陰陽退魔士・逢坂蘭子/胞衣壺(えなつぼ)の怪
其の壱 廃屋  阿倍野界隈にあって、廃屋となっていた旧民家の解体が行われることとなった。  油圧ショベルが容赦なく廃屋を潰してゆく。  悲鳴のような軋めき音をあげながら、崩れ行く廃屋。  長年積もり積もった家屋内の埃が舞い上がり、苔むした臭気が辺り一面に広がる。  ショベルでは掘れない細かい場所は、作業員がスコップ手作業で掘り起こしている。  水道管やガス管が通っている場所は、土木機械では掘れないからだ。  その手先にコツンと手ごたえがあった。 「何かあるぞ」  慎重に掘り起こしてみると、陶器製の壺のようであった。 「壺だな」 「まさか小判とか入ってないか?」 「だといいがな、せいぜい古銭だろう」 「いわゆる埋蔵金ってやつか?」 「入っていればな」 「やっぱ警察に届けなきゃならんか」(遺失物法4条) 「持ち逃げすりゃ、占有離脱物横領罪になるぞ」(刑法254条)  廃屋の解体作業工事屋だから、埋蔵物に遭遇することは、日常茶飯事。  それらに関する諸般法律はご存知のようであった。 「ともかく蓋を開けてみよう」  昔話のように、大判小判がザックザクということはまずありえない。 「開けるぞ!」  蓋に手を掛ける作業員。 「あれ?開かないぞ……」 「くっついちゃったか?」  内容物が溢れて、身と蓋の間で接着剤のように固まってしまったか。  金属ならば酸化反応で、生物ならば腐敗によって、内部の空気を消費して圧力が 下がり、外から押さえられている場合もある。 「だめだ、開かないね」  壺を振ってみるが、音はなく内部にこびり付いているようだった。  その時、現場監督がやってきた。 「何をしているか、ちゃんと働かんと日給はやらんぞ」  怒鳴り散らす。  雨続きで解体期限が迫っていて、不機嫌だったのだ。 「いやね、こんな壺を地中で見つけたんですよ」  と、壺を掲げ上げて見せる。 「どこにあった?」 「土間の台所入り口にありました。地中に水道管が通っているので手掘りして見つ けました」  ちょっと首を傾げて考える風であったが、 「たぶん……胞衣壺(えなつぼ)だな」 「えなつぼ?」 「出産の時の後産の胎盤とかへその緒を収めた壺だよ。昔の風習で、生まれた子供 の健やかな成長や、立身出世を祈って土間や間口に埋めたんだ」 「た、胎盤ですかあ!?」  驚いて壺を地面に置く作業員。 「祟られるとやっかいだ。とりあえず隅にでも埋めておけ。整地した後の地鎮祭や る時に、一緒に弔ってやろう」 「分かりました」  言われたとおりに、敷地の隅にもう一度埋め戻し、手を合わせる。 「祟りませんように……」 其の弐 地鎮祭  数日後。  地鎮祭が執り行われることになった。  神主には、最も近くの神社に依頼されることが多い。  取りも直さず、直近となれば阿倍野土御門神社ということになる。  宮司である土御門春代が高齢のため、名代として蘭子が地鎮祭を司ることとなった。  日曜日なので学校は休み、きりりと巫女衣装を着こんでいる。  敷地の中ほどに四隅を囲うようにして青竹を立て、その間を注連縄(しめなわ) で囲って神域と現世を隔てる結界として祭場とする。  その中央に神籬(ひもろぎ、大榊に御幣・木綿を付けた物で、これに神を呼ぶ) を立て、酒・水・米・塩・野菜・魚等、山の幸・海の幸などの供え物を供える。 「蘭子ちゃんの巫女姿も堂に入ってるね」  施工主で現場監督とは、蘭子が幼い頃からの顔馴染みであった。 「ありがとうございます」  つつがなく地鎮祭は進められてゆく。 地鎮祭の流れ  係員が静かに監督に近寄って耳打ちしている。 「監督、あの胞衣壺が見当たりません」 「見当たらない?」 「はい。ここに確かに埋めたんですけど……」  と、埋め戻した場所に案内する係員。 「誰かが掘り起こして、持ち去ったというのか?」 「胎盤とかへその緒ですよね。そんなもん何するつもりでしょう」 「中身が何かは知らないのだろうが、梅干し漬けるのに丁度良い大きさだからなあ」 「梅干しですか……でも、埋まっているのがどうして分かったのかと」 「通行人が立ちションしたくなって、角地だから陰になって都合がよいから」 「それで、掘れてしまって壺が顔を出し、持ち去ったと?」 