妻に変身した男の話(4)
都会に戻り妻の名義でアパートを借りた。
「旦那さんはどうなされたのですか?」
当然のごとく戸籍に記された配偶者のことを聞かれたが、DV(夫の暴力)から避ける
ために別居するのだというと、なるほどと納得してくれた。
女性としての新しい暮らしがはじまる。
何もかもが新鮮な出来事ばかりだった。
別荘において一人で居ては味わえない、社会性の中での女性としての暮らし。
まずはご近所への挨拶回りである
そこそこの茶菓子を買って、アパートの住民達一人一人に挨拶をして回った。
何事も礼儀と作法である。
それをしなかったばかりに近所付き合いにトラブルが生じることもあるのである。
まあ、顔を合わせた人々のたいがいが、
「ああ、そりゃどうも……」
とばかりにつっけんどんな受け答えしかしない者が多いが、
「これはこれはどうも、上の階の3号室。渡辺さんね、これからよろしくね」
親しげに話し掛けてくれるのは、ほとんど年配の女性である。
「はい。美智子と言います。よろしくお願いします」
取りあえずのところは簡単な挨拶で済ませておく。
いずれは根ほり葉ほり聞かれるだろうが、それはその時に。
そうそう、渡辺美智子というのがフルネームである。
別荘で一人でいる時は名前など必要ないが、社会に出れば絶対に必要なものである。
さて……。
社会に出るということは、働きに出るということとイコールである。
美智子は資産家であったから働くこともないのであるが、女性として会社勤めしてみた
いと思った。
ハローワークに通っての職探し。
まだ二十歳代前半だが就職難でもあり、そう簡単には見つからないだろうと思っていた
が、意外にもあっさりと就職が決まった。
もちろん、夫と別居中の既婚者ということもちゃんと面接で伝えておいたのであるが…
…。
実はその会社の社長が女性で、夫の暴力に絶えかねて家出、苦労を重ねて今の会社を興
したという人物だった。
つまり同じ境遇の女性を見捨てるわけにはいかないという同情から雇ってくれたといっ
ても良いだろう。
実情はどうでも良いのだ。
要は働き口さえ見つかればいいのだから。
職種は事務系、帳簿係りである
簿記の資格を持っていたのが不幸中の幸いか。
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