陰陽退魔士・逢坂蘭子/蘇我入鹿の怨霊 中編
其の拾 七星剣 「物事には必ず表と裏、光(陽)と影(陰)があるように、実は二振りの七星剣があっ たのです。表の七星剣は東京、そして裏の七星剣は四天王寺の地下宝物庫に人知れず封 印されていたのです」 「封印されていた?」 「はい」 「実は、裏の七星剣には蘇我入鹿の怨念が封じ込まれていたのです」 「蘇我入鹿?ですか……蘇我入鹿首塚の怨霊伝説なら聞いたことがありますが」 「蘇我入鹿を斬首した剣が、この裏の七星剣だという説話が残っています」  蘇我氏の怨霊ということなら、この四天王寺に伝承されていても不思議ではないだろ う。  崩御した推古天皇の後継者争いで、四天王寺を建立した聖徳太子の子、山背大兄王を 暗殺したのが蘇我入鹿である。  欽明天皇の頃、崇仏派の蘇我氏一族と、排仏派の物部氏・中臣鎌足連合が争った。  用明天皇崩御の後、継承争いとなり、穴穂部皇子を皇位につけようとした物部守屋に 対し、炊屋姫(後の推古天皇)の詔を得て、穴穂部皇子を誅殺し、さらに物部守屋の館 に討ち入ってその首を捕った。  以降物部氏は没落することになる。 「蘇我入鹿首塚はご存知でしょう」 「はい。板蓋宮大極殿で中臣鎌足によって斬首された入鹿の首が620mほど南のかの地ま で飛び、住民が手厚く葬ったという伝説によるものですね」 「その通り。葬られたものの入鹿の怨念は凄まじく、夜ごと奈良に現れ民を苦しめたと いう。そこで陰陽師が招聘されて、入鹿の怨念を一つの剣に封じ込めたという。その剣 が、この裏の七星剣のもう一つの説話なのです。どちらにしても入鹿の怨念が籠ってい たのは確かなようです」 「七星剣に入鹿の怨念が封じ込まれていたとしたら、その怨念を解き放って悪しき呪法 とすることができるでしょう」 「何か心当たりがあるのですか?」 「まだ何とも言えませんが、呪法が使われたと思われる事件がありました」 「それは困りましたね。何かお手伝いできることがあればおっしゃってください。出来 るものなら何でもご協力します」 「ありがとうございます」  宝物庫から出てくる一行。  住職は再び呪法を掛け直して扉を密封している。  その作業を見ながら春代が尋ねる。 「これからどうする?」 「明日、明日香村に行ってみようと思います。何か手掛かりが見つかるかも知れません から」 「そうか、そうすると良い」 「七星剣を盗んだ犯人は、妖魔か陰陽師の疑いが強いですね。例の石上直弘一人では、 この所業は不可能でしょう。 「つまり石上の背後で操っている物がいると?」 「はい」  奈良行きを井上課長に伝えると、 「待て!私も着いて行こう。君一人を行かせる訳にはいかない」  と、同行を求めた。 其の拾壱 飛鳥寺にて  飛鳥の代表的なお寺の一つが飛鳥寺である。  ここは596年蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺で、寺名を法興寺、元興 寺、飛鳥寺と変遷し、現在は安居院(あんごいん)と呼ばれている。奈良市にある元興 寺は平城遷都と共にこのお寺が移されたもの。  このお寺はひっそりと建っているが、近年の発掘調査では、東西200m、南北300m、 金堂と回廊がめぐらされた大寺院であったようです。現在の建物は江戸時代に再建した 講堂(元金堂)のみを残す。  又ここは大化の改新を起こした中大兄皇子と中臣鎌足が、有名な蹴鞠会で最初出会っ たと伝えられ、蘇我入鹿を天皇の前で暗殺して大化の改新となる。  〒634-0103 高市郡明日香村飛鳥682  近鉄橿原神宮駅下車→岡寺前行バス10分→飛鳥大仏下車  又は、近鉄橿原神宮駅下車 徒歩40分  拝観料大人300円  駐車場料金 普通車500円  飛鳥大仏は写真撮影可能 「着いたぞ、飛鳥寺だ」  駐車料金500円を払って、飛鳥寺に入場する二人。  併設の駐車場は有料であるが、7分歩いたところには県立万葉文化館無料駐車場(普 通車110台収容)もある。 