梓の非日常/第一章・生まれ変わり(四)記憶の糸
2021.01.28
梓の非日常/第一章 生まれ変わり
(四)記憶の糸
一人きりになり、改めて考えなおしてみる。
どうやら言語中枢は正常に機能していて、梓という女の子が日常的に使っているらしい英語を理解し話している。しかし記憶領域があいまいで、母親の言うとおり記憶の混乱が生じているようだ。自分が梓という女の子であるという意識はあるにはあるのだが、その一方では自分が男だったような意識の方が強く存在するのだ。
そして根本的な疑問があった。
自分が何故に病院に入院しているのかという疑問である。
母親はその件に関しては何も語っておらず、何故か隠しているような気もする。
記憶の糸をたぐってみる。
横断歩道、女の子、喧嘩、大型トラック、交通事故、血痕、信号機、サイレンの音。
次々と単語が思い浮かんでくる。
交通事故!
そうだ、それだ。交通事故にあったのなら、病院に入院している理由も納得がいく。
『お、思い出したぞ。事故の瞬間!』
交通事故の瞬間の情景が浮かんできた。
交差点で青信号で女の子が歩道を渡りはじめる。そこへ信号無視した大型トラックが襲いかかる。そこへ飛び込んで女の子を抱きかかえる男。
その事故の瞬間の情景が、果たして女の子の視点なのか、男の方の視点なのかはっきりしない。ただイメージとして強く残っているのだ。事故という突然に起きた出来事である、はっきり記憶しているほうがおかしいのかもしれない。
『間違いない。今の自分の意識は、その女の子を抱きかかえた男の方だ』
大型トラックに轢かれそうになった女の子を助けた男が、自分自身の本当の姿に違いない。
ドアがノックされる。
ややあってドアが開き一人の若い女性が入って来る。麗香である。
『あら、起きてらしたのですか』
梓はベッドに腰掛けたまま、窓の外をぼんやりと見つめたままだった。
『あなたは?』
渚から意識障害のことを知らされている麗香はやさしく答える。
『お嬢さま。お忘れですか、麗香です。お嬢さまの身辺のお世話を任されている竜崎麗香です』
『麗香……さん?』
『はい。そうです』
……麗香さんか。お母さんが言ってた人。そういえば確かに見た覚えがある。しかし、俺は一度もあったことないはずだし……コロンビア大学?……なんかしらんが、言葉まで浮かんできやがった……
『麗香さんて、コロンビア大学だっけ』
『はい。コロンビア大学を卒業しました。それはお嬢さまもよくご存じのはずですよね』
『そう、確か、ニューヨークの寮に一緒に住んでた……でもなぜ……』
コロンビア大学という言葉をキーワードとして、麗香に関する記憶の糸が引き出されていく。セント・ジョン教会、五番街、世界貿易センター、セントラルパークなど、次々と単語が浮かんでは消えていく。それは梓が過去に麗香と共に体験し記憶として持っているものだった。
『あ、頭が痛い……』
記憶を無理矢理に引きだそうとしているせいか、精神力をかなり消耗していたのだった。精神のオーバーロードを起こし、頭を抱えて苦しみだす梓。
『お、お嬢さま。無理なさらないで。私が軽率な発言したばかりに』
麗香は、自分のことを梓に確認させるような発言をしたことを後悔した。
病室内、ベッドに眠る梓のそばで、麗香と渚が見守っている。
「鎮静剤が効いてよく眠っております。容体のほうは異常ありません」
医者が脈を計りながら報告した。
『申し訳ありませんでした。渚さま』
深く頭を下げている麗香。
『注意が足りなかったようですね。梓は、記憶障害を起こしていて、精神も不安定なのです。過去の記憶に触れる時は十分に気を付けなければいけないのです』
『はい。以後、気をつけます』
『そうしてください。でもね、麗香さんには、今後とも期待しているのです。何せ、
母親である私以上に、もっとも親密に梓と生活を共にしてきた間柄なのですから』
コロンビア大学やニューヨークの寮生活のことを思いだしたらしい梓に、先行き明るい希望が見えてきたことを確認し、梓をじっと見つめる二人。
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梓の非日常/第一章・生まれ変わり(三)病院にて
2021.01.27
梓の非日常/第一章 生まれ変わり
(三)病院にて
生命科学研究所付属芳野台病院。
病室のドアが立ち並ぶ廊下の一角。医者と三十代くらいの女性が何やら真剣な表情で話しあっている。そのそばの病室に掲げられた名前には、真条寺梓の名前が記されている。
病室の中、ベッドに横たわる梓。静かな寝息をたてて眠っている。
窓は開け放たれ、さわやかなそよ風が、ベッドのそばで花束をほどいて花瓶に差している二十代の女性の髪をたなびかせている。
ドアが開いて廊下で話し合っていた医者と女性が入って来る。
『麗香さん。梓の様子はどう?』
病室のドアを閉めながら英語で尋ねる女性。
『はい。相変わらず眠ったままです、渚さま』
麗香と呼ばれた若い女性も英語で答えている。
『そう……』
渚と呼ばれた女性は、ベッドで眠る梓の母親であった。
