銀河戦記/鳴動編 第三部 エピソード集
王太子誘拐
銀河帝国首都星アルデランの中心部に燦然と輝いてその豪華さを誇るアルタミラ宮殿。
その宮殿の内の謁見の間では、御前会議が行われていた。
立憲君主制を敷く銀河帝国では、皇帝の権限は絶大であった。
政治においては自ら選んだ貴族や大臣達に命令を下していた。
銀河帝国内には直轄領と自治領とがあり、直轄領は大臣達に、自治領は皇家御三家と呼
ばれる皇族に政治を委ねていた。
ロベスピエール公爵家のウェスト公国、エルバート侯爵家のサセックス候国、そしてハ
ロルド侯爵家のアルビエール候国、これが皇家御三家と呼ばれる自治領である。それぞれ
に自由惑星連合、トリスタニア共和国同盟、バーナード星系連邦との国境を守っていた。
さらに直轄領や自治領内には、伯爵以下の高級貴族が治める委任統治領と呼ばれる制度
もあった。
御前会議とはいうが、大臣達や貴族達によって議論がなされるのではなかった。皇帝が
前回の会議で命令を下した内容の報告・確認が主となっていた。
一人の大臣が中央に進み出て報告する。
「アレクサンダー王太子とマチルダ皇妃がお召しになられた皇族専用お召し船【ビントウ
ィンド】は、当初予定のコースを通って、アルビエール候国から本国に入る頃かと思われ
ます」
父親であるハロルド侯爵家の元に里帰りして、出産と静養を続けていたマチルダ皇妃が、
皇帝の男子であるアレクサンダー王太子を連れて、帰還の途についていたのである。
当初予定のコースとは言ったが、もちろん大臣と護衛を担当する将軍だけが知っている
最重要機密事項であった。
……はずであったのだが……。
「一大事です!」
と、謁見の間に青ざめた表情で飛び込んできた臣下がいた。
「何事であるか!」
大臣の一人が問い返した。
「アレクサンダー王太子がお召しになられているビントウィンドが海賊艦隊に襲われてい
ます!」
「海賊艦隊だと?」
真っ青になって、思わず勢いよく立ち上がる皇帝。
「くわしく報告しろ!」
数日前のことである。
アルビエール候国首都星サンジェルマンの宇宙港の皇家専用発着場に、ビントウィンド
が停泊している。
宮廷の方から侍女達に囲まれて、アルビエール侯爵家の候女であるマチルダ皇妃が出て
くる。両腕で大切そうに抱えているのが、銀河帝国皇位継承権第一位となっている生後三
ヶ月のアレクサンダー王太子である。
もう一人、女官長に抱かれた皇帝の次女にあたるマーガレット王女の姿もあった。
銀河帝国皇家においては、皇位継承権として男子に優先権が与えられていた。直系尊属
男子、三親等内傍系男子、直系尊属女子という順位で継承が行われていた。それがゆえに、
アレクサンダー王太子とマーガレット王女は、双子であるにも関わらずその処遇に圧倒的
な相違があったのである。マチルダ皇妃がアレクサンダー王太子の方を抱きかかえている
のも至極当然のことだったのである。何せ次世代の皇帝陛下となられる身分のお方なので
あるから。
ビントウィンドのタラップの前で、ハロルド侯爵がしばしの別れの挨拶を述べている。
「くれぐれも身体に気をつけて、王太子を一人前の良き皇太子としてお育てするのだ。よ
いなマチルダよ」
「はい。父上さま」
「儂も、今まで以上にアルデランを訪れることにしよう」
「ありがとうございます。首を長くしてお待ちいたしております」
自治領を治めなければならないハロルド侯爵にとっては、そうそう国を離れるわけには
いかないし、絶大なる権力を持つ皇帝のお膝元アルデランを訪問することは、なかなか叶
わなかったのである。
侯爵に見送られてタラップを上ってビントウィンドに乗船するマチルダ皇妃。船に入る
前に、つと振り返って侯爵に手を振った。
侯爵もそれに応えて手を振っている。
やがてゆっくりとビントウィンドは発進した。
ビントウィンドは皇族専用の送迎用お召し船である。無骨な戦闘兵器などは一切艤装さ
れていない。
あくまでも優雅に美しいフォルムを持っており、船体には皇家の紋章が描かれている。
その内装も豪華で広々としており、まるで宮廷に暮らしているような錯覚を感じるほどだ。
侍女を従え窓の外を時おり眺めながら、ゆったりとソファーに腰を沈めて王太子をあや
したり授乳させていた。
その頃、護送艦隊の方では、一騒動が起きていた。
どこからともなく出現した所属不明の艦隊に襲われていたのである。
「海賊艦隊か?」
相手は容赦無用にして、戦闘の専門集団である。平和な国家において、戦いの経験のな
い護衛艦隊が敵うものではなかった。
たちまちに撃破され、あっという間にビントウィンドは海賊艦隊に取り囲まれてしまっ
たのである。
アレクサンダー王太子の誘拐!
