思いはるかな甲子園
■ 梓、投げる ■  梓がきてからというもの、身をいれて練習に励むようになった部員達。  梓にいいところを見せようという不純な動機はみえみえだが、それはそれでよしと して、あえて問わないことにされた。  グランドの隅で、控え捕手の田中宏と投球練習している順平のそばに梓が歩み寄っ てきた。 「ねえ、順平君」 「何でしょう?」 「ボクにも投げさせてくれない?」 「え! 梓ちゃんが?」 「うん」  とにっこりと微笑んでみせる。 「しかしねえ……」  その時、山中主将が歩みよってくる。 「どうした?」 「梓ちゃんが投げてみたいっていうんですよ」 「梓ちゃんがか」 「一度投げてみたかったんだ、ボク。おねがい」  と、両手を胸の前で合わせて拝むようなポーズを取る梓。 「まいったなあ」  山中主将、頭をかいている。  いつのまにか、他の部員達も集まってきていた。 「キャプテン。いいじゃないですか、投げさせてみたら」 「うん。どうせならマウンドから打者を入れて投げさせて欲しいな」 「バッティングピッチャーやりたいの?」 「うん。お願い」  精一杯の笑顔を見せる梓。 「しょうがないなあ。でも三球だけだよ」  可愛い顔でお願いされては、山中主将もかたなしといった表情で許可せざるを得な かった。  バッターボックスに打者を立たせて、マウンドに登る梓。  山中主将が、打者の安西清に耳打ちする。 「いいか、相手は女の子なんだからな」 「わかってますよ。間違っても梓ちゃんのところには打ちませんよ」 「ああ、万が一でもかわいい顔にボールをあてて傷つけたら大変だからな」 「まかせてくださいよ」  といってバッターボックスに入る。  捕手の熊谷大五郎がおおげさなジェスチャーでミットを構えて見せる。  正捕手は山中主将であるが、バッティングピッチャー相手には熊谷が受け止める。 「梓ちゃん。ここだよ、ここね」  ミットを構えて右手でそのど真ん中を指し示す熊谷。 「はーい」 「おい、安西」  そして打者に声を掛ける。 「なんだよ」 「わざと空ぶりなんかするなよ」 「馬鹿、そんな梓ちゃんの機嫌をそこねるようなことするわけないだろ」 「それならいい」  梓、ゆっくりと投球モーションに入る。 「ん……?」  投球モーションを見て驚く山中主将。  右手投げ、アンダースローの体勢は、しっかりとしたフォームをしており、プレー トを踏んでいる右足を支点としての重心移動には、実に滑らかで寸分のよどみもなか った。  梓の手を離れて、ボールは円弧を描いて捕手のミットに吸い込まれた。 「馬鹿な!」  驚いたのは山中主将だけではない。捕手も打者もが魔法を見せられたように呆然と していた。 「おい、今の……」 「あ、ああ」  ボールの返球を催促する梓に返球する熊谷。 「じゃあ、後二球ね」  第二球目。 「やっぱり、カーブか?」  第三球目。 「三度も見逃す俺じゃねえ」  しかし、バットは宙を切り、ボールはミットに吸い込まれていく。 「スライダー!」 「馬鹿なこの俺が三振だなんて」  信じられないという表情でバッターボックスから離れる安西。  全員が狐につままれたような表情をしている。 「ねえ。梓ちゃん、もう少し投げてみてくれないかなあ」  我に返った山中主将が進言した。 「いいよ」  代わってバッターボックスに入る郷田。 「おい。今度は、ちゃんとミートして打ち返してみろ」  山中主将が声を掛ける。 「わかりました」 「ただし、梓ちゃんのところだけには飛ばすなよ」 「わかってますよ」  ゆっくりとしたモーションで投球する梓。  球はまっすぐど真ん中コースを進んでいく。  球速が遅いのを見越してじっくりためてからバットを振り降ろす郷田。  バットは真芯をとらえ、球は梓めがけて直撃する。 「しまったあ」 「いかん!」  打球は梓を直撃するコースで飛んでいく。 「梓ちゃん、よけて!」  全員が悲鳴のような声を出して叫ぶ。  内野手全員が、梓をかばうがために一斉にマウンドに駆け寄っていく。  梓は、迫り来る球に対して、目をカッと見開いたかと思うと、パシッとそれをグラ ブで受け止めて、軽やかなフォームでボールを一塁へ送球しようとする。がしかし、 一塁はがら空き、ファーストはすぐそばにいた。これでは投げようにもなげられない。 「しようがないなあ……」  日が暮れはじめている河川敷き野球部グランド。  帰り支度をはじめている梓。 「じゃあ、キャプテン。後よろしくね」 「ああ、ごくろうさま」 「なんだ、もう帰るのか」  武藤が尋ねた。 「うん。今日はお父さんとホテルで食事なんだ」 「ふうん。親娘水入らずってやつか」 「それに最近うるさいんだ。女の子があんまり遅くまで部活するのよく思ってないみ たい」 「そうか、一人娘だもんな」 「うん。じゃあね」 「またな」  グランドを立ち去る梓に視線を送っている部員達。 「女の子はいいですね。早引けできるから」 「あたりまえだ。風紀委員長の神谷さんに知れたら、また一悶着ものだぜ。生徒会規 則のえーと……何条だったかな」  頭を抱える木田に、順平が答えた。 「第二十二条の第四項、クラブ活動における女子生徒に関する条項ですよ」 「おお、それそれ。女子生徒は午後六時以降は顧問教諭の許可を受け、なおかつ午後 八時以降の活動を禁止する……てやつだ」
     
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