怪談/おつゆ

「それ、直したほうがいいわよ。ほほほ」
 彼女はきびしい一言を残し、笑いながら部屋を出て行った。

 いつもこうだ。
 俺は顔もいいし、ルックスもまあまあだと思っている。
 ちょいと声をかければすぐ女の子が釣れる。
 ただひとつの欠点というかそれが最大の悩みなのだが。

 仮性包茎。

 女はそれと知って急に態度を変えてしまう。
「臭いのよ。皮に垢がたまって不潔なの。そんなもの大事な部分につっこまれたんじゃたまらないわよ」
 冗談じゃねえよ。俺だってちゃんと毎日皮をむいて中まできれいに洗っているんだ。
「馬鹿ねえ。たとえそうでも、いつも皮かぶってるものって感じやすくなってるのよ。そうでしょ」
 そりゃ、確かに早漏の気はあるかも知れんよ。
「それにね。皮かむりの人って、一所懸命ピストン運動してもナニが厚い皮の中で前後に動くだけで、女の側はちっとも感じないの。やっぱり張りのあるナニが膣壁をこうぐいぐいやるあの感覚がなくちゃ」
 うー。それを言われるとみもふたもない。

 女が去り一人残された俺は、張り裂けんばかりになっているものを慰めるべく握った。ものの数十秒で白い乳濁色の液体が宙を飛ぶ。
「早いじゃねえか。ちくしょう」
 本物の女性とやっていれば多少は慣れて長持ちするようになるのかもしれないが、ただ慰めるだけでは、いかんせん早くなってくるばかりのような気がする。
「もしかして、このまま一生童貞で終わるんじゃねえだろうな」
 ここにいつまでもいるとインポになってしまいそうだ。
 俺は今回も交わることのなかったモーテルを後にした。
 ふと振り替えると白い城を形どったモーテルが、闇の中に浮かんでいた。
「けっ。王子様に迎えられて夢を抱くお姫様か……俺には永遠に現れないってか」

 突然、車のタイヤがパンクした。
「まったくついてねえなあ。後少しで家に着くというところなのに」
 すっかり外は真っ暗でこれではタイヤ交換などできやしない。
「しようがねえ。近くだし車を置いて、歩いて帰るか」
 そこは墓地であった。
 近道なのは墓地の中を抜けていくことである。俺は迷わずそうすることにする。

 ふと気がつくと、柳の木の下でうずくまる和服の女の姿があった。
「どうしましたか」
 俺は、その女のそばに寄って話しかけた。
「はい、持病のしゃくが起きて難儀しております」
「し、しゃく?」
 苦しそうにも振り返った女の顔を見て、俺は息を飲んだ。
 色白の肌に妖艶さを秘めた美しさが、俺を虜にして身動きすらできなかった。
「どなたかは存じませんが、すぐそこのお堂まで連れていってくれませんか。少し休めば楽になると思います」
 とおんなが指さす方向には、古びて今にも壊れそうなお堂が建っていた。
 俺は言われるままその女をお堂に運んだ。
「ありがとうございます。だいぶ楽になりました。お名前をお聞かせくださいませんか」
「新三郎といいます」
「新三郎様!」
 その名前を聞いたとたん、女の表情が変わった。
「本当に新三郎さまなのですね」
 といって女は俺の顔を改めてまじまじと見つめた。
「え、ああ。はい」
「ああ、確かに新三郎様」
 といって女は抱きついてきた。
「ええ?」
「うれしい! 新三郎様、わたしのもとに戻ってらっしゃったのですね」
 女は涙を流しはじめた。
「ちょ、ちょっと。人違いです」
 女は俺と同じ新三郎という名の男と勘違いしているようだ。
「いいえ。新三郎さまに間違いありません」
 といって俺の顔をさまざまと見つめて、その細い白い指で俺の顔をなでるようにやさしく触って、かつての感触を感じ取っているかのようであった。
「ああ……新三郎様が、帰ってきてくださった……私の新三郎様」
 うるんだ瞳で訴えかける女の表情を見つめていると、それ以上否定することはできなかった。
「以前のように私を愛してくださるのですね」
 女はそういうと腰の帯を解き始めた。