「拝観料は300円ね」  飛鳥寺(安居院)の西門から西へ100m程度行ったところ、飛鳥川との間にある五 輪塔が蘇我入鹿の首塚といわれている。  高さ149cmの花崗岩製で、笠の形の火輪の部分が大きく、軒に厚みがあるのが特徴で ある。  田畑の真ん中にこじんまりと安置されていて、入鹿塚だと言われなければ気が付かな い。  主な観光ルートには入っておらず、蘇我入鹿に興味ある熱心な歴史探訪家くらいしか 訪れることはない。   蘇我入鹿首塚のストリートビュー  一通り首塚を調べる蘭子。 「その下に蘇我入鹿の首が埋葬されているのか?」 「伝承ではそういうことになっています」 「仮に埋葬されたとしても、後世のものによって掘り返されているだろうな」 「ありえますね」 「そろそろ飛鳥寺に戻りましょうか」 「うむ……」 飛鳥寺正門  正門の「飛鳥大佛」と刻印された石碑の前で、 「記念写真撮りましょうよ」  と、同意を求める蘭子。  記念写真となれば、立っている所がどこであるかが明確に特定できる場所が最適であ ろう。 「観光に来たのではなくて、捜査のために来たのだが……」 「いいから、いいから」  背を押して石碑の傍に立たせるようにして、自分も隣に寄り添う。 「すみませーん。シャッター押して頂けますかあ」  通りかかった観光客にスマートフォンを手渡してお願いする。 「いいですよ」  観光客も快く引き受けてくれる。 「あ、このボタンを押してください。シャッターが降りますから」  今時の若者にはスマートフォンの扱いなど朝飯前である。 「いいですか?撮りますよ」 「お願いしまーす」 「はい、チーズ」  と、ピースサインを出す蘭子。 「はい。撮れましたよ」  スマートフォンを返してくれる。 「ありがとうございました」 「どういたしまして」  旅は道連れ世は情け、見知らぬ他人とて助け合うことができるというものだ。  手を振って別れる観光客。 「次はどこへ行く?」 「蘇我入鹿が殺されたといわれる『飛鳥板蓋宮跡』に行ってみましょう」 「何かあるのかね?」 「いえ、何もありません」 其の拾弐 新事実発覚  というわけで、飛鳥板蓋宮跡へやってきた二人。 「GPSナビがなきゃ、こんな辺鄙なところ来れないですね」 「まったくだな……。ド田舎の畑のど真ん中、こんな所に何の手掛かりがあるか……だ な」 「まずは行動を起こすこと。捜査のいの一番ではなかったですか?」 「そりゃそうだが……」 「ここで蘇我入鹿が惨殺されたのです」 「何か感じるかね、怨霊とか」 「いえ、何も感じません」 「しかし、案内看板が一つあるだけで、本当に何もない所だな。建物一つない、休憩所 なり日陰となるものを作れば良いのに」 「観光地というよりも歴史的遺構という位置付けなのでしょうね」 飛鳥板蓋宮跡  皇極天皇4年6月12日(645年7月10日)  三韓(新羅、百済、高句麗)の使節の進貢に伴い、三国調の儀式が行われることにな り、皇極天皇が飛鳥板蓋宮の大極殿に出御することとなった。  従兄弟に当たる蘇我倉山田石川麻呂が上表文を読み上げていた際、肩を震わせていた 事に不審がっていた所を中大兄皇子と佐伯子麻呂に斬り付けられ、天皇に無罪を訴える も、あえなく止めを刺され、雨が降る外に遺体を打ち捨てられたという。  一応の調査を終えて、その夜の旅館へ。  旅費の都合もあり、親子ということにして同部屋に泊まる二人。 「宿賃……本当にいいんですか?」 「もちろんだ。捜査費用として落とせるから」  なにやら、旅館設置のTVとスマホを接続している蘭子。 「何をしている」 「スマホの画像データをこのテレビで拡大して観るの」  次々と画像データをテレビに映している。  来場客に頼んで撮ってもらったピース写真から次の写真に切り替えようとしたとき、 何気に見つめていた井上課長が声を上げた。 「ちょっと待て!」 「な、なに」 「その写真だ!」 「このピースしている写真?」 「違う!後ろの正門料金所の脇に立ってこちらを見つめている人物だ!」 「後ろ?」 「拡大できないか?」 