思いはるかな甲子園
■ バイトはじめ ■  梓宅のリビング。  ファミレスから戻って来て、母親と午後のティータイム中の梓。 「採用されて、良かったわね」 「でも不思議なのよね。ウェイトレスの方はもちろん、お店の方もみなさん、丁寧な 言葉遣いしていたの」 「サービス業なら当然ですよ。お客様との応対の仕方や言葉遣いはそう簡単には身に つくものではないから。まず上司が自らお手本を示してあげているのよ。普段から敬 語なんて使う事ないし、教えられる事もほとんどないですからね。梓ちゃんにだって、 まだ教えた事ないでしょ」 「そりゃそうだけど……」 「敬語には、尊敬語に謙譲語、そして丁寧語とあって、適時適切に使い分けるのは非 常に難しいのよ。だからお店の中にあっては、どんな関係でも敬語を使って、常日頃 から慣れ親しませるように心掛けているわけよ。例えそれが業務報告であってもね。 良い機会だから敬語の使い方を勉強してらっしゃい」  アルバイト当日になった。今日は日曜なので、アルバイトの半数が入れ代わりでや ってくるはずだ。  十時以前に出店して内外の清掃をする専門のバイトたちによってきれいにされたフ ロアに、ユニフォームを着て立ち並ぶ従業員。その中に新人の梓と絵利香がいる。  二人は、就業規則にある女子高生の勤務範囲である、開店の十時から午後五時まで のスケジュールになっている。これは帰宅の問題と、勉強を疎かにしてはいけないと いう意向があるからだ。  マネージャーが二人を紹介する。 「今日から新しく入りましたアルバイトの方を紹介します。こちらが、真条寺梓さん」 「真条寺梓です。よろしくお願いします」 「そちらが、篠崎絵利香さん」 「篠崎絵利香です。よろしくお願いします」 「二人とも友達同士です。みなさんとも仲良く楽しい職場になるよう指導してやって ください」 「わかりました!」  従業員達の明るい返事。  はっきりと明瞭な挨拶は、サービス業においては、いの一番に教えられる重要項目 である。暗い表情していたり、聞き取れないような小声を出していれば、即座に注意 される。 「真条寺さんには、二時までキャッシャー、以降の五時まではフロアを担当してもら います」 「わかりました」 「三園さん」 「はい」 「あなたは真条寺さんについてあげて、いろいろ教えてあげてください」 「わかりました」 「篠崎さんは、真条寺さんとは逆に、二時までがフロア、以降五時まではキャッシャ ーをお願いします」 「わかりました」 「篠崎さんのことは、大川さんについてもらいましょう」 「はい。かしこまりました」 「それでは、お客様への五ヶ条を斉唱致しましょう。明るくはっきりとした声を出し ましょう」  店内からは陰になって見えない天井の張り出しに掲げられた額に入った五ヶ条清訓 を、読み上げはじめるウェイトレス達。 「一つ……」  どこのサービス業でも、就業前には大概やっている業務の一つである。  お客との応対には、明瞭な声を出す事が求められる。それを就業前の斉唱によって、 自然に声が出るようにするわけである。
     
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