続 梓の非日常/第四章・峠バトルとセーターと
(一)セーター
自分の部屋で窓辺に椅子を寄せて編み物に熱中している梓がいる。
優しそうな表情をして無心に編み棒を動かして編み続けている。
そよ風がそのしなやかな髪をたなびかせている。
「はーい! 梓ちゃん、遊びに来たわよ」
開いていた扉から絵利香が入ってくる。
「あ、絵利香。いらっしゃい」
「絵利香?」
きょとんとしている絵利香だった。
なぜならいつもはちゃんづけして呼んでいたからだ。
「編み物してるなんて珍しいじゃない」
「ん……ちょっとね」
「信二君にあげるのね」
「わかる?」
「そんな大きなサイズを着れる身近な人といえば彼しかいないじゃない」
「そうね。うふふ」
と、否定もせず少し照れた表情を見せる梓だった。
なんか変ね……。
喧嘩が何より好きで、男勝りなあの梓が……編み物?
絵利香には、梓の心変わりが理解できなかった。
「お嬢さま、慎二さまからお電話です」
麗華が電話子機を持って入ってきた。
「ありがとう」
トレーに乗せられた電話子機を取り、話し出す梓。
「替わりました、梓です。慎二君、こんにちは。え? デート? ……ん、どうしよ
うかしら。今度の日曜か……予定はないけど。そうね、いいわ。迎えに来るの? じ
ゃあ、待ってる。うん、それじゃあ」
電話を返す梓。
いかにも嬉しそうだ。
「あ、梓ちゃん。慎二君とデートの約束したの?」
「ええ。バイクでかっ飛ばそうとか言ってた」
「バイクでデートねえ……慎二君らしい発想だけど。梓ちゃんが、うんと言うとは思
わなかったわ。今までは、慎二君が誘っても、一蹴の元に断っていたじゃない」
「たまにはいいんじゃない?」
「いいのかな……」
梓がいいというのなら、口を挟むべきことじゃないと思いつつも、どうしてもしっ
くりこない絵利香だった。
「麗華さん、日曜日、慎二君とデートだから。予定に入れておいてください。たぶん
忘れてたりするから、その時は教えてください」
「お忘れになるって……?」
きょとんとしている麗華。
いくらなんでもデートを約束して、その日を忘れるなんてことがあるのだろうか?
麗華も絵利香も首を捻っていた。
「ん……。ちょっとね、最近物忘れが多くてね」
「それは、構いませんけど」
「うーん……デートまでに編みあがるといいんだけどなあ……」
そしてまた、編み物に専念する梓だった。
絵利香が、麗華にそっと耳打ちする。
「ねえ、麗華さん。最近の梓ちゃん、変わったと思いませんか?」
「確かに変わりましたよ。そうですね、あの研究所火災以来だと思います。ああやっ
て、毎日編み物していますし、ピアノの練習も以前よりも増えています。慎二さまに
命を助けられて、心境も変わられたのではないでしょうか」
「それって、恋する乙女心ということ?」
「はい。ああして慎二さまのためにセーターを編んでらっしゃる姿は、まさしく恋心
に目覚めたとしか言えないと思います」
「麗華さんは、慎二君のこと肯定してる?」
「お嬢さまがなさることには口を挟むことはできません。それに渚さまも慎二さまの
こと、お気に入りになられていますしね」
「そうなの?」
「はい」
「ふうん……。娘を命がけで助けてくれたのだから、それなりに感謝の意を表すのは
判るけど」
翌日となった。
教室へ向かって廊下を歩いている二人。
「ええ? あたしが、慎二とデートの約束したあ?」
「大きな声出さないでしょ。びっくりするじゃない」
「びっくりするのは、こっちだよ。なんであたしが、慎二となんかデートしなくちゃ
いけないのよ」
「梓ちゃん、本気で言ってる?」
「本気もなにも、絵利香ちゃんこそ冗談言わないでよ」
絵利香ちゃん……?
今度はちゃんづけなのね。
呼び方も違うし、約束事を忘れるなんて……。
絶対に変だ。
もしかしたら……。
梓には、麗華はおろか母親にも知らされていない秘密がある。
それは梓と絵利香、そして慎二だけが知っていること。
まだ確証はないが、梓の変貌振りの原因を推測すれば、その秘密に起因する以外に
可能性が考えられない。
これは確かめてみるしかないわね。