「できますよ」 「やってくれ」  何が何だか分からないが、言われたとおりにする蘭子。 「こ、こいつは!」  拡大された画像に驚く二人。  京都文化博物館で、金城聡子に言い寄っていた、あの石上直弘であった。 「後をつけてきたのか?」 「たまたま行動が一致したのかも。蘇我入鹿の怨霊が関わっているなら、明日香村へと 帰着するのが自然ですから」 「そうか……」  としばらく考えていた井上課長であったが、 「この写真データを、府警本部の俺のパソコンに送りたいのだが、できるか?」 「メールアドレスが分かればできます」  といいながら画像データを送信する操作を行ってから、 「どうぞ、メールアドレスを打ち込んで頂けますか」  とスマホを渡すと、一心不乱にアドレスを打ち込んで、 「よし、送信!と」  スマホを返してから、さらに自分の携帯を取り出して連絡を取っている。 「ああ、井上だ。今、俺のパソコンにメールで画像を送ったから至急見てくれ。大至急 だ」  どうやら大阪府警に電話を掛けているようである。 「見たか?俺の後ろの方に映っている人物をよく見てくれ」 「そうだ。その通りだ。至急、奈良県警に合同捜査本部の設置を要請してくれ」  電話を切りパタンと折りたたんで尻ポケットにしまう。 「なんとなく背景が見えてきたというところかな」 「動き回った甲斐がありましたね」 「うむ……明日から忙しくなるな」 「わたしは学校がありますから帰りますけど、課長はどうしますか?」 「ともかく奈良県警に協力してもらうために県警本部へ行くよ」 其の拾参 怨霊出現  その夜。  寝静まった室内に怪しげな光が浮かび上がった。  気配を感じて、枕元の御守懐剣に手を伸ばす蘭子。  怪しげな光は、その姿をさらにくっきりと現しはじめる。 「課長!起きてください」  隣に寝ている井上課長に声を掛けるが応答はなく、ブルブルと痙攣している。  明らかに呪詛を掛けられているようだった。 「虎徹、課長を守ってあげて」  というと御守懐剣を課長の胸元に差し込んだ。  やがて御守懐剣が輝きはじめて、そのオーラが井上課長を包み込み始めた。  しだいに苦しみから解放されて安息の域に入っていく。  御守懐剣である長曽弥虎徹は魔人が封じ込まれており、【魔の者】に対しては絶大な る威力を発揮するが、【霊なる者】に対してはほとんど効力を持たない。  それでも身を守る程度なら【霊なる者】相手でも効果があるようだ。  井上課長の安全が確保されたのを見て、改めて侵入者と対峙する蘭子。 「さて、何者?」  と問われて答える相手ではない。  すでに相手は全体の姿を現していた。  見た目、奈良時代の衣装を身に纏っている。  蘇我入鹿の怨霊を使った外法、ないしは口寄せ術の類か。  外法とは、髑髏(どくろ・しゃれこうべ)を使った妖術のことだが、入鹿の怨霊が封 じ込まれた七星剣があれば代用も可能であろう。  虎徹が手元にない不利な条件下にあるが、怨霊相手の戦法はいくらでもある。 「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」  独股印を結んで口で「臨」と唱え、順次に大金剛輪印、外獅子印、内獅子印、外縛印、 内縛印、智拳印、日輪印、宝瓶印と印を結ぶ。  さらに、不動明王の真言を三回唱える。 「ノウマクサンマンダ バザラダンセンダ  マカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カン マン」  四縦五横に右手刀を切りながら、 「臨める兵、闘う者、皆陣列の前に在り!行、満、ぼろん、勝、破!」  と手刀を前に突き出すと、九字印が怨霊に向かって飛んで行く。  怨霊がひるむその瞬間、懐から呪符を取り出して、 「さまよえる魂よ、浄土へと成仏させたまえ!」  と唱え奉る。  やがて怨霊は、静かに退散していった。  呼吸を整えながら、 「オン アビラウンケン ソワカ」 「オン キリキャラ ハラハラ フタラン バソツ ソワカ」 「オン バザラド シャコク」  九字印の終了の儀式を行う。  