それが彼らの目的のようで、ビントウィンドには一切攻撃を加えずに、進行方向を塞い
で強制的に停船させてしまった。
勇躍ビントウィンドに接舷して乗り込んでくる海賊達。
視界に入った乗員達を片っ端から殺し回って、目指す相手である王太子を探している。
「王太子を探し出せ! 他の奴らは皆殺しだ」
リーダーと思われる人物が、大声で怒鳴り散らしている。
彼らの捜索対象である王太子を抱えたマチルダ皇后は、とある場所に身を隠していた。
しかし見つかるのは時間の問題で、このままでは王太子が誘拐されてしまうのは必定で
ある。
皇后は決断した。
誘拐されるくらいなら、危険を冒しても王太子を脱出させようと考えたのである。
皇后は、緊急脱出ポットに王太子を乗せ、銀河帝国皇太子のみに受け継がれる大粒のエ
メラルドの首飾り【皇位継承の証】を、その小さな身体の首に掛けた。
王太子を乗せたポットが、脱出投入機に入れられた。
「幸運の女神ミネルバのご加護のありますように」
胸の前で手を合わせて祈る皇后と、それに倣う侍女たち。
そして神妙な手つきで、脱出スイッチを押した。
宇宙空間へと投入される緊急脱出ポット。
とても小さなそれは、戦いを繰り広げている海賊達の目には届かずに、無事に戦闘区域
からの脱出に成功した。
脱出には成功したものの、航行能力のないポットは漂流するしかない。
やがて、トリスタニア共和国同盟の方向へと、静かに流れていくのだった。
ポットの中ですやすやと眠る銀河帝国後継者、アレクサンダー王太子を乗せて……。
ビントウィンドの船内では、王太子を見つけ出せない海賊達が、やっと探し出した皇后
や侍女達を取り囲んで訊問を繰り返していた。
「王太子はどこだ?」
瞳を見開いて睨み返すように、きっぱりと答えるマチルダ皇后。
「ここにはおられません。候国に残してきたのです。この子はマーガレット王女」
「嘘をつくな! 王太子を連れて、この船に乗り込んだのは判っているのだ。痛い目に遭
いたくなかったら、正直に差し出せ」
「本当です。生まれたばかりで、まだ船旅はご無理と判断して、お連れしていないので
す」
皇后の言うことを信じられない海賊達は、さらなる徹底的な船内捜査を続けたが、一向
に見い出せなかった。
そうこうするうちに、ビントウィンドが海賊艦隊に襲われている事を知ったハロルド侯
爵が、自治領艦隊を引き連れて救援にやってきた。
いつまでもビントウィンドに関わっていられなくなった海賊達。捕まってしまえば死刑
が待ち受けている。
あわててマチルダ皇女と侍女達をその場に残して、ビントウィンドを引き払う海賊達。
不思議なことであるが、乗員達を皆殺しにした海賊達は、女性には一切手を掛けていな
かった。皇后はもちろんの事侍女たちの一人として傷一つ付けられていなかった。
こうして銀河帝国皇位継承者、アレクサンダー王太子は行方不明となった。【皇位継承
の証】も所在不明。
帝国艦隊及び自治領艦隊に捜索の至上命令が出されたが、手掛かりすら得られることも
なく、やがて捜索は打ち切られることとなった。
マチルダ皇后とマーガレット王女は無事であったが、肝心なアレクサンダー王太子がい
ないという状況となった。
しかしながら、皇帝は戒厳令を敷いて、王太子行方不明の報をひた隠しにすることにし
た。
帝国領内にまで海賊艦隊に侵入されたとあっては、皇帝の尊厳が丸潰れとなるからであ
る。
事件の詳細は報道されることなく、大臣や将軍達の胸の中にしまわれることとなった。
当然外交的にも極秘裏に処理され、トリスタニア共和国同盟には、何も伝えられること
もなかった。
しかしながら、バーナード星系連邦から特使派遣が行われ、王太子を保護しているから、
食料一千万トンと鉱物資源五十万トンとの引き換えを打診してきたのである。
当時から、中立地帯を生息地として、各地を荒らし回る海賊艦隊は、バーナード星系連
