妻に変身した男の話(7)

 それから一週間が過ぎ、一ヶ月、さらに多くの月日が過ぎ去っていた。  何事もなく平穏無事な日々が続いていた。  会社勤めも順調であり、仕事をそつなくこなしていた。  同じアパートの住人の一人である中年女性とも仲良くなり、作り過ぎたとかで煮物や漬 物とかをすそ分けしてくれる。  すべてがうまい具合に回っていた。  ある日のこと。  外出から戻ると、部屋の前に見知った人物が立っていた。 「おふくろ!」  危うく声に出しそうになった。  かつての夫であった自分の母親であった。  美智子から見れば、自分は嫁であり相手は姑ということになる。 「おかあさん、どうしたんですか?」  声のトーンを落として美智子としての受け答えをする。 「いえね……。治夫との連絡が取れなくなってね、あなたなら何か知っているんじゃない かと思ってね」  実は美智子として生きるようになって、夫である自分の存在を疎ましく思うようになっ ていた。  そこで、夫である過去の自分との関係を絶つために、夫とは別居中となっており、離婚 するつもりだという意思表示を実家に伝えていた。  いわゆる嫁からの離縁状を送りつけてやったのである。 「知るわけないじゃありませんか。彼とは別れたんですから」 「別れたといっても、まだ籍は入っているんだろ?」 「ええ、彼とは会えないので、離婚手続きができなくて、こっちも困っているんです」  作り話に決まっている。  夫であったかつての自分と、妻である今の自分。  共に自分であるから、離婚届を出すのはいつでも可能だったのである。  いつでもできると思っていたから、つい後回しになっていた。  離婚していないから、戸籍を調べれば今のこのアパートの所在もおのずと判る。  電話番号までは判らないから、わざわざ訪ねてきたのであろう。 「そうかい……。そうだよね」  時折、部屋の中をのぞき見するようにしながら、 「でもね。治夫がいないから、生活が苦しくてね」  遠まわしに言ってはいるが、明らかなる金銭の無心と判る。  一緒に暮らしていた頃からの腐れ縁というところか。  離婚していないから、一応の扶養義務があるだろう。  金がないなら働けよ。  と言いたかったが、ぐっと堪えて言葉を飲み込んだ。 「ハローワークで探してはいるんだが、この年では見つからなくてねえ」  とか言い逃れをしていたが、本気で働き口を探している風には見えなかった。  資産家の嫁がいるということで、就職するつもりはないようである。  卑屈になって揉み手をすれば、財布の紐を解いてくれると考えている。  早く追い返したかった。  実の母親なのである。  下手をすれば息子であることを見抜かれてしまうかも知れない。 「判りました。お金を差し上げましょう」  ハンドバックから財布を取り出して、つい先ほど降ろしてきたばかりの金を渡した。  十万円。  取りあえずはそれくらいのところだろう。 「いつも済まないねえ。ありがたいよ」  よく言うよ。  少しもありがたがっていないくせに。  もらったお金を自分の財布にしまうと、母親はそそくさと退散していった。  おい!  息子の所在を心配してきたんじゃないのか? 「しかし、何とかしなきゃならないわね」  今後も金銭の無心にやってこられたら、いずれは自分の正体を悟られる危険性がでてく る。  息子の行方よりも、金銭の無心の方に、意識が集中していたから、今回はばれないで済 んだ。  しかし、回を重ねればいつかはばれてしまうだろう。  何とかしなければ……。
     
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