井上課長を見る。  どうやら無事のようだ。  胸元の御守懐剣を取り外し、起こそうかと思いつつも、まだ草木も眠る丑三つ時だ。  朝まで寝かせておこう。  外法を使ってきたということは、 「どうやら手出しはするなという警告のようね」 其の拾肆 新たなる事件  翌朝。  事の詳細を告げられた井上課長は、 「なぜ、起こしてくれないんだ」  と、憤慨しつつも自分では役に立たなかったであろうことも良く分かっていた。 「何にせよ。向こうからも動いてきたということか」 「こちらが動けば、相手も動く。犯罪捜査のイロハですね」  その時、井上課長の携帯が鳴った。 「ああ、私だ……なに、本当か!早速県警に……迎えに来る?分かった、ここで待てば 良いのだな」  どうやら事件発生のようである。 「どうしましたか?」 「首切り事件が発生したよ」 「この奈良の地で?」 「ああ、奈良県警から迎えのパトカーが来るから、それで現場に急行する」 「昨夜の呪術者の仕業かも知れませんね」 「かもな。というわけで、君には帰らないで、もうしばらく同行してくれないか?」 「わかりました」 「学校の方には連絡させるよ。警察の協力ということで、出席扱いにしてもらう」 「ありがとうございます」  井上課長がチェックアウトと宿代の支払いをしている間に、土産物屋で買い物をする 蘭子。 「これでいいかな」  と、手にしたのはごくありふれた、お守り。 「五百八十円になります」  そうこうするうちに、奈良県警のパトカーがやってくる。  そのパトカーに乗って現場に向かう二人。  課長の車は、別の警察官が運転して付いてくることになった。  パトカーの中で、買ったお守りに呪法を掛けている蘭子。 「何をしているの?」 「お守りに護法を掛けています」 「護法?」 「昨夜のこともありますから、課長の身を守るためのお守りです。はい、どうぞ」  というと、護法を掛けたばかりのお守りを手渡した。 「お守りねえ……」  受け取り、しばらく見つめていた。  釈然としない表情ではあったが、胸内ポケットにしまう課長であった。  変死とか怨霊の仕業としか思えない事件を扱い、怨霊とも直に目にしてきただけに、 「非科学的な!」  とは言い切れない心情になりつつあった。 其の拾伍 奈良県警綿貫警視  事件現場に到着する。    物々しい雰囲気の中、現場検証が執り行われている。  その中にあって、忙しく指図する人物がおり、現場責任者だと思われる。  野次馬を掛け分けて、その人物に近づく井上課長。 「よお、おまえが担当か」 「なんだ、井上か」  馴れ馴れしい挨拶を交わしているところをみると、どうやら顔なじみらしい。  大阪府警と奈良県警では交流の機会はないだろうが。 「研修以来だな」  国家公務員採用T種試験合格者(キャリア)で警察庁に採用された者が、警部補に任 命された際に初任幹部科研修が行われる警察大学校の同期生というところか。  蘭子に気が付いて、 「その娘は?」 「ああ、私の臨時助手だよ」 「見たところ高校生くらいのようだが……」 「学校側には許可を取っている」 「やはり高校生か、大丈夫なんだろうな」 「それは保証する。その辺の刑事より役に立つよ」  というところで、お互いに紹介しあう。 「奈良県警刑事部捜査第一課の綿貫警視です」 「摂津土御門流派の陰陽師、逢坂蘭子です」 「陰陽師?君がか!?」  さすがに驚くのも無理がない。  奈良県警本部。  連続殺人事件特別捜査本部が設置され、捜査本部長には県警本部長が任命され、副本 部長・事件主任官・広報担当官・捜査班運営主任官・捜査班長・捜査班員という編成で 運営されることとなった。  なお一段下の「捜査本部」の捜査本部長は、県警本部長が任命する。  綿貫警視は捜査班運営主任官として、事実上の捜査責任者となった。  井上課長も応援要員として誘われたが、自身の大阪府警の捜査責任者でもあるので、 配下の警部補なりを向かわせることで落ち着いた。 