「まあ、あり得ない話ではないが」  二人して首を傾げているのを見た蘭子、 「何かあったのですか?」 「実はですね……」  実情を打ち明ける二人。 「胞衣壺ですか?」  と言われても、実物を見ていないので、何とも言えない蘭子。 「解体される前の家屋を見てましたけど、旧家だし胞衣壺を埋めていたとしても納 得できますが」  陰陽師の蘭子のこと、胞衣壺については良くご存知のようだ。 「長い年月、その家を守り続けてきたというわけですが、何か悪いことが起きなけ れば良いのですが」  空を仰ぐと、先行きを現すかのように、真っ黒な厚い雲が覆いはじめ雨が降りそ うな雲行きとなりつつあった。 其の参 切り裂きジャック  人通りの少なくなった深夜の雨降る街角。  一人の女性が帰宅を急ぐ姿があった。  追われているのか、時折後ろを振り向きながら急ぎ足で歩いている。  突然目の前に現れた人影にぶつかってよろけてしまう。 「すみません」  と謝って顔を上げたその顔が歪む。  その腹に突き刺さった短剣から血が滴り落ちる。  阿倍野警察署。 「連続通り魔殺人事件捜査本部」  という立て看板が立てられている。  会議室。 「切り裂きジャックだ!」  会議進行役を務める大阪府警本部捜査第一課長、井上警視が怒鳴るように声を張 り上げる。  夜な夜な繰り広げられる連続通り魔殺人事件。  その惨劇さは、殺した女性の腹を切り開いて内蔵を取り出し、子宮などの内性器 を持ち去ってしまうという事件。  1888年のロンドンを震撼させた切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)と 手口が全く同じという変質者の仕業であった。結局犯人は捕まらずに未解決事件と なった。  ロンドンでは売春婦が襲われたが、こちらではごく普通の一般女性であるということ。  広報や回覧板及びパトカーの街宣などによって、夜間の一人歩きの自粛などが流 布されて、一部の自治会では自警団が組織されていた。 「心臓抜き取り変死事件と同じだな……やはり彼女の力を借りるしかないようだ」 夢幻の心臓  土御門神社の社務所。  応接間にて、春代と蘭子そして井上課長が対面している。 「……というわけです」  事件の詳細を説明する井上課長だった。 「なるほど、切り裂きジャックですか……」  蘭子もニュースなどで連続通り魔殺人事件のことは耳にしていたが、直接課長の 口から聞かされた内容は衝撃的であった。 「で、わざわざ伺われたのはいかに?」  春代が実直に質問する。  来訪目的は、うすうす感ずいているが、聞かずにはおけないだろう。 其の肆 胞衣壺 「被害者は女性ばかりです。いかに夜とはいえ、ズタズタに切り裂いて内蔵を取り 出すには時間が掛かります。にも関わらず目撃者が一人もいない」 「察するに犯人は【人にあらざる者】ではないかと仰るのかな?」  春代が意図を読んで尋ねた。 「その通りです」 「して、わざわざご足労なさったのは……」 「もちろん、蘭子さんのお力を頂きたいと」 「だろうな」  春代と課長の会話を耳にしながらも、怪訝な表情をしている蘭子。 「どうした? 蘭子」 「実はですね。今回の事件と関連がありそうな出来事がありました」 「それはどのような?」  井上課長が身を乗り出すようにした。  蘭子が思い起こしたのは、先日の地鎮祭の出来事だった。  胞衣壺が掘り起こされて持ち去られた日の翌日に、最初の切り裂き事件が起きていた。 「えなつぼ……それは、どんなものですか?」 「【胞衣(えな)】とは胎盤のことじゃて、それを入れるつぼだから【胞衣壺】という」  昔の日本(平安・奈良時代)では、胎盤を子供の分身と考えて、大切に扱う風習 があった。  陶器製の壺に胎盤を入れ、筆・墨・銅銭そして刀子(とうす・小刀)を一緒に納 めて地中に埋めていた。  これらの品々は、当時の役人の必需品で、子供の立身出世を願うためである。  人にたくさん踏まれるほど、子供がすくすく成長すると考えられて、一通りの多 い間口や土間に埋められることが多かった。  