第二十三章 新提督誕生
V  チェスターは一瞬自分の耳を疑った。  パトリシアが任官状と階級章をアレックスの机の上に置いた。 「しかし私は……」 「定年でしたら、准将となったことで、軍の規定により貴官の退役は後五年延長され ます。貴官には引き続き司令官として、艦隊をまとめ運営していただきたい」 「オニール大佐は、このことを承知なのですか?」 「いや。まだ伝えていないが、納得してくれるだろう。ただ、第一分艦隊の連中が納 得しないだろう、これだけは私も手におえないと思う。第一分艦隊のこれまでの活躍 は、私が種をまいたとはいえ、手塩にかけて育ててきたゴードンの功績によるところ が大きい。そこで、第一分艦隊を三万隻の独立艦隊として私の直下に置くことにした。 彼には副将としてその司令官を務めてもらう。つまり、残る七万隻が第十七艦隊とし て、貴官に与えられることになります。パトリシア、艦隊編成表を渡してやってく れ」 「はい」  パトリシアが艦隊編成表をチェスターに手渡した。  チェスターは編成表にさっと目を通した。 「それが新生第十七艦隊の編成表です」  そこには戦艦ペガサスを旗艦とする七万隻からなる艦艇がずらりと並んでいた。 「主戦力である第一分艦隊を欠いたとはいえ、それでも一個艦隊としては同盟軍最大 であることには違いありません。それを生かすも殺すも貴官の腕しだいです」  チェスターの腕は震えていた。 「いかがです、受け取っていただけますね」  アレックスは先の任官状と階級章を、静かにチェスターの目前に差し出した。  チェスターは、踵を合わせ鳴らして敬礼して答えた。 「はっ! 謹んで、お受けいたします」 「ありがとう。オーギュスト・チェスター准将。それでは明後日までに、新生第十七 艦隊の新しい幕僚の選出と名簿を作成して提出してください。それとあなたの後任の 推挙状と、副官リップル・ワイズマー大尉の進級申請書も忘れずに」 「承知しました」 「それと、艦隊司令官就任式を五日後の午後二時より、本部講堂にて執り行いますの で出席してください。ご家族をお呼びになっても結構ですよ。私からの報告は以上、 下がって結構です」 「はっ。ありがとうございました」  チェスターは、任官状と階級章とを受け取ると、最敬礼をし踵を返して退室した。  控えの秘書室に、丁度入れ代わるようにゴードンが入ってきたところであった。 「あ、チェスター大佐……」  ゴードンが声をかけるが、唇をきゅっと噛みしめるように無言で出ていった。 「あなた、いかがでしたか?」  軍服を脱ぐ手伝いをしながら、夫人は尋ねた。 「ああ……」  とりとめのない返事をする夫に、夫人はそれ以上声を掛けるのをためらった。  黙々と着替えを進めて普段着になり、食卓に座ったチェスターに、夫人はそっと酒 を出した。 「どうぞ、お飲みください」 「ん……? ああ、すまないな」 「いえ」 「実はな……、第十七艦隊の司令官に任じられたよ」 「え?」  夫人は、聞き返した。 「更迭の話しじゃなかったのですか?」 「それがだ。俺自身も覚悟して行ったのだが、意外だった。とうとう俺も将軍になっ たんだ。退役も五年先に繰り延べされた。これが任官状と階級章だ」  といって夫人に、もらったばかりのそれを見せた。 「ほ、本当ですのね」  夫人は、実際に目の前に任官状などを見せ付けられても、急には信じられないとい う風であった。 「本当だ。五日後に就任式が行われる。家族も呼んでいいそうだ」 「あなた……」  夫人はことの真実をやっと飲み込めてきて、涙声になりながら夫の昇進を労った。 「おめでとうございます。あなた……今日まで、本当にご苦労さまで……」 「退役して、夫婦仲むつまじくというのは、先延べになったな」 「そんなこと……いつだって」 「そうだな」  その夜、チェスターは艦隊の幕僚名簿を作るために夜遅くまで起きていた。  心配して夫人が起きだしてきた。 「あなた、お休みになられないのですか」 「ああ、すまない。起きてきたのか」 「ええ……」 「幕僚名簿を作って明後日いやもう明日になったか、それまでに提督に提出しなけれ ばならないんだ。早急にリップルと相談して決定しようと思ってな、その概要だけで も作成しておいた方がいいだろう」 「でも、お身体にさわりますよ」 「どっちにしても、興奮して眠れそうにないよ、今夜は。おまえは、気にせずに寝て いなさい」 「無理をなさらないでくださいね」 「わかっている。おやすみ」 「おやすみなさいませ」  夫人が寝室に消えるのを見届けて、チェスターは再び名簿作成にとりかかった。  その最中にも彼の脳裏には、最有力候補であった提督の片腕であるゴードン・オ ニールではなく、この自分を艦隊司令官に推したのか……という思いがよぎっていた。  功績点においては、自分の方が上位にあったのは確かであるが僅差でしかなく、年 齢制限と彼の将来性を考えれば、誰もがオニールが選出されるのが自然であると判断 していただろう。慣習に従うならば、勧奨退職を持ち出されてしかるべきところだっ たのだ。  それを曲げて定年間近の自分を推挙して統帥本部の承認を得るために、提督は相当 の労力を払ったに違いない。  とにもかくにも、提督は自分を後任として任命した。