「他県の者から指示命令されるのがウザいか?」  とは綿貫の弁である。  井上課長としては、蘭子との協力捜査に力を入れており、科学捜査が基本の奈良県警 とは一線を画す必要があるからである。  まずは捜査線上に上っている石上直弘は、写真と共に公開指名手配となった。 其の拾陸 石上神宮(いそのかみじんぐう)  騒々しい特捜本部を後にして、独自捜査をはじめる蘭子と井上課長。  石上直弘については、捜査本部でも未だに詳細が掴めていないようだ。  蘭子と井上課長は、独自に捜査を続けることにした。 「さてと我々は、次にどうするべきかな?」 「そうですねえ、石上神宮へ行きましょう」 「石上神宮?」 「おそらく石上直弘は、物部氏の後裔にあたる石上神社宮司に繋がる血統だと思われま す」 「そうか。では行ってみることにしよう」 石上神宮  というわけで、石上神宮に到着する。  日本書紀に、伊勢神宮と共に記載のある由緒ある古き神社である。  当時の豪族だった物部氏の総氏神であり、拝殿をはじめとして国宝も多い。  境内に入ると”神の使い”ともいわれる人懐っこい鶏がたくさんいる。 「おみくじがありますよ。占ってみましょう」  御神鶏(ごしんけい)みくじ、400円である。  目ざとく見つけた蘭子が早速、おみくじを引いている。  捜査中だというのに、こういうことにちゃっかりとした行動を取るのは、やはりまだ まだ高校生盛りというところである。  石上神宮おみくじ 第十八番 大吉  ・運勢 思う事思うがままに為し遂げて思う事なき家の内かな    目上の人の思いがけぬ引き立てありて心のままに謳い、    家内睦まじく暮らせる大吉の運なり。色を慎み身を正して    目上の人を敬い目下の人を慈しめばますます運開く。  ・神道訓話 敬神の前途に光明あり。神様の御蔭は拝めば知れる、   甘い酸いは食べて知る。    橙の酸っぱさ、柿の甘さも食べて初めて真の味がよくわかる。    神様の有難さも拝んだ者でなければわからぬ。    温かい神様の御蔭を受けたければ心正してまず拝め。  そして、願望・待人・仕事・学業などなどの運勢が記されている。 「やったあ!大吉よ」 「これじゃあ、捜査に来たのか、観光に来たのか……」 「意外とこれ、当たるんですよ」  さらに拝殿の前で拝礼する蘭子。  土御門神社の巫女でもある彼女には、一応の礼儀を尽くすのが自然だろう。  二拝、二拍手、一拝が一般的な礼儀作法である。  拝とは、お尻を後ろに引くような感じで腰を90度に折り、この際手は膝の上のあた りに置く。  続いて、二回拍手で、手の高さは胸の高さ。  拍手を打つ意味は、自分が素手であること、何の下心もないことを神様に証明するた め。身元、祈願内容などを心の中で神さまに述べ、拝礼の間は心を込めて神さまに感謝 しながら祈念する  終わったら手をおろし最後の一拝。深くお辞儀をして終了。
 さて、神社では当然、神にお願い事をすることがあるだろう。  神社で祈るとき、合掌しながら心の中で何を言えばいいか。正しい祈り方をご紹介し ます。  まずは住所・氏名を伝えます。  はじめにあなたが誰なのかを伝えます。この「個人」の特定は神さまにとって重要で す。せっかく家族の健康を祈っても誰の家族かわかりませんよね?  あなたが誰なのか住所と氏名を神さまに伝えてください。名乗るのは礼儀でもありま す。  参拝できたことへの感謝を伝え、願いを一つお伝えします。 「参拝させていただき、ありがとうございます」など感謝を伝えましょう。  その後に願い事を使えますが、あれこれ伝えるのではなく、お願いごとはひとつだけ にしてください。  祝詞とよばれる神道の祈の言葉を唱えます。 「はらいたまえ きよめたまえ かむながら まもりたまえ さきわえたまえ」 意味は「罪、穢(けがれ)をとりのぞいてください。神さま、どうぞお守りお導きくだ さい」です。「はらいたまえ きよめたまえ」だけでも大丈夫です。
