あっと! ヴィーナス!!(15)

    第一章

 数週間が過ぎ去っていた。
 窓辺のカーテンを通して差し込んでくる淡い陽射しに目を覚ます弘美。
「なんか……身体がだるい……」
 背伸びをして、ベッドの縁に腰掛けるようにして起き上がる。
 ネグリジェを脱いで、ショーツに手を掛けた時だった。
 ショーツの股の部分が赤く染まっていた。
「なにこれ?」
 しばし呆然としていた。
「弘美、ごはんよ。起きてるの?」
 いつものように母が起こしにきた。
「どうしたの?」
「うん……血が出てるの」
「血?」
 弘美の赤く染まったショーツを見て、
「あら、まあ!」
「どうしちゃったのかな……」
 自分に何が起きたのか、まだ把握できない弘美にやさしく諭す母。
「どうしたもって、生理ですよ」
 にっこり微笑んでいる。
「生理?」
「そうよ。女の子なら毎月定期的にやってくるものよ」
 そうだった……。
 女の子になったんだから、当然なんだろう。
 来るべきものが来たって感じかな……。
「これで弘美ちゃんも一人前の女の子になったわけ」
 別に一人前になるつもりはなかったのだが……。
「じゃあ、手当ての仕方を教えなくちゃね」
 というと、タンスのところへ行き、中から迷わず生理ショーツとナプキンを取り出してくる母。
 日頃から洗濯して乾いた衣類をしまってくれているから、どこに何が入っているかを知っている。
「ナプキンはね、このテープを剥がしてショーツの股の部分に貼り付けるのよ。ほら、こんな風にね」
 神妙な面持ちでその手際を眺めている弘美。
「いいわ。弘美、ショーツを脱いで」
「う、うん」
 ねっとりと張り付いた感じのショーツを脱ぐ。
「気持ち悪ーい」
「ちょっとじっとしててね」
 言いながら濡れティッシュで、その部分を清浄する母。娘のことだから多少の汚れも気にしていないようだ。
「よしと……。じゃあ、生理ショーツを履いて」
 と、生理ショーツを手渡す。
 それを受け取って履く弘美。
「ちょっとごわごわしてる感じ……」
「最初はね……。でも慣れればあまり感じなくなるわよ」
「そうかな……」
「今日の日を覚えておきなさいよ。毎月二十八日前後でやってきますからね、次の生理予定日が近づいたら気をつけておくことよ。ナプキンも用意しておくことね」
「こんなことが毎月くるなんて、いやだな……」
「丈夫な赤ちゃんを産むためには必要なことなのよ。胎児がすくすく育つために、毎月リフレッシュされてるの。これで安心して結婚できるわね」
「結婚?」
「そうよ。いい人と結婚して子供を産んで育てるのよ」
「結婚なんてしないよお〜」
「そんなこと言ってるのは今のうちよ。そのうち素敵な男性に恋焦がれるようになるって」
「そんなことありえないもん」
「うふふ……。早く孫の顔が見たいわ」
 聞いてない……。
「これからは、夜道の一人歩きは気をつけてね」
「夜道?」
「そうよ、か弱い女の子なんだからね、力のある男の腕っ節で襲われたら逃げられないわよ。挙句の果てには妊娠ってこともあるんだから」
 そうか……
 確かに、今の自分では男の腕力にはかなわないのは明らかだった。
 女の子は損だ。
 気をつけよう。

 それから朝食を終えて学校へ行く。
「弘美! おはよう!」
 いつも聞きなれた声が背後から近づいてくる。
「愛ちゃん。おはよう」
「今日は、お兄さんと一緒じゃないのね」
「クラブで今日は早出」
「そっか、野球部だもんね。地区予選もはじまるし」
「一年だから、当分球拾いと用具片付けとかばかりだよ。後はランニングばかりらしいよ」
「でもすぐにレギュラーになれるよ。中学ではキャプテンだったし」
「そうかな」
「それに女子の間では結構人気があるのよ。妹として鼻が高いでしょ」
「なにそれ?」
「知らないの?」
「知らない」
「呆れた、灯台下暗しね」
 知るわけないだろ。
 そういうこと、妹(弟)に自慢するもんじゃないし。
 それにしても、愛ちゃんとはすっかり仲良しになってしまった。
 もちろん女の子同士としてである。
 幼馴染として、これまでにも多少の付き合いがあったが、やはり異性ということで垣根が存在して、これほどまでに親密にはなれなかった。男女が一緒に歩いていれば、噂の種にもなるし……。
「ところでさあ……」
「なに?」
「もうじき夏休みだよね」
 とさも意味ありげに尋ねる。
「そうだね」
「予定あるの?」
「予定?」
「旅行とか、アルバイトとかさあ……」
「別に……ないけどさ」
「そう……」
 とぽつりとつぶやいて考え込むように黙った。
「なによ?」
「うん……ちょっとね」
「だから、なによ?」
「あのね……」
 どうやら切り出しにくい話のようだ。
「うん」
「やっぱり、後で話すわ」
「何よお、気になるなあ」
「とにかく、後で」
 結局口に出しただけで、内容を話さない。
 気になるなあ……。

 で、なんでかんでと放課後となる。
 放課後というと学級掃除である。
 学校によっては業者が掃除をやってくれるところもあるそうだが、この学校では生徒がやることになっている。
 不公平だとは思わないか?
 でもってお決まりの、男子逃走である。
 いつも女子だけが居残って掃除にいそしむことになる。
「あーあ。いやんなっちゃうなあ、なんで男の子は逃げちゃうの?」
「あんたも逃げちゃえば」
「いいの?」
「だめ!」
「でしょ?」
「結局、誰かがやらなきゃならないんだし、埃まみれの教室で勉強するのはいやだもんね」
「そうそう。純徳な乙女を演出するのも楽じゃない」
「なにそれ?」
「どこでだれが見てるか判らないし、まじめにやってるところを先生に認められれば、内申書の評価を落とすこともないしね」
「結局そこに行き着くわけね」
「そ、だだでは起きない。やったからと言って、評価が上がるものじゃないけど、下がることもないから」
「こんな時は女の子ってのは損な役回りだわ」
「掃除洗濯ご飯炊きは女の仕事。まだまだ男尊女卑的な因習がまかり通ってるもんね」
「言えてる。何かっていうと、女の子でしょ」
「そうそう」
 そんな会話を片耳に箒がけをしている弘美。
 ほんとは弘美も逃げ出そうかと思ったのであるが、ヴィーナス選出の仲良しのクラスメートが居残っているので、逃げるに逃げられない。それに愛と一緒に帰る約束もしてしまっていた。

「それじゃあ、また明日ね」
 掃除を終えて帰り支度である。
 三々五々解散となる。クラブ活動にいそしむ者がいれば、帰宅部もいる。
 弘美は帰宅部だった。クラブには属していない。
 愛はテニス部だが、今日は休養日だ。
「それで、今朝の話だけどさあ。何なの?」
 弘美と愛。仲良く並んで帰宅の途についていた。
 帰る方向が途中まで同じなのである。
「ねえ、弘美のうちに寄ってもいい?」
「あたしのうち?」
 帰りは弘美の家のほうが近い。それでそういう話を切り出したのだろうが……。
「だめ?」
「べつにいいけど……」
「ありがとう。弘美のとこでお話しするわね」