梓の非日常/第六章・ニューヨークにて
(七)りんどうの花言葉  数ヶ月前に遡る。  学校から帰ってきて自室で着替えている梓。  その着替えを手伝っている美智子だが、顔色が悪く具合が悪そうだ。 「美智子さん。大丈夫ですか?」  気がついた梓が心配そうに表情をうかがう。 「いえ。大丈夫です」  脱いだ衣類を受け取ってワゴンに乗せ、押して行こうとした時だった。  その場にうずくまってしまったのだ。 「美智子さん!」  駆け寄って額に手を当てる梓。 「ひどい熱だわ。誰か、来て!」  悲鳴にも似た甲高い梓の声に、メイド達が大慌てで集まってくる。 「お嬢さま、どうなさいましたか?」 「誰か主治医を呼んで来て頂戴。美智子さんが病気です」 「かしこまりました」  ルーム・メイドの一人が医者を呼びにいく。 「お嬢さま……私は……」  美智子が弱々しくこたえる。 「今日は部屋に戻って休みなさい。これは命令です。いいですね」 「は、はい。わかりました」 「美鈴さん。美智子さんを部屋に連れていって看病してあげてください」 「かしこまりました」 「明美さんは、麗香さんを呼んできて」 「はい」  やがて麗香が梓のところにやってくる。 「美智子さんのこと聞きました」 「仕事の前の打ち合わせで、気がつかなかったのですか? 美智子さんの具合が悪い こと。ただ仕事の分担の打ち合わせするだけでなくて、メイド達の健康状態をチェッ クするのも麗香さんの役目でしょう?」 「もうしわけありません。配慮が足りませんでした」 「麗香さん。メイドのローテーションに問題があるんじゃなくて? 病気だというの に無理して働いたりして、きっと自分が休むと他のメイド達に迷惑かけるって思った んでしょうね。本当は休日なのに出てきている時も、たまに見掛けます。あたしが指 摘すると部屋に戻りますが。美智子さんは一番頭だから、自分が休んだら迷惑かける と思っているんでしょうね。そんな職場環境は改善しなければなりません。休日はち ゃんと取れて、仕事のことを完全に忘れて身体を休められるように、メイドを一人増 やしてください」 「わかりました。メイドを一人増やします」 「それと、麗香さん。あなた自身もです。お休みの日は、ちゃんと身体を休めていま すか? 少し疲れているんじゃない? よく気がつく麗香さんが、こんな失態を犯す とは思わないから」  思わず苦笑する麗香。 「大丈夫ですよ。わたしは、メイド達と違って肉体労働がありませんから。御髪を解 かしたりして、お世話してさし上げてる時間が幸せと感じているんです。疲れも取れ てしまいますのよ」  二人の会話を聞いていた明美は、お嬢さまが使用人思いの素敵なご主人であること に感動し、メイドとしてこれからもしっかりとお嬢さまのお世話をしようと心新たに したのである。  翌日。  美智子の部屋、美鈴が花瓶に青紫色の花をいけている。 「きれいな花。リンドウね」 「あら、目が覚めたのね。気分はどう?」 「少し楽になったわ」 「お嬢さまが、学校の帰りにわざわざ花屋さんに寄って、買ってきてくださったの よ」 「お嬢さまが?」 「正確にはエゾリンドウって言うそうよ。花言葉知ってる?」 「気遣う心、でしょ」 「そう、身体を気遣いなさいというお嬢さまの心遣いよ」 「お嬢さま、やさしいから……」 「とにかく休息をとることが肝心ね」  開いていたドアをノックして、明美が入って来る。 「美智子は、頑張り過ぎなのよ。でもこれからは、少し楽になるわよ」 「明美、お嬢さまの方はいいの?」 「うん。ピアノのお稽古の時間だから」  しばらくすると開いたドアから、ピアノの旋律が聞こえてきた。 「楽になるってどういうこと?」 「お嬢さまが、麗香さんにメイドを増やすように指示してたのよ」  梓が麗香を叱責していたことを一部始終話す明美。 「お嬢さまが麗香さまを叱るところなんてはじめて見たわ」 「麗香さまを叱れるのは、この屋敷ではお嬢さまだけだものね」  ピアノの旋律に耳を傾けながら、使用人思いの自分達の主人に思いをはせるメイド 達であった。  それから数日後。 「成瀬かほりです。よろしくお願いします」  一般のメイドの中から選りすぐられた新しい専属メイドが梓に紹介された。  顔を見合わせて微笑む美智子達。  再びブロンクス屋敷。  梓のピアノの旋律が聞こえている。 『ん……いろいろ思い起こせば、やっぱりお嬢さまはやさしい』 『わたし達の事を大事に思ってくれているよね』 第六章 了
     
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