真夜中の出来事/夜の公園


 夜の公園

 夕暮れが次第に都市を覆いはじめ、遠くの港で発着する発動汽船の汽笛が、物悲しく聞こえてくるようになると、あたりはすっかり暗くなっていて、ほとんどの家では明るい燈の下で楽しい団欒のひとときを過ごしているころであった。
 とある街の高台にある公園のベンチに、一人の青年が疲れきったように肩を落として、だらしなく座っていた。彼の右手には、致死量の睡眠薬の入った小さな瓶が握りしめられていた。
 彼は営業マンだった。
 商品買取委託販売方式という営業方針にもとずいて、課せられたノルマ相当の商品の購入が義務付けられており、その商品を顧客に売って自分の収入とするものだった。
 つまり早い話が乳酸菌飲料販売のヤクルトレディーと同様の営業形式であり、営業マン個人が事業主となっており、会社から商品を買い付けて顧客に売ってなんぼの商売ということになる。
 売れば売るほど手取りが増えるという算段である、中には年間売り上げが1億円を超える営業マンもいるそうだが、そうそう営業は甘いものではない。
 たとえ一つも売れなくても、翌月にはノルマ分の商品の購入が義務付けられ、在庫がどんどん増えていくわけである。
 つまり会社側としては、営業マンとして雇っておくだけで自動的に商品が捌けていくので、絶対に損はしないのである。
 彼は、そんな営業マンの一人である。
 営業についてからというもの、まだ一つも商品を売っていなかった。にも関わらず会社側からは一方的に、毎月ノルマ分の商品購入が課せられて、代金の請求額も増えていくばかりであった。
 今更転職もかなわない。
 もはや限界に達していた。生きる希望も失っていた。
 彼は、ゆっくりと薬瓶の蓋を開けて、錠剤を一粒一粒手のひらに出していった。それはまるで、最後の命を噛みしめているかのようであった。手のひらの錠剤は、彼の空しい人生における最終決算だった。
 人の気配を感じて、ふと顔を上げると、目の前に若い女性が立っていた。
「ここに座ってもいいかしら」
 澄んだ声で女性が言った。
「構わないけれど……」
 彼は、手のひらの薬をどうしようかと迷ったが、女性はすでにそれに気づいているらしく、どうにでもなれという気持ちになった。
 女性は、膝をキチンと揃えて、彼の隣にくっつくように座った。
「それ、睡眠薬でしょ」
 彼の右手を覗き込むようにして女性は尋ねた。そして、彼がうなづくのを見て、
「死ぬ気なのね。どうして、そんな気になったの」
「何となくね……。強いて言えば、世の中がいやになったからだろうか……」
 彼は、どうして自殺するのかという問いに、明確に答えられない自分自身が情けなかった。ただ何となくとしか答えられなかった。
「それよりも、君こそどうして一人で夜の公園をぶらついているんだい?」
「さあ、どうしてかしら。わたしも死ぬつもりだったのかも知れないわね。無意識に死に場所を探していた時に、何やらおかしな人がいるのを発見した。そこで、その人に近づいてみたら……というわけね」
「そう……」
「本当のことを言うと、わたしの命はそう長くはないの」
「どうして?」
「白血病なの……。わたし、母が医者と話しているのを聞いちゃったのよ。いいところ半年の命ですって。母は隠し通しているつもりみたいだけどね。それで病院の中にいても退屈だから、母の目を盗んで抜け出してきたの。今頃必死で探しているでしょうね」
「君は親不孝者だ」
「そうでしょうね」
 しばらくの間沈黙があった。
 彼の右手の睡眠薬は、体温と汗で溶け始めていた。
「ねえ、わたしもあなたと一緒に死なせてくれないかしら。どうせ長くはない命なんだし、パートナーがいれば三途の川も楽しく渡れると思うから。だから、わたしにもその薬を頂戴」
「しかし……。まあ、いいか」
 彼は、女性に残りの睡眠薬の入った薬瓶を手渡した。
 そして、一二三の合図とともに、二人とも睡眠薬を飲んだ。
「今夜はとてもいい夜だわ。ほら、星があんなにきれいに……」
「ああ……」
 次第に薄れていく意識の中で、二人は寄り添うようにして、芝生の上に横になって手をつないだ。
 空を仰ぐ二人の瞳には、無数の星が映って輝いていた。
「さようなら、あなた」
「いや、また会おう……じゃないか。生まれ変わってね」
「ああ、そうね。また会いましょう」
 夜の帳が濃くなっていく公園の片隅。
 二人の別れ、そして次に来る再会を象徴するかのように、発動汽船の汽笛の音が、寂しく響き渡ってきた。

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