大きさは、口径12cm・高さ16cmのものから、口径20cm・高さ30c mくらいのものが多く出土している。 「昔の風習じゃて、今では廃れてしまっておるなあ。せいぜい戦前までのことじゃて」  刀子という言葉を耳にして、糸口が一つ解明したような表情をする井上課長。 「その刀子の長さはどれくらいのものでしょうか?」 「そうさな……壺の大きさにもよるが、五寸から一尺くらいじゃのお」  春代は古い尺貫法に生きる世代である。  すかさずメートル法に言い直す井上課長。 「15cmから30cmですね」  井上課長の脳裏には、殺人の凶器として十分な長さがあるな、という推測が生ま れていることだろう。  銃刀法では、刃渡り6cm以上の刃物は携行してはならないと、取り締まっている。 「刀子は、そもそも魔除けの意味があります。葬式でのご遺体に守り刀を持たせる のと同じです」  *参照=蘇我入鹿の怨霊 「さて、そろそろ本題に入ろうかのう。刑事さんよ」  井上課長の来訪目的を訪ねる春代。  これまで長々と、時候の挨拶よろしく話していたのだが……。 「はい。単刀直入に言います。連続通り魔殺人事件の捜査協力をお願いに参りました」 「なるほど、陰陽師としてのご依頼かな?」 「その通りです」 「ほほう。うら若き娘に殺人犯の捜査に加われと?」  春代は高齢のため、陰陽師の仕事はすべて蘭子が請け負っている。  もちろん井上課長とて承知である。  蘭子には、陰陽師としての仕事以外にも、女子高校生としての勉強も大切である。 其の伍 神田美咲  時を少し遡った、小雨降る夜。  解体作業現場を、折しも通りがかった女子高生。  整地された一角がぼんやりと輝いているのに気が付いた。  なんだろう?  と、歩み寄ってみると、土くれの付いた古い壺が顔を出していた。 「壺?」  壺が怪しく輝いて少女の顔を照らす。  やがて壺を取り上げると、何事もなかったように、現場を立ち去っていった。  とある一軒家  門柱に「神田」という文字が彫られた表札が掛かっている。  壺を抱えたまま、その家に入る少女。  少女の名前は、神田美咲。  阿倍野女子高等学校の生徒である。 「お帰りなさい、美咲」  という母親の声にも応答せずに、無言で二階へと上がり自分の部屋へ。  大事そうに抱えていた壺を、そっと机の上に置いた。  そして蓋に手を掛けるとすんなりと壺は開いた。  建設現場ではどうしても開かなかったのに。  中にはキラリと輝く刀子(小刀)が入っていた。  普通なら錆び付いていただろうが、密閉した容器の中で胎盤などの腐敗(好気性 菌による)が先に進んで、中の酸素を消費してしまって、刀子の酸化が妨げられた のであろう。  刀子は不気味に輝いており、じっと見つめる美咲の顔を照らす。  やおら刀子を取り出し、刃先を左手首に当てると、躊躇なく切り刻んだ。  ボトボトと流れ出る血を受け止めて、壺はさらに輝きを増してゆく。  やがて壺の中から正体を現わした怪しげな影は、しばらく美咲の周りを回ってい たが、スッと美咲の身体の中に消え行った。  最初の殺人事件が発生したのは、それから三時間後であった。  数日後の夜。  巫女衣装に身を包んだ蘭子が歩いている。  怪しげな気配を感じ取って出てきたというわけだ。  その胸元には御守懐剣「長曾祢虎徹」が収まっており、臨戦態勢万全というところだ。  時折警戒に当たっている刑事に出会うが、 「巫女衣装を着た人物の邪魔をするな」  という井上課長のお達しが出ているらしく、軽く敬礼すると黙って離れてゆく。 *参考 血の契約  突然、胸元の虎徹が微かに震えた。 「つまり魔のものということね」  魔人が封じ込められている虎徹は、魔物に対してのみ感応する。 『蘇我入鹿の怨霊事件』のように、魔人が怨霊を招き寄せる場合もあるし、人に 取りつく場合もある。  魔と霊と人、それぞれに対処できるように体制を整えておかなければならない。  魔には虎徹。  霊には呪符や呪文。  人には合気道などの武道で、自らが戦う。  虎徹を胸元から取り出して手前に捧げ持って、一種の魔物探知レーダーを働かせた。  よく画家が鉛筆を持って片目を瞑り、キャンバスと鉛筆を見比べる仕草を取るア レである。  