陰陽退魔士・逢坂蘭子/第六章 すすり泣く肖像
其の肆  二人が言い争っている間も、安子は虚ろな瞳で表情に変化は見られなかった。おそらく 魂のほとんどを吸い出されて、肖像画に写し取られてしまっているに違いない。 「安子の魂を元に戻せ!」 「お断りしますね。もう少しで完成するものを。私の新しいコレクションの一つになるの です」 「許せないわ!」  身構える蘭子。 「私を倒そうというのですか。できますかね」  余裕綽々の稲川教諭。  妖魔には実体を巧妙に隠している者が多く、かつ的確にその弱点を突かなければ倒せな い。  陰陽五行思想における万物は「木・火・土・金・水」という五種類の元素から成るとい う説がある。  五行相生と五行相剋とがあるが、この際問題となるのが、五行相剋の方である。水は火 を消し、火は金を溶かし、金でできた刃物は木を切り倒し、木は土を押しのけて生長し、 土は水の流れをせき止めてしまう。水は火に、火は金に、金は木に、木は土に、土は水に、 それぞれ悪影響を及ぼすというのが、五行相剋である。 「確かに、おまえを倒すことはできないかもしれない。しかし、これならどうだ!」  蘭子の手元から何かが放たれた。  するどく尖った針であった。  それは壁に掛けられた稲川教諭の肖像画に突き刺さり、五芒星を形作った。 「その肖像画がおまえの正体だ!」 「ど、どうして判ったのだ?み、身動きがとれん!」 「おかしいとは思わないのか? これだけたくさんの少女の肖像画の中にたった一つだけ 男性の肖像画があるというのは」  稲川教諭の正体は、キャンバスに描かれた肖像画そのものだった。  少女達の魂を肖像画に封じ込めたように、自分自身の魂を肖像画として永遠不滅の魂と して生きる道を選んだのかも知れない。あるいは、霊能高い術士によって肖像画として封 じ込められてしまったのかも知れないが……。  肖像画の中から人を操って、肖像画を描かせて少女の魂を封じ込めて、次第に神通力を 高めていったのだ。  稲川教諭も、この肖像画に精神を乗っ取られた悲しい人物だったのである。  金でできた刃物は、木(紙)を切り倒す。  五芒星を形作る針が、肖像画の中の魂(妖魔)を封じ込めていた。 「業火の炎よ。悪しき魂を焼き尽くせ」  蘭子の指先に青い炎が燈り、空中を浮遊するようにして、肖像画の描かれたキャンパス に燃え移った。  悲鳴を上げて悶え苦しむ肖像画の妖魔。  やがて肖像画は灰となり跡形もなく消え去った。  すると、部屋の壁に飾られた少女の肖像画から、すべての魂が解き放たれていった。  蘭子は、それらの魂を浄土へと導くように、浄化の呪法を唱えた。  椅子に座ったまま自失状態の安子。  稲川教諭も床に倒れてはいるものの自我を取り戻しつつあるようだった。  安子の肖像画に呪解を掛けると、写し取られた魂が再び安子に呼び戻されて、意識を取 り戻していった。  静かにその場を立ち去る蘭子。  やがて稲川教諭と安子が目を覚ます。 「先生、どうして床に寝ているのですか?」 「あ、あれ? いつの間に……。変だな」 「あたしも椅子に座ったまま居眠りしてたみたいです」 「そ、そうか……。とにかく絵を完成させよう。もう少しだから」 「はい」  何事もなかったように会話を続ける二人。  モデルの安子と、肖像画を描く稲川教諭。  二人だけの時間が、静かに流れていく。 すすり泣く肖像 了
     ⇒血の契約
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