死後の世界と民族の神話
死後の世界観と宗教
 人類が猿から進化して、二本足で直立して歩き自由になった手を駆使して武器を手に入れ、地球上の覇者となったとき、もはや人類にかなう動物は存在しなくなった。そこでやむなく神は、人類の身体の内に介在する精神にたいして、敵をおつくりになった。それが霊的なるものの存在の発生であった。 大脳生理が発達するにつれて、人類は感情を持つにいたり、かつ想像力を豊かにした。それが身体と霊魂の存在という二分化の考えを押し進めることとなった。
 太古のむかし、猿から進化したばかりでまだ人類が小さな群を作って生活をしていたころ、彼らを恐れおののかせる唯一のものが、夜になり襲い来る深遠の闇であった。風にそよぐ樹々の葉がたてる音、遠くから響く物音、獣達の遠吠え、闇に閉ざされた世界の中では、周りの状況が見えないだけに、彼らの想像力をかきたて恐れおののくには十分な環境であった。眠りにはいり、無防とならざるをえない闇の時間、人々は肌を寄せあってじっと夜の明けるのをただひたすら待ち続けた。
 やがて<火>を手に入れ自由に扱えるようになった時、闇を蹴散らす神聖なものとしての、<火>にたいする信仰がうまれる。信仰がさらに体系づけられて祭義となり祭義を専門職とする祭司(巫女)が登場する。祭司は呪術をつかって、悪霊が巻き起こすと考えられていた災いや疫病を追い払った。その一方で闇にうごめく霊なるもののの正体を解明し、後の人々に伝える伝承者でもあった。
 歴史は進み農耕文化の発生とともに、小さな群れどうしが集まりより大きな群れとなって、民族と呼ぶ大きな集団が出来上がった。農耕はさらに、大地と恵の信仰を起こし、祭司の重要性はさらに飛躍的に増大し、巨大な権力すら持つようになった。
インドの神話