 今の蘭子の祈ることは一つ。 「大阪市阿倍野区阿倍野元町1-◯番地」の逢坂蘭子です。参拝させていただき、感謝申 し上げます。最近世間を騒がす、怨霊使いを発見、無事に退治できますように。はらい たまえ きよめたまえ かむながら まもりたまえ さきわえたまえ」  とにもかくにも、昨夜に呪詛を仕掛けてきた外法者退治しかない。 其の拾漆 禁足地  蘭子が拝礼している間に、井上課長が石上神宮の宮司に事情聴取すべく掛け合ってい た。 「宮司から話が聞けることになったぞ」  というわけで、社務所で宮司の話を聞くことになった。  石上神宮の宮司は、世襲として忌火(いんび)職を務め、物部氏の本宗にあたる森家 が代々勤めている。  現在の宮司は、森正光である。  事件の概要を簡単に説明した後、 「石上直弘という人物をご存知ですか?」  単刀直入に尋ねる井上課長。 「石上直弘……ですか?」 「心当たりありませんか?」 「と言われても……ご存知かと思いますが、物部氏や石上家に連なる家系は、それこそ 数限りなくありますからねえ」 「陰陽師をやっている方とかはご存知ないでしょうか?」  軽く首を振る宮司。  いろいろと突いてみるが、石上直弘のことや関係者のことは知らないようだ。  せっかく来たのだからと、石上神宮の歴史を語り始めた。 物部氏系譜 「誰かが、私を呼んでいます」  つと立ち上がる蘭子。 「どうした?」  突然の行動に不審がる井上課長。 「行かなければ」  憑き物に取りつかれたような表情を見せる蘭子。  尋常ではない蘭子の態度に心配する二人。 「ついていきましょう。何かが起こりそうです」  神官でもある宮司にもその気配を察知したのであろう。  蘭子の後を追う二人。  蘭子は社務所を出て拝殿後方へと回り込んだ。  行く先は「禁足地」と呼ばれるところのようだった。  拝殿後方の、「布留社」と刻字した剣先状の石製瑞垣(みずがき)が取り囲む、東西 44.5m、南北29.5m、面積約1300平方mの地を「禁足地」といい、当神宮の神域の中でも 最も神聖な霊域として畏敬(いけい)されています。  明治以前は南側の半分強(南北約18m、面積約800平方m)だけで、当神宮御鎮座当初 からのものかどうかはあきらかではありませんが、古来当神宮の御神体が鎮まる霊域と して「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」或いは「御本地(ごほんち)」、 「神籬(ひもろぎ)」などと称えられてきました。  石上神宮禁足地入口  両側の石柱に渡してある注連縄(しめなわ)を右手で持ち上げてくぐろうとする蘭子。  注連縄は神域と現世を隔てる結界の役割を持ち、禁足地の印にもなる。  気づいた職員の一人が注意を促した。 「これ、そちらは禁足地です」  しかし蘭子には、注意も聞こえていないようだった。  何かに誘われるように、禁足地に足を踏み入れる蘭子。 「ちょっと!待ちなさい」  後を追ってきた宮司が止めた。 「何者かに憑かれているようだ。様子を見てみよう」  職員を制止する宮司。 「我々は中に入れないのですか」 「だめです。禁足地ですから、ここは蘭子さんに任せましょう」  蘭子が禁足地に入ると同時に、無意識にか千鳥足のような足取りになった。  禹歩(うふ)という鎮魂のための歩行術 「天蓬」「天内」「天衝」「天輔」「天禽」「天心」「天柱」「天任」「天英」  という言葉を唱えながら一歩ずつ踏みしめて歩く。 一、スタート時点で両足をそろえて立つ 二、左足を一歩前に出す。右足を左足より一歩前に出す。左足を引きつけて右足とそろ える。 三、右足を一歩前に出す。左足を右足より一歩前に出す。右足を引きつけて左足とそろ える。 四、左足を一歩前に出す。右足を左足より一歩前に出す。左足を引きつけて右足とそろ える。 以下繰り返し。 其の拾捌 布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)  禁足地の中ほどに来た時、右側の森が薄明るく輝いているのに気が付いた。  まさかかぐや姫か?  