邦の回し者だとの噂があったが、公然の事実として認知されていた。連邦ではあくまで否
定していたが、その証拠が掴めないままとなっていた。
男子は軍人として、強制徴用される連邦では働き手が少なく、退役した老人と子供、そ
して学校で学ぶ学生しかいないという状況である。連邦では、生活していく食料や、軍艦
を作る鉱物資源が不足していた。
派遣特使が食料と鉱物資源の供出を要求してきたのもそうした背景があったのである。
今回の事件も、国籍登録されていない海賊艦隊を派遣して、王太子を誘拐した後に、海
賊討伐に成功して王太子を保護したからと、いけしゃしゃあと言ってきているのである。
そして食料と鉱物資源を要求する。
これが連邦側の筋書きだったに違いない。
ビントウィンドへの強襲に成功したとの報を受けた連邦使節団が、王太子誘拐にも成功
したと早とちりしたことによるすれ違い外交の顛末だったのである。
その後、連邦側は人違いだったとの答弁をして、王太子誘拐の事件は自然消滅するよう
に闇に葬られてしまった。
王太子を緊急脱出ポットで海賊艦隊の襲撃から守ったものの、行方不明となる結果とな
った呵責を感じて、マチルダ皇后は心労を重ねて半年後には亡くなった。
皇帝は、新たなる皇后を迎えてみたものの、生まれてきた四人の子供はすべて王女であ
った。しかも皇后が次々と病死を遂げるという事態となった。誰かが毒を盛ったのだろう
という憶測も流れたが、真相は判らずじまいだった。
とにもかくにも、銀河帝国にはマチルダ皇后の生んだエリザベス王女とマーガレット王
女、後妻に迎えた皇后の生んだジュリエッタ王女、三人目の皇后が生んだ王女は夭折、四
人目の皇后からマリアンヌ王女という家族系統となった。
銀河帝国には、皇位継承の順番の低い王女ばかりが残された結果となった。
やがて後継者の不在のまま、皇帝が崩御してしまったのである。
皇位継承の問題が話し合われたが、王太子は行方不明なのであって、そのご存命は確認
されていないし、【皇位継承の証】も所在不明のままである。
時期相応として、当面の間エリザベス第一王女が、王太子が見つかるまで、摂政として
国務を司ることが決定した。
しかしながら、五年経ち十年経っても王太子は見つからずじまいだった。
いつまで経っても皇帝不在のままというわけにはいかなかった。
そこで持ち上がったのが、継承順位がアレクサンダー王太子の次位にあたる、ロベスピ
エール公爵が皇位を継承するというものだった。ただし、公爵はウェセックス公国自治領
主なので、その権利を嫡男のロベール王子に譲って、皇帝にロベール王子を推すことにし
たのである。
その意見に真っ向から反対したのが、アレクサンダー王太子との双子児であるマーガレ
ット王女である。
「あの、馬鹿で鼻たれのロベールが皇太子候補ですって!」
ロベール王子には、精神薄弱の症状が多少なりとも見られた。
皇族同士の濃い血縁による結婚が繰り返されていることによる典型的な遺伝病と言えよ
う。
性染色体の中で、X染色体中のとある遺伝子異常によって発症する、伴性遺伝する「血
友病」や「色盲」などが有名であるが、遺伝病の多くが日常生活に支障をきたすのが大半
である。
【エメラルド・アイ】も、突然変異遺伝子によってもたらされる所見であるが、この場
合は特例として病気としては定義されていない。
X染色体上に存在する「虹彩緑化遺伝子」に、Y染色体上に存在する「虹彩緑化活性化
遺伝子」が働いて、はじめて虹彩緑化が発症する。
人の虹彩の色は、青色や黒色に緑色と民族によって違いがあるが、虹彩に含まれる色素
はほとんど同じである。その密度によって青く見えたり、緑色に見えたりするのである。
しかし【エメラルド・アイ】はまぎれもなく緑色の色素を含んだ虹彩を持っている。
【エメラルド・アイ】がY染色体上に存在する遺伝子によって出現する限り、それは皇
族家の男子のみに遺伝する限定遺伝症であり、まぎれもなく銀河帝国始祖ソートガイヤー
