真夜中の出来事/誰もしらない


誰もしらない  柱時計が午前零時を指し、鐘の音があたりの静寂の中に低く呟くように響き渡った。  わたしは、その鐘の音によって目を覚まされて、ゆっくりと両方のまぶたを開いた。 目の前は何も見えず、全くの闇であった。さらにホルマリンのような嫌な匂いが微かに 漂っていた。  ここは、どこだ!  どうしてこんな所にわたしはいるのだ。  誰かいないのか。  身体が痺れているらしく、手足を動かせないでいた。声が出ない。唇さえも思うよう に動かせない。わたしの身辺に一体何が起こったというのだろうか。こうも真っ暗では 何もわからない。  と、どこからか聞いたことのある女性の声が耳に入った。  そうだ。  あの声は母の声ではないか。続いて妻の声がする。母や妻がすぐ近くにいると思うと、 少しは安心するが、声だけで姿が見えないとはどうしたことだ。  盲目にでもなったのか、夜だというのに電灯を消しているのか、はたまた隠れん坊で もしているのか。  ふざけるな!  妻がすすり泣いている。何故に泣くのだ。一体全体、彼女らは何をしているのだ。  暗いぞ、電灯を点せ!  声は出せない、身体は動かせない、何も見えないとなると、さっぱり何が何だかわか らない。少々腹が立ってきた。  何とか聴覚ははっきりしているようなので、耳を澄まして音をたよりに彼女らが何を しているのかを探ってみた。  周囲にいるのは、母と妻だけでなくて、少なくとも七・八人くらいはいるようで、皆 が皆ほとんど喋ることがない。時たま声がしたかと思うと、その言葉がまた聞き捨てな らないものばかりなのだ。  たとえば、 「この度は、本当にご愁傷様で……。奥様、どうか気を落とさずに……」  突然、わたしの身体が大きく揺れて、何ものかに激しく衝突したようだった。麻痺し ているせいか痛みはそれほどでもなかったが、何度も揺れてその度ごとに前後左右上下 と衝突し、わたしはその何ものかを知ることができて、箱のような物の中に入れられて いることがわかった。  揺れが止まり戸を閉める音がして、次には自動車のエンジンの音。  わたしを箱に入れてどこへ運ぶつもりなのだろうか。あたりが真っ暗なのは、箱の中 ということでわかったが、何のために……。  いつになればここから出してくれるのだろうか。一刻も早くここから出て外の新鮮な 空気を吸いたいし、外の光を見たいのだ。それとも、彼女らはわたしをこの中に一生閉 じ込めておくつもりなのか。  自動車が止まり、再び揺れて誰かが箱を担いでどこかへ運んでいる。そしてしっかり とした所に据えられて、二度と動かなくなった。どこに運び込まれたのかはわからない が、相変わらず妻のすすり泣きが聞こえる。  と、読経が聞こえだした。  誰だ、坊主なんかを呼んだのは!  やがて読経が終わり、 「さようなら、あなた……。安らかに眠ってください」  という泣いてかすれた妻の声が……。  何だとオ! 「さようなら、あなた」とはどういうこととなのだ! 「安らかに眠って下さい」とはどういう意味なのだ!!  わたしは、でき得る限りの能力を振り絞って考えてみた。  事態は窮迫しており、わたしの身がどうなるかがわかった。  思いっきり叫ぼうとしたが、声になって出ない。  バタン!  重い扉を閉める音がした。  もはやわたしはこれまでだった。  やがて……。わたしはこの箱の中……棺もろとも死体焼却炉の中で燃やされて、骨と なり灰となるだろう。  某年○月○日午前二時三十分。某病院内で原因不明の病気により、わたしは死去。  しかし、その後生き返ったことを誰もしらない。  同年○月○日午後三時四十分。永遠の眠りについたことも誰もしらない。  誰一人としてしらないのだ。
 破局←  index  ⇒安らかな
11