その態勢で、ゆっくりと周囲を探索しながら、反応の強い方角へと歩いていく。 其の陸 遭遇 「きゃあ!!」  暗闇の彼方で悲鳴が起こった。 「あっちか!」  悲鳴のした方角へと走り出す蘭子。  やがて道端に蠢く人影に遭遇した。  女性を背後から羽交い絞めして、人通りのない路地裏に引き込もうとしていた。 「何をしているの!」  蘭子の声に、一瞬怯(ひるむ)んだようだが、無言のまま手に持った刀子で、女 性の首を掻き切った。  そして女性を蘭子に向けて突き放すと、脱兎のごとく暗闇へと逃げ去った。  追いかけようにも、血を流して倒れている女性を放っておくわけにはいかない。 「誰かいませんか!」  大声で助けを呼ぶ蘭子。  巫女衣装で出陣する時は、携帯電話などという無粋なものは持たないようにして いるからである。  携帯電話の放つ微弱な電磁波が、霊感や精神感応の探知能力を邪魔するからである。 「どうしましたか?」  先ほどすれ違った警察官が、蘭子の声を聞きつけて駆け寄ってきた。 「切り裂きジャックにやられました」  地面に倒れている被害者を見るなり、 「これは酷いな。すぐに本部に連絡して救急車を手配しましょう」  腰に下げた携帯無線で連絡をはじめる警察官。 「本部の井上警視にも連絡して下さい」 「わかりました」  押っ取り刀で、井上課長が部下と救急車を引き連れてやって来る。  被害者は直ちに救急車に乗せられて搬送されるとともに、付近一帯に緊急配備が なされる。  現場検証が始められる。  その傍らで、蘭子に事情を聴く井上課長。 「犯人の顔は見たかね」 「暗くて見えませんでしたが、逃げ行く後ろ姿から若い女性でした。 「女性?」 「はい。確かにスカートが見えましたから」 「そうか……」  と、呟いて胸元から煙草を取り出し、火を点けて燻(くゆ)らす。  いつもの考え込むときの癖である。 「発見が遅れていれば……」  これまでの犯行通り、腹を切り開かれて子宮などの内蔵を抜き取られていただろう。 「心臓抜き取り変死事件では、動機ははっきりしていたが、今回の犯人の目的は一 体何なんだ?思い当たることはないかね、蘭子君」 「はっきりとは言えませんが、やはり胞衣壺(えなつぼ)が関係しているのではな いでしょうか」 「建設現場から持ち去られたというアレかね」 「こんかいの事件は【人にあらざる者】の仕業と思います」 「スカートをはいた魔人だというのか」 「人に憑りついたのでしょう」 「まあ、あり得るだろうな」  一般の警察官は【人にあらざる者】の存在など考えもしないだろうが、幾度となく対面した経験のある井上課長なら信じざるを得ないというところだ。  もっとも、表立って公表できないだけに配下の力は借りずに、大抵自分一人と蘭 子との共同捜査になっている。 「これ以上ここにいても仕様がないので帰ります」 「部下に送らせるよ」 「一人で帰れますよ」 「いや、犯人に顔を見られているかも知れないだろう。後を付けられて襲われるか もしれない。そもそも女子高生を一人で帰らせるにはいかん」 「なるほど、ではお願いします」  ということで、覆面パトカーに乗って帰宅する蘭子だった。 其の漆 夢遊病  夜中夜が明けた。  神田美咲の自室。  パジャマ姿でベッドの縁に腰かけて、呆然としている美咲がいる。  べっとりと血に染められた手のひら。 「どうして……」  何がなんだか、自問自答してみても何も思い出さない。  昨夜、一体何があったのか?  洗面所で血を洗い流してみるが、自分自身には何の傷もなかった。  どこで血が付着したのか、まるで記憶になかった。  ベッドに戻り、その上に膝を抱えるように(体育座り)固まったように動かなかった。  その日の阿倍野女子高校の一年三組の教室。  授業中、一つの机が開いていた。  神田美咲の席で、これまで無遅刻無欠席の優良児だった。 「これで三日か……珍しいな、神田が休むなんて」  土御門弥生の声に、教室内がざわめく。 「逢坂さん」 「はい?」 「家が近くだろう、ちょっと様子を見に行ってくれないか」 「分かりました」  ということで、神田家を訪れた蘭子。  大人なら病気見舞い品片手にというところだろが、高校生なのでそこまで気を遣 うことはないだろう。  