提督の性格からしても、その 決定が温情からくるものでなく、先々を見越し計算されつくしているはずである。少 なくとも五年先までは……。老骨とはいえ、自分が提督のために、まだまだ十分働け るということである。 「とにかく今は、この艦隊幕僚名簿を作成することが最初の任務というわけだ……」  つぶやき、チェスターは再び名簿作成に専念することにした。  夜が明けて朝となった。  いつまにか居眠りしていたらしく、チェスターの肩には妻の手によるのだろうガウ ンが掛けられていた。 「寝てしまったか」  食堂に降りると、朝食の準備は整っていた。 「あ、おはようございます。丁度朝食の支度が済んだところです。お食事になさいま すか」 「ん……そうだな」 「じゃあ、お座りになってくださいませ」  その時、インターフォンが鳴った。 「こんなに早く、一体どなたかしら」  夫人は立ち上がって、玄関に回った。 「たぶん、リップルじゃないかな。来るように言っておいたから」 「そうですか。じゃあ、応接室にお通ししますね」 「いや、ちょっとこっちに頼む」 「はい」  やがて夫人に案内されてリップルが入ってきた。 「やあ、これは朝食中でしたか。一刻も早いほうがいいかなと思いまして、失礼を承 知で伺いました」 「気にするな。取り敢えず食事を済ませるから、その間この艦隊幕僚名簿の試案に目 を通しておいてくれないか」  リップルはチェスターが差し出した名簿を受け取って、 「わかりました。どうぞ、ごゆっくり」  と答えて応接室に入った。 「待たせたな」  チェスターが応接室に入ってきた。  リップルは立ち上がって敬礼する。 「改めて昇進おめでとうございます。閣下」  チェスターは閣下と呼ばれて耳がこぞばゆく感じた。 「閣下か……」 「准将になられたのですから、閣下とお呼びして当然です」 「そうだな」 「それで、あの……私の処遇は……」 「心配するな。ちゃんと少佐になれるように進級申請を出しておいた」 「あ、ありがとうございます」 「ただし、佐官への昇進には司令官としての適正審査と面接試験がある。十分な経歴 があるから、かのウィンザー少佐のような実戦試験はないとはいえ、時間がかかるし 申請通りいくとは限らないから、そのつもりでな」 「わかっております」 「君のことだ。審査も試験も合格は間違いないだろう」 「はい」 「と安心したところで、話しを進めようか」 「はい」 「どうかな……」  と名簿を指し示した。  艦隊司令官 =オーギュスト・チェスター准将  艦隊副司令官=ガデラ・カインズ大佐(第二分艦隊司令)  艦隊参謀長 =ディープス・ロイド中佐  艦政本部長 =ルーミス・コール大佐  首席参謀  =マーシャル・クリンプトン中佐  第一作戦課長=ジャック・モーリス中佐 「艦隊参謀長にディープス・ロイド中佐を選ばれたのですね。第十七艦隊の結成式の 当日をもって大佐に昇進されるのが内定していますから問題はありませんし」 「まあ、順当というところだろう。私は、ランドール提督と違って用兵術に優れてい るでもなければ、作戦会議をまとめる器量もなし。本来の様式通り艦隊参謀長を選任 して作戦面の強化をしなければな」 「その点でしたらロイド中佐は適任ですね。本当なら、閣下直属のマーシャル中佐を 選びたいところなんでしょうけど」 「そうもいかんだろう。提督が常勝と呼ばれるに至った背景には、私情を一切排除し て適材を適所に配して、かつまたその者達を信頼してすべてを任せておられたからだ。 だからこそ、任せられた者達は能力を十二分に発揮してこれに答えることもできたの だ。私も肖りたいし、何よりロイド中佐が最適任者であることは明白な事実だ」 「そうですね……。では、次に進みましょうか。艦政本部長にルーミス・コール大佐 はいいとして。問題は、副司令官のガデラ・カインズ大佐ですか……今回の人事で、 一番の貧乏くじを引いた方ですね」 「オニール大佐は別格として、私が選ばれるくらいなら彼が選ばれた方が道理にあっ ているのだが……彼は提督が少佐の時からの部下だからな」 「とはいっても、人事は提督がお決めになられたことです。彼も軍人ですから、その 辺の事情は察してくれるでしょう。私としてはですね、高速戦艦ドリアードに坐乗し ているというだけでも、羨望の的なんですから」 「ハイドライド型高速戦艦改造II式か……」 「そうです。同盟軍にたった五隻しかない最高速の戦艦で、サラマンダー艦隊の主力 旗艦。連邦軍はその艦影を見ただけで恐れをなして逃げ出すという、今では名艦中の 名艦として知られていますからね。サラマンダーを筆頭に、ウィンディーネ、シルフ、 ノーム、そしてドリアード」 「自然界に存在するという精霊から名付けられたらしいな」 「提督が連戦連勝しているのは、その名の通りに精霊の加護を受けているのではない かとのもっぱらの噂です」 「どうかな……、それって地球上の精霊だろ、宇宙にまでいるかどうか怪しいものだ。 おっと、話しがそれた」 「すみません。ともかく三役の人事はこれでいいのではないでしょうか」 第二十三章 了
     ⇒第二十四章
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