梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた
(八)財閥令嬢とは  麗香と支店長が会話している間、絵利香につぶやくように話す梓。 「麗香さんに内緒にしてようと思ったのにね」 「預金通帳もキャッシュカードも持たずにお金を降ろそうとするからよ。だいたい十 八歳未満のわたし達には、支払いに関する責任能力を認められていなくて、親の許可 が必要なのよ」 「そうなんだ……知らなかったわ」 「まったく……」  呆れてものも言えないといった表情の絵利香。 「お嬢さま、携帯をお返しします。引き続き麗香さまがお話しがあるそうです」 「はい、どうもです」  支店長は携帯を梓に返すと保留していた頭取との通話を再開した。 「お待たせしました。ただ今、竜崎さまと……はい、承認番号は……」  そんな会話を耳にしながら自分の携帯に話し掛ける梓。 「梓です」  麗香の声が返ってくる。 『お嬢さま、お金の引き出しは可能ですが、金額が金額ですから、支店長が同行して 銀行振り出し手形で支払うことになりました。正確な金額もおわかりになられていな いようですしね』 「だってえ……値段を確認しなければ、物を買えないなら、それを買う資格はないっ て、麗香さんが教えてくれたんじゃない。で、手形ってなに?」 『小切手の一種とお考えください。まあ、購入金額はともかく、お嬢さまは十八歳未 満ですから、契約には親権者の同意が必要です』 「うん、絵利香から聞いたよ。実は知らなかったんだ」 『だと思いました。それで支店長に親権者代行として契約書に署名してもらいます』 「そうなの……」 『質問してよろしいですか?』 「はい?」 『これほどの大金、一体何をお求めになられるのですか?』 「うーん……秘密って言ったら怒るかなあ」 『別に怒りはいたしませんけど、哀しいですね。私に秘密ごととなりますと』 「ごめんなさい。いずれわかるから……」 『……わかりました。聞かないことにします。石井さんを迎えに行かせましたので、 ファントムYでお帰りください』 「わかった、待ってる」  と、麗香に秘密にしていることに後ろめたさを覚えながらも、電話を終える梓。 「はい、わかりました。お嬢さまに付き添って支払いと契約締結します。手形は本店 決済でよろしいのですね。……はい、万事失礼のないように」  支店長の方も本店頭取との連絡が終わったようだ。 「あ、お嬢さま。本店から決済が降りましたので、七千万円でも三億円でもお支払い 可能です」 「どうも、お手数かけます」 「それじゃあ、早速行きましょうか。そのお店へ」  促すように立ち上がる支店長だが、 「あ、迎えの車が来ますから、それからにしましょう」  と言われて、また腰を降ろす。 「それにしても、銀行員生活三十年になりますが、こんなことはじめてです」 「でしょう? まるで常識を知らないんですよね。通帳もカードもなしに預金降ろそ うとするんだから」  絵利香がちゃちゃを入れる。 「なによう。仕方ないじゃない、今まで、身の回りの事全部麗香さんがやってくれて たんだもん。でも高校生になったから、少しずつでも自分の事できるように、こうし て来ているんじゃない」 「わかったわよ。そんなにむきにならなくても」  そんな二人の会話を耳にしながら、自分の中にある常識というものを、書き換えね ばならないと考える支店長であった。  どうみてもごく普通の女子高生にしかみえないこの二人が、少しのためらいもなく 数千万円からの買い物をしてしまうという、世界最大財閥の真条寺家と急成長著しい 篠崎重工のご令嬢とは。 「支店長。お嬢さまのお迎えのお車が参っております」  銀行員が伝えに来た。その表情は強ばっているようにみえるし、二人の令嬢をため つすがめつ見つめるような視線があった。 「そうか。ん、どうしたんだ?」 「い、いえ。何でもありません」  銀行員が示した態度、その疑問は外へ出てみれば、すぐに氷解する。  ロールス・ロイス・ファントムY。  その雄姿を目の前にすれば、誰しも畏敬の念を抱くのは当然であろう。ベンツやB MWなどはちょっと金を出せば誰でも手に入る時代、オーナーユーザーが増えて物珍 しさも失せて、ステータスシンボルとしての価値はほとんどないに等しい。  それに比べて往年の名車でありながら、実用走行可能なファントムYは、世界で もこれ一台といってもいいだろう。なにせガソリン代や整備点検料、輝くボディーを 維持するため定期的に行っている車体塗装など、ベンツが買えるくらいの維持費が毎 年かかっているのだ。 「これが噂に聞くロールス・ロイス・ファントムYか……まさしく真条寺家のご令 嬢だな。さすがだ」  梓が出てくると、いつものように後部座席を開けて乗車を促す石井。 「先に寄るところがあるからね」 「かしこまりました、お嬢さま。支店長は助手席にお願いします」
     
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