リグ=ヴェーダ
 紀元前13世紀ごろインドに侵入居住したアーリヤ人が起こした婆羅門教の聖典<Veda>4集のうち、賛歌の集成書<RgーVeda>のことをいう。その中に登場する神々(閻魔を含む)の神話や、魔神、妖精などの記述が登場するものとしては、世界最古の文献といえる。  本章のほか、ブラーフマナ<Brahmana>(祭義書)、アーラニヤカ<Aranyaka>(森林書)、ウパニシャッド<Upanisad>(奥義書)などの諸文献がある。特に、ウパニシャッドは、宇宙の最高原理<brahman>ブラフマン(梵)と、人間の本体である<atman>アートマン(我)との探究が深められてついには一致することを説いている。すなわちこれを極めたものは、死後も輪廻転生の境涯を解脱して、客観的に存在するとされる梵界に到達するという。
アヴェスタ
 ゾロアスター教の経典<Avesta>予言者ゾロアスターがペルシャ在来のマズダ教を改革した思想によって、祭司であるマギの間に伝承したものを収録したもの。アヴェスタ語というインド・イラン語系の言語で記述されているが、ヴェーダ語とは密接な関係があり、アーリア人のもつ言語の一方言であったと考えられる。ヤスナ・ヤシュト・ヴィデーヴダートの3部構成になっている。神々の神話や悪魔や疫病退散の方法などが記されている。
 アレクサンダー大王や後のイスラム教侵入によって散失し、原典の1/4しか残っていない。
 閻魔
サンスクリット語<Yama>ヤマの漢音訳。炎摩、夜摩などとも音写される。古代インドの聖典<リグ・ヴェーダ>においては、人類最初の死者、天上の楽土の王者として明確に記述されている。ところが叙事詩<マハーバーラタ>では、恐ろしい死神と考えられ領土も天上から地下へと移されている。一般的に鬼界の王、地獄の支配者、人間の行為の審判官といった概念を持たれている。マハーバーラタの主要部分が成立したのは仏教がもっとも勢力をのばしたマウリア朝アショーカ王時代のころである、浄土と仏陀の思想をつらぬくため、同様の思想上にあるえん魔が貧乏くじを引かされ、地下へと引きずり降ろされてしまったのかもしれない。と、これは筆者の推測である。
 阿修羅
インドの民間信仰上に想定される魔族<Asura>ヴェーダ神話に登場する阿修羅は、本来悪魔という概念はなくきつくて近寄り難い性格から、一般の神々<deva>から区別された一群の神の呼称として扱われていた。それが後に、凶暴な性行を加えてくるようになり、悪鬼・魔族の総称として用いられるようになった。
アヴェスタ神話に登場するアフラ<ahura>と同一と見られている。
 魔羅
サンスリット語<mara>マーラ、略して魔ともいう。悪魔、邪神。 語義は<殺す者>という意味である。仏教において、人命を害し、仏や弟子達を悩まして善事・善法を妨げる悪鬼神。魔王を<波旬>といい、欲界の第六他化自在天の高所に居住するという。
 地獄
閻魔王、ヤーマラージャ<Yamaraja>が支配する世界。原語にあたるサンスクリット語のナラカー<Narakah>はいとわしいもの、苦しいものを意味するが、地下の暗黒は苦界の連想をいだくからであろう。ラテン語で地獄を意味するインフェルヌス<Infernus>も地下の世界を表している。これらはおもに埋葬の風習からきているものと考えられている。
旧約聖書では、悪しき者がいく死後の世界として、ヘブライ語のシェオール<Sheol>が使われていたが、地獄というよりも眠り、忘却そして、沈黙という<忘れの国>という観があった。それがやがて新訳聖書にいたって、ゲヘナ<Gehenna>という永遠の焦熱地獄の考えが登場するようになる。
 浄土
サンスクリット語で<Budahadahatu>ブダハダハーツ(仏国)もしくは、<Buddhaksetra>ブダハクセトラ(仏刹)と表され、衆生救済の誓いをたてて悟りを開いた仏陀が建設したとされる、清浄な国土のこと。英語訳は<Pure Land>
 極楽
サンスクリット語で<Sukhavati>スハーヴァティーと表する、楽<sukha>、有<yati>の意味があるので、極楽と訳されている。
本来<sukha>にはいかなる肉欲的快楽の意味は有してはいない。
阿弥陀経において<これより西方十万億の仏土を過ぎて世界有、名ずけて極楽という……>とあり、金銀、瑠璃などの家宝でできた宮殿楼閣があるとか、底に金沙がしきつめられ八徳功水で満たされた七宝の池があったり、白鵠や孔雀などの鳥が和雅な音を出して飛びかっているという。だがこれらの描写は、決して物質的欲望を述べているのではなくて、そういった風・池の音、鳥のさえずりも<五根、五力、七菩提分、八聖道分、是の如き法を演暢す>と結んでいるようにすべては仏事を行じているのである。
ところがなかには、七宝の家に住み、美味な食事、豪華な衣服、金銀財宝よりどりみどり、生活の苦労がまったくなく女においては、妊娠すらしないという、欲望だけが広く世間に流布されている場合もある。
 サンスカーラ
 サンスクリット語<Sanskara> 浄化し完成することを意味する。
 転じてヒンドゥー教が家庭内で行う儀式を意味するようになった。
 再生族(ブラーフマナ、クシャトリヤ、ヴァイシャ)といった上流階級だけが行えるが、数ある儀式のなかでも、ウパナヤナ(入門式)と呼ばれる、アーシュラマの第1期にはいる儀式がもっとも重要であり、これにより、宗教上の生命を得て再生することができる。
エジプト神話

