない。赤子を育てるには金がかかる。ミルク代から
はじまって産着・おむつ代、どんどん成長していくから、すぐに着るものがなくなっ
てしまう。
郁は、俺から別れて一人で、茜を抱えて生活することは不可能だ。
茜を抱き上げて隣室に逃げ込み、すすり泣きをはじめた。
「ごめんね、ごめんね」
と小さな声で謝っていた。
どうやら、警察に通報するつもりになったらしい。
しかし……。
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