そもそも病気を知ってすぐでは失礼にあたる場合があるから、とりあえず様子を 聞くだけである。 「それがねえ、部屋に閉じこもったまま出てこないのよ。食事時間に呼びかけても 返事はないし……」  来訪を受けて、玄関先に顔を出した母親が、困り切ったように答える。 「病気とか怪我とかじゃないみたいだから……。誰かに虐められたとか?」  逆に問いかけられる。 「それはないと思いますよ。友達受けする性格みたいですから」 「そうですか……。年頃だし、そっとしておいて欲しいのです」 「分かりました。学校側には、そのように伝えておきます」 「よろしくお願いいたします」  深く腰を折って哀願する。  蘭子も挨拶を交わして神田家の門を出る。  ふと仰げば、日も落ちて暗がりが覆い始めた空の下、美咲の窓には明かりは灯らない。  逢魔が時。  読んで字のごとく、妖怪や幽霊など怪しいものに出会いそうな時間帯。  黄昏れ時、暮れ六つ、酉の刻とも言う。  日が暮れて周りの景色が見えづらくなるくらい薄暗くなってきた状態をいう。  季節にもよるが午後六時前後である。  行き交うパトカーの群れ。  新たな被害者。  現場検証の陣頭指揮を執るしかめっ面の井上課長。  その傍には携帯電話で呼び出された蘭子もいる。  毎度のことながら、民間人(それも女子高生)を現場に立ち会わせることに懐疑 的な同僚もいるが、現場責任者である課長の意向には逆らえない。  科学捜査が一般的な日本警察においては、陰陽師の手を借りるということはあり 得ないことだった。 「内臓を持ち去る理由がさっぱり分からん」  事件が起こるたびに、つい口に溢(こぼす)してしまう井上課長だった。 其の捌 惨劇  その頃。 「美咲、いつまで閉じこもっているの?」  返事はない。  美咲の部屋の前で、ノックしつつ中の様子を探る母親。  勝手に入ったりすると、非常に不機嫌になる娘なので注意している。  しばらく待つが、一向に返答はなかった。 「入るわよ。いいわね」  ドアノブに手を掛け、少しずつドアを開ける。  照明の灯っていない薄暗い部屋の中。 「美咲?」  美咲はいなかった。 「出かけたのかしら……」  物音一つしない部屋には静寂が漂っていた。  まるですべての音を、机の上の壺が吸収しているみたいだった。 「何あれ?」  女子高生の部屋には場違いとも言うべき問題の壺に気が付く母親。  壺に近づいてゆく。  土くれが所々に付着して汚れが酷い。 「何これ、汚いわね……」  土の中から掘り出したままの状態のようであった。  壺の中身を確認しようと手を掛け蓋を開ける。  その瞬間に、強烈な腐臭が辺り一面に広がる。 「うう、何これ!」  あまりの匂いに、堪らず蓋を閉める。  壺の中は、蓋を開ける前には酸素を使い果たして腐敗が止まっていて匂いも治ま っていたはずだが、蓋を開けたことによって空気と水蒸気が入って、再び腐敗が進 んだというところだ。 「どこから持ってきたのかしら」  背後で音がする。 「お母さん、何しているのよ」  振り返ると美咲が帰ってきていた。 「勝手に入ってこないでって言っているでしょ」  その制服姿は乱れており、何より両手に付着した赤い汚れ。  明らかに血液かと思われる。  そして右手にはキラリと輝く刀子。 「おまえ、それ……」  と、言いかけたその表情が歪む。  胸元にはぐさりと突き刺さった刀子。  力尽きたように美咲に寄りかかる。  身動きしなくなった母親を、ヒョイと軽々と肩に抱え上げる。  やおら窓際に寄りガラリと開けると、外の闇へと飛び出した。 其の玖 現場百回  神田家の玄関先の両側に立てられた葬儀用花輪。  行き交う人々は黒衣に身を包み、厳かに家の中に入ってゆく。  近場には、井上課長も覆面パトカーの中で待機している。  訪問客に不審な者がいないかチェックしていたのである。  そこへ蘭子が訪れて、井上課長と何事か話し合った後に、葬儀場へと向かう。  今日は同級生としてではなく土御門春代の名代としての出席である。神田家は土 御門神社の氏子だったからである。  受付に一礼してお悔やみの言葉を述べる。 