 オシリス
 Osiris 古代エジプト神話の幽界の王。神々の父ラーの昇天後、エジプトの<良き王>として全国をまわって人民を裁き、神々を拝することと、農耕を教えた。弟セットはこれをねたみ兄を殺して国を奪い、その死体を棺に入れてナイルに流した。棺はシリアのビブロスに漂着してヤナギの木に包まれたまま、その地の王宮の柱にされた。その妹で妻のイシスが苦心してこれを捜しあてエジプトに持ち帰ったが、セットは再びこれを奪って死体を寸断して、全土にまき散らした。イシスはこれを拾い集めて麻布につつんで(最初のミイラ)息を吹き込んで復活させた。その子ホールスは成長して父の仇をうち、復活したオシリスは幽界の王となった。
 イシス
 Isis 古代エジプトにおける最高の女神。天の神ヌートと地の神ゲブの娘で、兄のオシリスの妻となり、ホールスを産む。最高神ラーの秘密の名前を知ることによって、神々の最高位についた。大母神としてのイシス崇拝は、バビロニアのイシュタルと同じように、エジプト全土に行われ、早くからシリア、クレタをはじめ、ギリシャやローマにまで伝わった。帝政期のローマにはイシスの神殿が栄え、幼児ホールスを抱くイシスの像は、イエスを抱く聖母マリアの原型といわれる。
 マート
 古代エジプトの神<Ma'at>で、 正義、真理、おきての女神。彼女のシンボルはダチョウの羽根で、同時に真理をあらわし、オシリスの審判で人間の魂の秤となっているが、これは地上で最も軽いもので、人間の心はそれよりさらに軽くなければならない(罪によって重くなる)ことを示すという。
 死者の書
 古代エジプトにおいて、死者を墓に葬る時、死後の世界における死者の案内書ともいうべき役目をするために、遺体とともに葬った一種の死者の教書。仮の現世から永遠の真の彼岸の世界に安住するにいたる方法や、彼岸に入ったものを脅かすと思われるあらゆる脅威をのがれるための呪文や誓約文がしるされてある。古代エジプト人はこの種の書を<日ごとにあらわれくる書>といい、現今では仮に<死者の書>と学者はよんでいる。第18王朝時代(1567〜1304BC)にほぼ成立し、現在集成されて190章にのぼる。だいたいにおいて、幽界の王であるオシリスの前で、アヌビス神が死者の心臓とマートを天秤にかけている図が描かれている場合が多い。古代エジプト人の来世観を知るための貴重な資料である。
 また挿絵として見る場合、世界最古の美術的作品ともいえる。
 アヌビス
 Anubis 古代エジプトの神。死者の魂をオシリスの審判の広間に導く神で、このため<門を開く者>とよばれ、すべての<死者の書>に登場する。幽界の王オシリスの息子であり、墓場の守神とされているが、彼に関する説話の示すごとく、死体をあらすジャッカルの神格化であろうとされている。


バビロニア神話

 ギルガメッシュ叙事詩
世界最古の叙事詩。ウルクの王ギルガメッシュ(Gilgamesh)の功績をうたった古代バビロニアの英雄詩。生と死という永遠の問題をテーマにしたバビロニア神話文学の逸品であり、ウル第3王朝時代(2050〜1950B.C.ごろ)にその原型が作られたものと推定される。
英雄ギルガメッシュは、ウルクの城壁を建てるのに人民を酷使したので、神々は訴えによって怪物エンキドゥEnkiduを送ったが、戦いを終えた二人は逆に無二の親友となる。彼らは<杉の山>に遠征して怪物クンババを倒し、人々を救った。凱旋したギルガメッシュに女神イシュタルが愛をささやくが、これを拒んだことにより呪いをかけられて相棒のエンキドゥは死んでしまう。彼はこの世に限りがあること、人生のむなしさを悟り、不死の薬草を求めて旅にでる。
太陽神シャマシュや女神シドゥリは、むなしく放浪する王をあわれんで、永生は神のものであり人間は創造以来死すべき運命にあるのだから、許された間だけ生を楽しめと教える。しかし彼は<聖者の島>に渡って、人間として唯一不死を許されたウトナピシュティムに会って永生の秘密を問う。聖者(バビロニアのノア)は神々のくだした大洪水をいかにまぬかれたかを彼に語り、死を越えるためにはその双生児である眠りを克服せねばならぬと教えるが、彼は7日6夜の不眠の試練に絶えられずに眠ってしまう。聖者は彼を哀れんで大洋の底にある不老不死の薬草のありかを教え、彼は海底に潜ってついに<老人を若くする>薬を手に入れる。彼は故国の人々にもこの幸福をわかつために帰途につくが、泉で水を飲んでいる間にへびに薬を食われてしまう。落胆した彼は、死者に生と死との秘密を聞こうと神々に訴え、冥府の主ネルガル(Nergal)は一夜亡友エンキドゥの霊を彼のもとに送る。エンキドゥの語る冥府は暗黒と塵埃の世界であった。死者は塵を食い溝の水を飲む。故国のために戦死した者だけが清水を飲むことを許され、葬られず祭られない者の亡霊は冥府にも安住できず、街路をさまよって捨てられた残飯をあさらねばならないという。


