陰陽退魔士・逢坂蘭子/第三章 夢鏡の虚像
其の拾伍
その頃、蘭子は摩訶不思議なる空間を彷徨っていた。
呪法が成功して道子の夢の中に入り込んだようである。
それにしても、目に見える景色が異様なまでに形容しがたいもので、抽象画のキュビズ
ムのようだったり、墨流しのようだったり、刻々と変化を続けていた。
無理もないかもしれない。他人の夢など具象化できるものではないだろう。
それでは夢鏡魔人は、その光景をどのように見ているのだろうか。
その時、するどい突き刺さるような声が轟いた。
「誰だ! 私の神聖な領域を侵す奴は」
景色の一角がスパイラル状に動いたかと思うと魔人が姿を現した。その姿が見えるのは、
道子が見ている夢ではなく、実際として虚空に存在しているからだろう。
「あなたが夢鏡魔人ね」
「ほう。現世では、私のことをそう呼んでいるのかね」
「なぜ、夢に入り込んで人を苦しめるのか。そして殺してしまう」
「なぜ? それは、人が食物を摂取するのと同じだよ。私が生きるためであり、人が苦し
みもがく負の精神波を命の糧としているからだよ。悪夢を見せるだけでもいいんだがね。
それではつまらないから、当人に殺人を犯させたりして、より苦しむところを眺めて楽し
んでいるのさ。まあ、道楽みたいなものだ」
「道楽ですって? 許せないわ。謄蛇よ、ここへ!」
蘭子が叫ぶと、火焔に包まれた神将が現れた。式神十二神将の中でも桁違いの通力と生
命力を有する四闘将【謄蛇・勾陣・青龍・六合】の一神である。
「なるほど、式神というわけか。しかし、式神では私を倒せないことは知っているのでは
ないか?」
「おまえの精神力を削ぎ落とすくらいはできるはずだ。その間に、弱点を探し出して倒し
てみせる」
はったりであった。
おそらく、この道子の夢の中では、鏡の世界に本性を持つ夢鏡魔人は倒せないだろう。
もちろん魔人の方も蘭子を倒せないのは同様である。
「こざかしい真似を……。ならばこうしてくれるわ」
蘭子の身体が浮かび上がり、空間に出現したスパイラルの中へと、魔人共々吸い込まれ
ていった。
残された式神は自然消滅していった。
そこはうって変わって荒涼としたただ広い空間だった。
至る所に無数の鏡が浮かんでおり、足元にも水溜りのような水面が広がっている。
「これが夢鏡魔人の世界?」
「その通りだ」
背後から声が掛かり、振り向くと夢鏡魔人がふてぶてしい表情で立っていた。
「ここは私の世界だ。鏡を通して世界中どこへでも往来できた……。しかし今は封印され
て、この魔鏡のみからしか現世へ渡れなくなってしまった」
魔人のそばに一つの鏡がスッと寄ってきた。
そこには、道子の部屋の中の様子が映し出されていた。部屋の八方に点されたローソク、
ガラステーブルの上に置かれた二対の魔鏡。そのそばで一心不乱に呪法を唱える晴代がい
た。
「なるほど……。二人掛かりというわけか。娘の夢の中にいたせいで、こんな仕掛けをし
ていたとは気づかなかったよ。なるほどたいした陰陽師の術者のようだな」
「おまえを倒すための方策は十分にとってある。覚悟することね」
「まあ、そう急くな。私のとっておきのコレクションを見せてあげよう」
と、パチンと指を鳴らすと、別の鏡が現れた。
そこに映る光景を目にして息を呑む蘭子。