陰陽退魔士・逢坂蘭子/第四章 夢見のミサンガ
其の漆
戦いは一進一退を続けていた。
だが妖魔が見逃していたことがある。
ここが土御門神社だということである。
敷地内には、様々な呪法や道具立てによって常に清浄に保たれ、怨霊や物の怪、悪しき
魔物など一歩も入れないようになっている。
白虎の攻撃をジャンプで交わして、地に足を付けた瞬間だった。
「呪縛!」
蘭子が素早く呪法を唱えると、妖魔の足元が輝いて曼荼羅の方陣が現れた。
身動きを封じられる妖魔。
「こ、これは……」
「気が付かなかったろうが、その足元には妖魔には見えない特殊な曼荼羅が描かれている
のだ」
「曼荼羅?」
「しかもここは敷地の丁度真中に位置する。結界呪縛は一段と強力だぞ。極楽浄土に送っ
てやる、仏に帰依してその罪をあざなえ」
密教真言を唱え始める蘭子。
右手を前に水平に伸ばして、広げた指先を少しずつ折り曲げていくと、それにともなっ
て方陣が狭まっていく。
苦しみもがく妖魔。
そこへ白虎が飛び込んで最期の一撃を与えた。
やがて断末魔の叫び声を上げて、光と共に消滅する妖魔。
白虎が蘭子の足元に擦り寄ってくる。屈み込んで
「ありがとう、白虎。おまえのおかげで奴を曼荼羅に追い込むことができた」
と、身体をやさしく撫でてやる。
「もう一つ、お願い。この子達の記憶を消して欲しいの。この神社で起きたすべての事
を」
すると白虎は、それに応えるように吠えると、すっと姿を消した。
蘭子は立ち上がると、奇門遁甲八陣の結界を解く呪法を唱え始める。
そして両手を、パンと叩くと、すべてが元に戻った。
時が流れ、虫が騒ぐ俗世界へ。
老いさらばえていたリーダーも、元の姿に戻っていた。
ただ一つ消えてしまったものがある。
あのミサンガである。
妖魔が消滅したためだろうと思われる。
翌朝の大阪阿倍野橋駅プラットホーム。
通勤通学で混み合っている急行電車から、京子が飛び降りるように出てくる。先行く
人々を掻き分けながら急ぎ足で駆けてゆく。
「あーん。遅刻しちゃうよ」
どうやら寝坊したようである。
注意力散漫になって、案の定誰かとぶつかってしまう。
「ごめんなさい」
大きな声で謝り頭を下げると、わき目も振らずにそのまま立ち去ってしまう。
ぶつかられた人物は、苦笑いしながら呟く。
「よほど、急いでいるんだな」
大条寺明人は何事もなかったように、人ごみの中へと消え去った。
予鈴の鳴り響く阿倍野女子高等学校。
一年三組の教室は今日も元気だ。
ワイワイガヤガヤと席にも着かずに談笑している。
そこへ京子が息せき切って飛び込んでくる。
「滑り込みセーフ!」
恵子が右手を高々と挙げて宣言する。
「ビリッケツだぞ」
「へいへい」
肩で息をしながら自分の席に鞄を置く京子。
「今日も寝坊ですか?」
「深夜映画かしら」
「まあね……」
と、頷く視線の先に自分の手首が目に入った。
じっと見つめたまま動かない京子。
「あれ?」
何かを忘れてしまったような、何かが足りないような……そんな感情が湧き起こる。
しかし、
「しっかりしなさいよ。授業中に居眠りしなさんなよ」
背中をポンと叩かれて正気に戻る京子。
「大丈夫だってばあ」
笑って返す京子。
そんな様子を斜め後方の席から蘭子が見つめている。
妖魔とミサンガが消滅して、人の記憶からも消し去られている。
何事もなかったように時が過ぎ去ってゆく。
蘭子と妖魔との戦いも人知れずに、日夜繰り広げられていることも知らずに。
第四章 了