ゲルマン民族の神話

 ヴァルハラ
 ゲルマン神話でいう死後の世界。戦死した人々は、半女神ヴァルキュリヤに導かれて、主神オーディーンの天宮ヴァルハラに迎えられ酒と食物のつきない生活を送るという。その一方でほとんどの人がロキの娘女怪ヘルの統治するヘルに落ちるのが普通とされ、かの英雄ジークフリートさえここへ運ばれている。
ヤコブ・グリム
 ドイツの言語学者で民族説話学の創建者。その著書<ドイツ文典>において、ゲルマン語の子音変化から印欧語との関連を明らかにした<グリムの法則>は有名。その一方で弟ヴィルヘルムとともに集めた<子供と家庭の童話>はグリム童話として全世界で親しまれている。
 グリム童話
 グリム兄弟が根気良く集めた、ゲルマン民話の集大成。しかし、そのゲルマン民話は、その源と内容からいえば、大部分がインドのアーリア民族から生まれ伝わったものであり、幾世紀もの長い間言い伝えられていくうちに、ゲルマン的な色合いを帯びるようになったものが多い。


その他の伝承など

 天国
 一般的には、現世で清く正しく生きたものだけが、死後行くことのできる至福の国とされている。が、ユダヤ教やキリスト教においては死後の世界というより、天主(神)の支配する国という意味に使れている趣がある。
 ハデス
 Hades ギリシャ神話でいう冥府の王。クロノスの子で、兄弟のゼウスが天、ポセイドンが海、そしてハデスは地下の暗黒の王となった。
 死者はすべて彼のところに集まるが、<オデュッセイア>においては亡霊達は実体のない影で、地上での生活の影をうつろに繰り返しているという。スチュクス川をはじめ4つの死の川が流れ、忘れ川(レテ Lethe)も流れている。死者の生前の行いについて、3人の判者(ラダマンチュス、ミノス、アヤコス)が席につき、亡者を裁いては善者を楽土エリュシュオンの野に送り、悪者をタルタロスの闇に落すという。
 ケルベロス
 ギリシャ神話で地獄の門を守る恐ろしい犬。首は3つで尾は蛇。
 さいの河原
 冥土にあるという河原で、幼くして死んだ小児が苦行を強いられるところ。小児が石で塔を作ろうとするが大鬼がこれをくずし去って責めさいなむという。これは母胎にいるとき、母に多大な苦痛を与えながらも、幼くして死んでは母の恩に報えないから、その罪を問われているのだという。しかし、そんな子供達を地蔵菩薩が現れて救ってくれるという。その由来は、<法華教>方便品にあり(童子戯れに砂を集めて仏塔を造るも、みなすでに仏道を成ず)というものに地蔵菩薩信仰が合体したものだという。
 人神
 神性があるとして尊崇される生きた人間。ペルー王、エジプト王、戦前日本の天皇など、王自らを神格化することによって、絶対的君主制を維持し強大な権力を正当化しようとした。
 屈葬
 埋葬方法のうちで、遺体を折り曲げ束縛して土の中に埋める方法。
 その理由として、死霊を恐れるあまり、死者がはいだして歩きまわらないようにするため。
 天使
 神と人間の仲介者として、神意を人間に伝えたり、人間の祈願を神に伝える霊的存在。仏教、キリスト教、ゾロアスター教がこれを認めている。善天使、悪天使というものがあり、仏教では浄土を行き来する天人とえん魔に仕える天使にわかれ、またキリスト教でも悪天使としてのルシフェルは広く知られているところである。
 悪魔
 原語(Satan )サタンの意は、神にそむく者ということ。聖書では試練に敗れたルシフェル(悪魔の長)をはじめとする悪天使のことである。アダムとイブの原罪いらい、人は罪をおかす宿命にあるが、それをそそのかすのが悪魔であり、神の助力を得てその誘惑に打ち勝つことが功徳とされるため、神はこれを放置しているのだという。
 デーモン
 原語はギリシャ語のダイモン<Daimon>(ホメロスの詩に登場する神)からきている。外部から個人を支配する運命を意味するが、ヘラクレイトスでは、人間各自の内部に潜む不気味な力のことをいった。やがてそこから、魔にとりつかれたもの<Daemoniacus>という考えがおこった。ヘルマン・ヘッセが発表した<デーミアン>はここからきている。
 霊魂
 一般的に人間は霊魂と肉体との結合よりなり、この結合の分離が死滅と考えられている。また死後も霊魂は永久に知性と意志をもって生存するとされる。そして時を待って、再びこの世に転生するという考えも存在する。がためにそのときの身体を確保するためにエジプトなどではミイラが作られもした。