大公に連なる正統なる血筋であって、皇帝となるべき人物なのである。
ともあれ母親所以のX染色体によって、【エメラエルド・アイ】が出現しないこともあ
って、緑色遺伝子の保因者になっている場合もある。なので、その子供に【エメラルド・
アイ】が出現することもあるわけである。
現実問題として、立憲君主銀河帝国において、絶対的な権力を有するものは、XY染色
体双方に正統なる血筋を示す【エメラルド・アイ】であることを望むのは当然のことであ
ろう。ましてやロベール王子は精神薄弱の症状を持っている。
ロベール王子が皇太子候補として擁立されたのを、快く思っていない皇族も多かった。
その急先鋒となったのが、マーガレット王女である。
ロベール王子が【エメラルド・アイ】でないことと、皇家の至宝である【皇位継承の証
】が所在不明なこと。
何よりも、アレクサンダー王太子は行方不明のままで、その生死も今なお確認されてい
ない。銀河宇宙のどこかでひっそりと暮らしている可能性も捨てきれていない。
それらのことを拠り所として、自分に賛同する皇族・高級貴族を集めて、皇太子派とし
て起ち上がった。
ロベール王子を皇太子として推したウェセックス公国ロベスピエール公爵、それを承認
した皇室議会と銀河帝国に対して、反旗を掲げたのである。
そして生まれ故郷であるアルビエール候国ハロルド侯爵の庇護を受けることとなった。
次期皇太子候補としてロベール王子を推す摂政派として、帝国本国&ウェセックス公国
連合。
アレクサンダー王太子を皇太子として継続させる皇太子派、アルビエール候国とそれを
支持する貴族連合。
両雄並び立って、銀河帝国を二分する内乱へと発展していったのである。
ジュリエッタ王女とマリアンヌ王女の去就が注目されたが、皇帝不在の長期化を問題視
してロベール王子側に分があるとして、摂政派につくこととなった。
マーガレットの叔父のハロルド侯爵が皇太子派を擁護し、自治領艦隊の運用で積極的だ
ったのに対し、ジュリエッタの叔父のエセックス候国エグバード侯爵は、それぞれの考え
方に一分あるとして、中立の立場を表明して自治領艦隊を内戦には参加させなかった。
当然として戦闘は、帝国本国とアルビエール候国との国境付近のどこかで行われていた。
マーガレット第二皇女艦隊八十万隻とアルビエール自治領艦隊百六十万隻とで、合わせ
て二百四十万隻という皇太子派軍。
対してジュリエッタ第三皇女艦隊六十万隻と、帝国統合軍艦隊百五十万隻、それにウェ
セックス公国自治領艦隊三十万隻にマリアンヌ第六皇女艦隊十万隻、総勢二百五十万隻。
戦力としてほぼ拮抗した両軍が国境付近で睨み合っていた。
骨肉争う肉親同士の戦いであるが、元々仲の良かった間柄である。内戦状態になったと
はいえ、相手のことを気遣って本格的な戦闘は行われることはなかった。
皇太子派としては、アレクサンダー王太子さえ見つかれば丸く治まると、今なお全力を
挙げての王太子捜索に取り組んでいるし、摂政派にしてみればロベール王子が十四歳の立
太子儀礼を迎えれば、皇太子派としても意義は訴えられないだろうと考えていた。
どちらにしても時が解決してくれるだろうという点で一致しており、要するに相手方の
主張を一方的に通さず、急進的な行動を起こさせないための戦術と言えた。
そもそも銀河帝国の両隣の大国はバーナード星系連邦とトリスタニア共和国同盟が、長
期に渡る熱い戦いを繰り広げており、銀河帝国としても遠見の見物というわけにはいかな
かったのである。実際にもバーナード星系連邦が、海賊艦隊を派遣して物資を強奪してい
るのも公然の事実となっている。
銀河帝国が本格的な内戦をはじめてしまったら、いずれの時には疲弊して、両国からの
侵略を許してしまう可能性もある。エセックス候国が自治領の防衛のために内戦に参加せ
ずに中立を表明しているのも至極当然のことだったのである。