「遅かったのね」
 家に戻ると、夕食を作って待っていた妹が言った。
「また、女の人にふられたんでしょう」
「ふん。いつもそうとは限らねえぜ」
「あら、じゃあ今夜はうまくいったの」
「まあな」
「へえ……めずらしいこともあるのね」
「おまえ、俺を馬鹿にしてないか?」
「うん」
「一度、犯してやる」
「ふん。もうごはん作ってあげないわよ。洗濯も自分でやってね」
 俺が何もできないのをみこして、さんざん言いたい放題だ。
 しかし、両親を交通事故で失ってただ一人の肉親であり、可愛い妹なのだ。まだ高校生のこいつが結婚するまで、俺は面倒みるつもりだ。

 その翌日。
 俺は昨夜のことが気になって、例の墓地の中のお堂に再び行ってみることにした。妹には黙って家を抜け出した。
「こんな時間にどこ行くの?」
 と根掘り葉掘り聞かれ、しまいには一緒に付いて来るのが目に見えていたからだ。
「もしかしたらおつゆさんにまた逢えるかもしれない」
 おつゆといった彼女は俺のことを人違いしている。結局最後までいってしまい、俺は男としてのはじめての体験をさせてもらった。思い出しただけでも下半身がまたむずむずする。
「おまえは人違いを利用するつもりなのか?」
 自問自答してみるが、欲望のほうが強かった。
 あらためて見るお堂は相変わらずさびれたまま苔むしている。
「俺はここで昨晩おつゆさんと……」
 その時、墓地の茂みの方から、カラーンコローンというげたの音が響いてきた。やがてぽっと浮かびあがる灯篭のあかり。
 誰かがくる!
 灯篭を片手にささげ持ち、着物姿もなまめかしい怪しげな女性が、げたの音も高らかに静かに歩みよってくる。
 それはまさしくおつゆさんであった。

 階段を勢い良く駆け上がってくる足音がしたかと思うと、妹が俺の部屋に飛び込んできた。
「お兄ちゃん!」
「なんだよ、血相をかえて」
「お兄ちゃん。昨日の夜誰とあってたのよ!」
「誰って……おまえ」
「墓地にあるお堂で、女の人と逢っていたでしょう」
「なんで知っているんだ。さては後をつけてたな。おまえ覗きもするのか」
「そんなこと、どうでもいいじゃない。それより、あの女の人が誰だか知っているの?」
「おまえ知っているのか」
「知っているも何も、あたし気になったから後をつけたのよ。そしたら」
「ああ、人の恋路を邪魔するとたたられるぞ」
「そ、そうよ。たたられているのよ」
「誰が」
「お兄ちゃんよ」
「なんだって……」
「あの人の後をつけていたら、墓の中にすっと消えちゃったのよ」
「墓の中に?」
「あの人幽霊なのよ」
「まさか……」
「本当なのよ。信じたくないのはわかるけど」

「ほほう、確かに邪悪な霊にみいられているようじゃのう。このままではいずれ、精気をすべて奪われておぬし命を落すぞよ」
 その霊媒士は不気味な笑いを浮かべて言った。
「どうすれば霊を払うことができるんですか」
 妹が心配そうに尋ねた。
「簡単じゃよ。このお堂に三日三晩こもってその女の誘惑を退ければ、諦めてあの世に戻っていくじゃろう。ほれ、このお札を戸口に貼っておれば、邪悪な霊は近付くこともできまいて」
「大丈夫でしょうか」
「まあ、万が一ということも考えて、お主の身体に経文を書いておけば万全じゃよ。中に踏み込まれてもこの経文がお主を守ってくれる。姿を見えなくし、強力な結界を張って主に触ることもできん。どれ、経文を書くから裸におなり」
「ええっ! 裸になるの?」
「服を着ていたらだめなんじゃよ。経文は生きたものにしかきかない、服に経文を書いても無駄なのじゃ。直接素肌に書かないとな」
「あの……パンツも脱ぐんですか」
「当り前じゃ」
「ちょ、ちょっとどこ触っているんですか」
「馬鹿もん! 一番肝心なところに書かなんでどうする」
 霊媒士は、俺の息子をいじくり回しながら、経文を埋めつくすように書いていった。