 死人が出たとき、鏡に写った自分の霊魂を死者がつれ去ることを恐れたため、その家にある鏡におおいをかけたり後ろ向きにしたりする風習がある。また自分の本名を秘密にしたりする場合もある。
 霊魂の科学的解明として、オーラの観察とか、人が死んだ途端体重が軽くなるという報告がある。それが正しいとすると、相対論でいうところのE=MC^2という式からして、恐るべき質量エネルギー変換能力をもった凄い奴といえよう。鉄棒を簡単にねじ曲げたり家を押し潰したりするのは朝飯前なはずだ。
 遊離霊
 霊魂観念の一種。おもに生きた身体から分離し、自由に出入りすることのできる霊魂のこと。ドイツの心理学者、W.ヴントがその著書<民族心理学>10巻において指摘した。
 人が眠っているとき、霊魂が身体から遊離すると広く信じられ、寝ている人の身体の位置を移動したり、無理に起こしてはいけないとされている。急に起こされて意識が朦朧とするのは、遊離した霊魂が身体に戻りきれなくて空白状態を作るためだとかんがえられている。また、はじめて来た土地なのに以前来たことがあるというデジャブーとよばれる現象も遊離した霊魂が体験した記憶が残っているためだとされている。
 夢
 人が眠っているときに見る特異な体験。  夢見る<私>は<私>でありながら、現実の<私>との間には断絶があり、その行動は不合理で根拠がなく奇怪きわまるものがある。これを科学的に説明するならば、睡眠時においても覚醒している神経細胞が存在し、眠りの深さによってその比率は変化する。その覚醒している神経細胞の活動が夢であり、それは人の記憶を元に再生される。その記憶とは神経細胞の連絡網によって支えられており、眠りによって各所が切断されていることによって、夢の中の行動も不条理とならざるをえない。
 精霊
 動植物や無機物に宿る人格化された霊魂の総称。
 妖精
 人間の姿をしていて、魔力をもって人に能動的になんらかの働きかけをする超自然的な存在。ケルト・ラテン民族の<fairy>、ゲルマン民族の<Elf>、ホメロスに登場する<ninf>などが知られている。だいたい人には危害を加えることは少ない。
 夢魔
 夢の中に現れて人を苦しめ、時として命まで奪う悪魔。北欧神話の<Alp>などが代表的。
 妖怪
 民族学的に信仰の普遍性が失われて零落した神々や精霊の姿をさす。その出現場所や時期が限られていて、ゆえに避けて通ることができ、特定の人を選んで出現することもない。漫画家の水木しげる氏が好んで題材としているのは有名。子泣きじじい、砂かけ婆など。
 Manes
 ローマ人の信仰で死者の名称。くわしくはディイー・マーネース<dii manes> といい、良い神の意味である。死者の霊は超自然力をもってわざわいを寄せ付けないと信じられ美しい称賛の名で呼ばれた。敵意をもった幽霊と呼ぶときはレムレース<lemures>またはラルウェア<larvae>と呼んで区別した。5月9、11、13日には幽霊が出てくるとされ、これらの日をレムリア<Lemuria>と呼んで、家の主人が真夜中に幽霊どもに後ろ向きで黒豆を投げ与え<manes exite paterni>先祖の幽霊立ち去れ、と9回唱えて追い払った。日本での節分に良く似た風習だが、ユーラシア大陸の東と西のほぼ両端で、死後の世界観に共通するものがあるというところに興味がある。元をたどっていけば、アヴェスタ・ヴェーダ神話に行き着くのではないだろうか。それを流布せしめたのは、マニ教の信者達であった。
 マニ教
 ゾロアスター教から派生した、キリスト教・仏教を合わせ持った宗教。教祖マニが残した遺書をその聖典とする。その教義は光明=善と暗黒=悪との自然的二元論を根本としている。中央アジア一帯から発展をとげ、4世紀にはローマ帝国にはいって、時のローマ・カトリック教会をあわてさせ、布教禁止令をださせるほど広まった。  13〜14世紀にかけて急激に衰えて滅亡したが、東西の宗教・文化を結びつける点で多大な影響を与えた。
 マナ
     メラネシアの宗教にみられる不思議を働く超自然的な力の観念。<Mana>

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