陰陽退魔士・逢坂蘭子/第三章 夢鏡の虚像
其の伍 「鏡の世界ですか?」 「そうだ。本来なら鏡のある所ならどこにでも出没できる能力があるのだが、奇門遁甲八 陣図の効力がまだ残っていて、この鏡を通してのみしか動けないようだ」 「退治する方法はありますか?」 「こやつは、こちらの世界にいる時は人の夢に巣食っている。要するにこちらの世界にい る人間にとっては、実体のない虚像の魔人なのだ。実体であるおまえが虚像を倒すことは 絶対に不可能だ」 「夢と鏡の中の魔人……」 「じゃが、策がないでもない」 「どうするのですか?」 「まず奴が人の夢に入り込んでいる時に、おまえ自身も自分の精神つまり魂をその人の夢 の中に送り込むのだ。すると奴は、おまえの魂を自分の世界である鏡の中へ引きずり込も うとするだろう。それが奴の本性なのだからな。して、ここからが本番だ。鏡の中は奴の 世界だから、魂を完全に閉じ込めてしまうこともできる。それはつまり、現実の世界のお まえの死ということを意味するわけだ」 「身体と魂を引き離されたら、死を意味しますね」 「だが、それを防ぐ手立てが一つだけある。着いて来なさい」  祖母は立ち上がって、蘭子を案内して先に歩き出した。  障子が勝手に開いた。  目には見えないが、式神を使役して開けさせているのである。呪法の力を衰えさせない ために、日常的に訓練として行っているらしい。並みの陰陽師なら、式神を呼び出すのに 呪符を使い呪文を唱える。しかし祖母のような熟達者ともなると、心の中で念ずるだけで、 式神を呼び出せるのである。  二人が向かっている先は書物庫であった。  神社が建立されて以来の重要な書物が所蔵されている。陰陽道五行思想、天文学、易学、 時計などの学問を記述した陰陽道関連の書物が数多い。特に呪法、呪符、呪文について書 かれた文献は、門外不出となっている。書物庫の周囲には、奇門遁甲八陣の結界が張り巡 らされ、【人にあらざる者】から貴重な書物が奪われるのを防いでいる。さらに周囲には 一般人が侵入しないように、立ち入り禁止の柵も巡らされており、その柵板にも魔除けの 鎮宅七十二霊符の呪符が描かれている。  ほぼ完璧な霊的防御陣が敷かれていた。  書物庫に近づくに連れて、二人の歩き方に変化が現れた。  地面を踏みしめ呪文を唱えながら千鳥足風にして歩く。魔を祓い大地の霊を鎮める呪法 の一つで、【兎歩】と呼ばれる。  書物庫の扉の前にたどり着いた。遁甲式盤という方位魔術の図柄が彫りこまれた錠前が 掛けられていた。書物庫全体に掛けられた結界陣と違って、錠前にのみに呪法が掛けられ ていて、鍵穴が見当たらなかった。呪法によって巧妙に隠されているのである。  祖母が、顎をしゃくり上げるようにして、 「おまえ、やってみろ」  と、言っているようであった。  錠前に向かい、細心の注意を払いながら開門の呪文を唱える蘭子。  やがて錠前が輝いたかと思うと、鍵穴が現れた。  祖母から鍵を受け取って鍵穴に差し込むと、ピキンという音と共に錠前が開いた。  ほっと安堵のため息をついて、胸をなで下ろす蘭子。 「……まあまあだな」  時間が掛かりすぎていた。  祖母なら一瞬にして開けてしまうところである。
     
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