 カラーンコローン
 と無人の墓に響きわたるげたの音。障子を通して入ってくる牡丹灯篭のあかり。
 今夜もおつゆはやってきた。

 げたの音は、お堂の手前で止まった。
 かたかたと音をたてて揺れる障子。
 かと思うとツーと音もなく障子は開いておつゆは中に入ってきた。
 なぜだ。悪霊を寄せ付けないお札じゃなかったのか。それともおつゆは悪霊じゃないというのか。
「新三郎さま、どちらにおいでですか」
 万が一を考えてほどこしていた全身の経文がきいていて、おつゆには新三郎の姿がみえないらしい。それでも、新三郎の気配を感じ取っているのか、
「新三郎様、お姿が見えませんがそこにおいでなのでしょう」
 部屋をぐるぐると探し回っている。

 新三郎の脳裏に、おつゆとの逢瀬の記憶が蘇ってくる。
 その妖艶な肢体と身のこなし方は、幽霊と判ったいまでもなまめかしい。

 その時、下半身に異様な雰囲気を感じて薄目を開けて見ると、おつゆがぼっきした自分のものを、いとおしそうにさすっている。
「しまった!」
 仮性包茎の皮がむけて露出したその内側には経文が書かれていない。暗闇の中にぽっかり浮かぶあがるそれ自身に、おつゆが気づくのも当然であった。
「新三郎様。こんなところにいらしたのですね
 おつゆはそれをしっかり口に食わえ込み、
「ああ、よかった。姿が見えなくてもいいです。わたしをお捨てにならないで」
 そして新三郎に馬乗りの格好になり、その怒張したものを自分にあてがいゆっくりと腰を落していった。

エピローグ

「どういうことよ、これ!」
 あたしは憤慨して、霊媒士に詰め寄った。
「邪悪な霊を近付けないんじゃなかったの?」
「だからいっとろうが、このおつゆさんは邪悪な霊ではなくて、ただただ新三郎に恋焦がれるごく普通の幽霊なんだって」
「十分普通じゃありませんよう。どうするのよ、これから」
 あたしは無事戻ってきたお兄ちゃんに詰め寄った。
「どうするったってなあ……」
 お兄ちゃんのそばにはやさしく微笑んで正座しているおつゆさんが寄り添っている。事の次第が露見した今、わざわざ隠れて逢う必要もなくこうして堂々とあたし達の前に現れている。たいした幽霊さんだ。それからお兄ちゃんは、どうやらおつゆさんが慕っていた過去の新三郎の生まれ変わりだそうだ。おつゆさんにとっては、新三郎様には違いないそうで。
「わたしは、ずっと新三郎様のおそばにいたいと思います。でないとわたし……」
「怨んで化けてでてくるそうだ」
「ちょ、ちょっと脅かさないでよ」
「とにかく俺はこのおつゆさんと、一緒に暮らすことにした」
「ほ、本当に幽霊と暮らすっていうのお」
「本気だ」
「もう……勝手にしてよ」

 というわけで、おつゆさんとの奇妙な共同生活がはじまった。
 おつゆさんは幽霊なので、さすがに太陽のある昼間には墓の中に戻っていて、夜になって日が暮れて、生暖かい風とともに現れてくるのである。
 草木も眠る丑三つ時。
「ああ……新三郎様」
「おおう、おつゆ」
「いけない、そこはだめ。あっ、あっ」
「ふふふ、こうか」
「新三郎様あ」
 お兄ちゃんとおつゆさんとのひそやかな声が夜の静寂にこだまします。

 朝になります。
 といっても今日は寝坊してもうお昼近い時間です。
 眠い目をこすりこすり、台所にいくと夜の間におつゆさんがこしらえてくれた朝食が食卓に並べられています。それだけではありません。廊下はきれいに雑巾がけされてぴかぴかに輝いていますし、汚れ物もあとは干すだけという状態に洗濯されています。
 今まであたしがやっていたことを、代わりにやってくれているのです。
「ふ……助かりはするけどね」
 しかし幽霊と暮らしているなんて世間に知れたらと思うと気が気ではありません。あたしの結婚だって破談になるかもしれないじゃないの。いえいえきっとそうです。
「何を悩んでらっしゃるのですか?」
 突然、背後から声がしておどろくあたし。
 振り返ると、おつゆさんが立っている。
「ちょっとお、今は夜じゃないわよー。早く墓に戻りなさいよ」
「それが、戻れないんです」
「どうしてよお。幽霊は昼間でてきちゃいけないのよ」
「わたしにもわかりません。でも……」
「でも何よ……」
 おつゆさんは、あたしの耳元でささやくように言いました。
「新三郎様の子供ができたみたい……」



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