「この度はご愁傷様です」  懐から取り出した袱紗(ふくさ)から香典を出して渡す。  案内係の指示に従って着席する。  棺に近い場所には父親と美咲がおり、重苦しい表情をしている。  やがて住職が入場して、読経がはじまる。  ほぼ出席者が揃ったところで、読経が止まり故人と最も親しかった関係の深い人 の弔辞。  弔辞が終わると再び読経、僧侶が自ら焼香をしたら、喪主・遺族・親戚・そして 席次順に焼香がはじまる。  やがて蘭子の番となり、恭しく前に進んで喪主に軽く挨拶してから焼香をあげる。  美咲は終始俯いたままで、一度も顔を上げない。  焼香が一巡したところで僧侶が退場。  喪主が立ち上がって、最後の挨拶を行って閉会となる。  出席者は別室に移って、遺族たちの故人との最後のお別れが行われる。  それが済むと出棺となる。  一同が玄関先に集まって、棺が霊柩車に納められ、喪主の最後の挨拶。  全員の合掌・黙祷が行われる中、静かに霊柩車と遺族の車は静かに出発する。  見送る蘭子に井上課長が近づいてくる。 「何か変わったようなところはなかったかね」 「いえ、何もありませんでした」 「ふむ……もう一度、現場に行ってみるか」 「そうですね、現場百回と言いますから」  というわけで、神崎美咲の母親の遺体発見現場へとやってきた。  住宅街の一角にある児童公園の片隅、木々の生い茂った場所。  一部に「チョーク・ライン」がうっすらと残っていた。  遺体の周りをチョークで囲うアレである。  しかし実際の現場検証では、チョーク・ラインを引くことはない。  警察などの現場検証が終わった後に、新聞記者などが写真撮影で分かりやすくす るために書いているのがほとんどである。  被害者の血液なども流れでていた跡がうっすらと残っている。 「ここが遺体発見場所ですか」 「その通りだ」 其の拾 公園  ゆっくりと周囲を見渡す蘭子。  公園の入り口付近には外灯があるが、夜間にはここまでは届かず薄暗いだろうと 思われる。  外灯の届かない公園の片隅に、何の用で立ち寄ったのだろうか?  トイレは入り口付近にあるし、公園の奥まった場所で帰宅の近道にもならない。  疑問が沸き上がる。 「殺害現場はここで間違いないのですか?」 「いや、はっきりしていない」 「といいますと?」 「発見場所はここなのだが、それにしては流れ出ている血液の状態がおかしいのだよ」 「別の所で殺害されて、ここへ運び込まれた?」 「その通り。流血状態と血液凝固の状態から、殺人現場がここではないということ を示している。傷口の状態を見ると、ここで殺害されたならもっと広範囲に血液が 飛び散るはずだし、流れ出た血液の地面への浸透具合もおかしい」 「実際の殺害現場を探さなければというところですか」 「その通りだ」 「遺体を動かさなければならなかったのは、その場所が犯人を特定する重要な証拠 となるからですね。例えば、犯人か被害者の自室だったなど」 「うむ、その線は濃厚かもしれないな」 「課長。この事件には、消えた胞衣壺が深く関わっていると思うんです」 「ふむ、またぞろ怨霊とか?」 「そうとしか考えられません」 「で、何か方策とあるのかね」 「解体された旧家ですが、その家族の消息とか、胞衣壺が埋められて以降に何か事 件が起きていなかったどうかとか」 「埋められて以降かね。そもそもここら辺一帯は、太平洋戦争時の大空襲で焼野原 になっているから、戦後復興以降だよな」 「空襲時に、掘り返して持ち出したということもあります」 「何故そう思う?」 「胞衣壺の風習は戦前までで、戦後はほとんど行われていません。胞衣壺に関わる 人物背景を知る必要があります」 「なるほど、調べてみるよ」 「お願いします」  以降のことを確認しあって、分かれる二人だった。  その夜、神田家の門前に佇む蘭子。  美咲に会って話してみたいと思ったのだが……。  その窓は暗いままで、中の様子は静かだった。  葬式の直後に訪問するのは、流石に躊躇われる。  哀しみにくれる親子の心情を思えば。  心苦しくも神田家を立ち去る蘭子。

お疲れさまでした。('◇')ゞ
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