という冗談はさておき、近づくにつれて、それは人影のように浮かび上がった。  奈良時代のものと思しき衣装を身にまとっている女性の姿。  どうみても生身の人間ではなかった。  地縛霊か?それとも浮遊霊か?  危害を加えるような存在ではないようだ。 「あなたは?」  蘭子は尋ねてみる。  すると蘭子の意識に直接語り掛けてきた。 「布都……」  か細い声で答える女性。 「物部守屋の妹の布都姫ですか?」 「そうじゃ」  布都姫は、物部守屋の妹であり、蘇我入鹿の妻である鎌足姫の母親という説がある。 「わたしをお呼びになられたのは、あなたですね?」 「布都御魂に召されて参った」 「召された?」 「そなたに授けるようにと……」  と、地面を指さした。  女性が指さした地面がほのかに輝いている。 「ここに何かあるのね」  小枝を拾って地面を掘ってみると、古びた鉄の塊が出てきた。  土くれを取り払ってみると、錆びた刀剣だった。 「これを、わたしに?」  女性は答えず、軽く頷くと静かに姿が薄らいでいき、そして消えた。  禁足地から蘭子が出てくる。  一振りの刀剣を携えて。  蘭子の姿を見とめて出迎える井上課長。 「おお、帰ってきたか心配したぞ」  目ざとく蘭子の持つ刀剣に注視する宮司。 「刀剣のようですが、見せていただけませんか?」  断るわけもなく刀剣を手渡しながら、事の詳細を話す蘭子。 「そうでしたか……」  じっと検分していた宮司であるが、 「こ、これは!布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)です」  驚きの声をあげる。 「え?それって御神体として、本殿に奉納されているのでは?」  と、井上課長。 「確かにそうですが……1894年に禁足地を発掘した際に大量の神宝が出土しました。そ の中に伝承の中にある霊剣に相似したものがありました。それをご神体として祀り立て たのですが……。七星剣に表裏があったように、布都御魂も同様ではないかと」 「つまり確証はないけど、たぶん伝承にある布都御魂の二つ目じゃないかということで すか?」 「どちらが本物の布都御魂かどうかは、誰にも分からないでしょう」 「現在ある布都御魂の真偽はともかく、禁足地には布都御魂が埋められたのは確かなこ とですから」  この地では、須佐之男命(素戔嗚尊)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時に 用いたという神剣、天羽々斬剣(あめのはばきり、あめのははきり)が出土している。  また、建御雷神(たけみかずちのかみ)が葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定 した際に用いたといわれる霊剣、布都御魂(ふつのみたま)も、この地に一時埋められ るが再度掘り起こされて、石上神宮の祭神として祀られている。  納得いかないような表情の井上課長であるが、 「で、その刀剣は蘇我入鹿の怨霊に対して効果があるのかね?」 「神から遣わされたものです。信じるしかないでしょう」 「それはそうだが……」 「森宮司にお願いがあります」 「何かね」 「ご説明したとおりに、蘇我入鹿の怨霊退治には、この布都御魂が必要と思われます。 しばらくお貸し願えないでしょうか」 「ああ、もちろんだとも。ご神体のご意向となれば拒否するすべがない」 「ありがとうございます」  石上神宮は物部氏ゆかりの地である。  物部氏は蘇我氏に滅ぼされたという怨念がある。  蘭子が蘇我入鹿を退治したいという願いを訴えたとき、 『ならば儂が適えてやろうじゃないか』  と、祭神の布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)が降臨し、布都姫を使わせて、 布都御魂を授けてくれたのではないだろうか。

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