梓の非日常/終章・生命科学研究所
(五)真実は明白に 「説明してあげましょう。あの交通事故で、お嬢さまはほとんど無事でしたが一時的 な脳死状態に陥りました。放っておけば完全な脳死へと移行し、いずれ心臓なども止 まって死んでしまう。もう一人の方、浩二君は脳は生きていたものの、失血からすで に心臓死に陥って人工心肺装置で生きながらえていたが、これもいずれは死を迎える のは確実だった。どうにかしてどちらかでも助けられないかと思った私は、無傷で仮 死脳死状態であるお嬢さまの方を助けることにした。その方が可能性が高いからです。 だが、問題があった……」  とここまで説明して、一息つく研究者。 「お嬢さまは、パソコンには強いですか?」  尋ねられて首を横に振る梓。  梓には、麗香という何でもできる有能な人物がいて、すべてを任せているから、パ ソコンとは無縁だった。 「そうですか……パソコンの事を知っていれば、理解も早いのですが……。まあ、聞 いてください。  パソコンは、CPUという演算装置に入力されたプログラムによって動き、ハード ディスクという場所に、そのプログラムやデータを保存しています。これは人間の場 合にあっても同様で、大脳という場所の中に記憶装置となる領域と、演算装置に相当 する領域があります。だがそれだけでは、パソコンも人間も動かない。  BIOSプログラムという、パソコンを起動するものがあって、ROMという場所 に記憶されている。パソコンのスイッチをいれると、まずこのBIOSがROMから 読み込まれてはじめてパソコンは使えるようになる。BIOSには、ハードディスク からデータを読み取るプログラムや、画面表示を行ったり、キーボードからの情報を 入力するプログラムなどの、パソコンを使えるようにする基本プログラムが収められ ている。まあ、人間で言えば、朝目覚めて歯を磨いたり顔を洗ったり、着替えをする といった日常生活のはじまりの行動がインプットされているものです。パジャマのま まで外は出歩けないでしょう?」 「ええ、まあその通りですね」 「さてお嬢様には問題があると先程言いましたが、そのBIOSに相当する記憶領域 が完全に消去されてしまっていました。つまり脳全体としては生きて活動できる状態 にあるが、肝心の目覚めるための記憶というプログラムがないから、いつまで経って も目覚めることがない。つまり仮死状態というわけです。  これを目覚めさせるには、外部から新たに記憶を移植するしかない」 「そうか! それであたしの……浩二の記憶を移植したのね。だから目覚めるための プログラムである浩二の記憶というかイメージが残っていたんだ。しかしそれは目覚 めるためだけのもので、記憶全体としては梓の記憶がそっくり残っているから、あた しは梓として認知できている。そういうことなのね?」 「ほほう……。なかなか理解力がありますね。まさしくその通りですよ」 「じゃあ、その記憶を移植された浩二はもう目覚めないの?」 「いや、移植と言っても、データをコピーしただけです。浩二君にはそのまま残って いるから、身体的な機能を復活させることができさえすれば、生き返らせることも可 能です」 「生き返る? 本当ですか?」 「ああ、そうですよ。冷凍睡眠で心臓死時点の状態のまま保存してありますから。移 植できる心臓やその他の臓器が見つかればあるいは……ということなんです」 「そうでしたか……。あ、そうだ。この浩二の母を見掛けました。もしかしたら……」 「うん。お母さんも知っていますよ」 「やっぱり……見舞いというか、会いに来ていた訳ですね」 「その通りです。母親というのは、子供にたいして執念ともいうべき愛着を抱いてい るらしいですな。心臓死をもって死亡宣告を受けても、息子の身体がそこにある限り 死んだことを納得しない。それこそ焼かれて茶毘に臥されるまではね。で、真条寺梓 を生き返らせることに成功し、その後のために浩二君の身体を冷凍睡眠にかけて将来 の復活に掛けることにしました。当然お母さんは生き返る可能性があるならと承諾し てくれた。そういうわけです。ただし梓お嬢さまのことは伏せてありますけどね」  これまでに疑問視していたことのすべてが氷解した。  長岡浩二というイメージの存在と、真条寺梓としての記憶と生活感。  浩二のイメージを引きずってはいるが、正真正銘の梓であると言えたし、何不自由 なく梓として暮らし、母の渚とも違和感なく母娘の愛で結ばれている。  しかし生き返らせてくれたのは、この浩二のおかげだ。  とすれば何とかして生き返らせてあげたいものだ。
     
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