医者が眠っている梓のまぶたを開き、懐中電灯の光を当てて瞳孔反応を確かめている。
「瞳孔は正常に反応しています。そろそろ目覚めてもいい頃です」
医者が日本語で説明している。
その時だった。
『う、ううん』
梓が小さく呟いたのだった。
『先生!』
「今の懐中電灯の光で、意識が呼び覚まされましたかな。お嬢さんにちょっと呼び掛けて頂けますか」
『は、はい』
英語と日本語が交錯する。
三人の人物達はそれぞれ両言語を理解しており、使い慣れた方の言語で話しているようだ。
医者に言われて、二人の女性が梓の耳元に近づいた。
『梓! 梓、目を覚まして』
『お嬢さま! 目を覚ましてください』
二人の女性に呼び掛けられて、ゆっくりと目を開ける梓。しかし意識朦朧なのか目を開いたままの状態が長く続く。
『梓、わたしの声が聞こえる?』
『お……かあ……さん……』
喉の奥から絞り出すようにとぎれとぎれに声を出す梓。
『あ、梓!』
自分のことを呼ばれて歓喜する母親。
しかしその言葉を最後に再び意識をなくして眠りにつく梓。
「また、眠ったようですね」
『先生……今さっき梓は、私のことを見て、はっきりと『おかあさん』と呼びました』
『はい。確かに私も聞きました』
「そうですね。もう大丈夫でしょう。完全に意識を取り戻すにはもうしばらくかかると思いますが」
数日後。
病室のベッドの上に梓が起き上がっている。
『ここは、どこだろう……』
布団を跳ね上げてベッドの縁に腰掛ける。ネグリジェ姿の自分に気づく梓。
『な、なんだこれは。なんでこんなもん着てるんだ、俺は』
さらに胸の膨らみに気がついて、胸元を覗く梓。
『こ、これは……まさか』
さらに股間に手を当てて確認する梓。
絶句している梓。
『お、女じゃんか。なんでこの俺が、女になってんだ』
その時ドアが開いて女性が入って来る。梓の母親である。
『あ、梓。目が覚めたのね』
やさしい表情で話し掛ける女性に、どこかで見たような気がするのに思い出せない。そんな感情を覚える梓。しかも相手が話し掛けてくる言葉は英語だと思われる。それが、何故か理解できるのはなぜだろう。
『あの、あなたは?』
そして自分の口から出来てきた言葉は、まさしく英語。そういえば、先程の独り言も気づいてみれば、英語だったのだ。どうやらこの梓という人物は、日常会話として完璧に英語に慣れ親しんでいる環境にあるらしかった。だから自然な英語を話せるし、理解もできるということ。
『ん……そっか。まだ記憶が混乱しているのね。私は、あなたの母親ですよ』
『おかあさん……?』
『そうよ。あなたは、ずっと仮死脳死状態でずっと眠っていたの。だから意識を取り戻しても記憶障害が残るかもしれないと、お医者さまはおっしゃってたわ』
『記憶障害?』
『でもね。あなたが意識をはじめて取り戻した時、私を見つめておかあさんって呼んでくれたから。私は心配してないわ。きっと記憶を取り戻せると信じてる。だから、あなたも心配しないでゆっくり養生してね』
といいながらやさしく微笑みかける母親であった。
『あ、そうそう。ネグリジェ、新しいのに着替えましょう。汗をかいて気持ち悪いでしょう』
といってロッカータンスから替えのネグリジェとショーツを取り出してきた。
『さ、ベッドの縁に腰掛けてみて』
いわれるままにする梓。
……この身体のまま、人前で着替えるのって恥ずかしいな……
しかし相手は、この身体の産みの親。なにを恥ずかしがることがあるだろうか。
着替えを終えて、渚は脱いだ衣類を鞄に収めている。おそらく持ち帰って洗濯するのであろう。
『午後からは麗香さんがくるから。あ、念のために言っておくと、麗香さんというのは、あなた専属のお世話係りですから』
渚が病室から出ていった。
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梓の非日常/第一章・生まれ変わり(二)帰国子女
2021.01.25
梓の非日常/第一章 生まれ変わり
(二)帰国子女
川越の町並みを走るロールス・ロイス・ファントムⅥ。
『川越か……今日からここでの新しい生活が始まるのね。ニューヨークで生まれ育ったわたしに馴染めるのかしら。だいたいからして、日本語は一応話せるけど、漢字とかの読み書きが苦手なのよね。少し不安だわ』
車窓から流れる外の景色を眺める十二歳の梓。その言葉は英語だった。
『絵利香は空港に迎えにきたご両親と一緒に帰っちゃったというのにな。うちの母親ときたら、迎えにもこない』
『渚さまは、とてもお忙しいお方ですから。でも屋敷に戻れば、ちゃんとご帰宅記念のパーティーを準備して待っておられます』
お抱え運転手の白井も英語で応える。
『わかっているけど、やっぱり娘としたら寂しいわ。麗香さんも通関の手続きで残っちゃったし』
『お気持ちはお察しいたします』
前方に赤信号が点灯する交差点に差し掛かった時だった。
白井が速度を落とそうとブレーキを踏むが、まるで感触がなかった。
あわててギアを一段落としてエンジンブレーキをかけた。
『お嬢さま、しっかりつかまっていてください』
ハンドルを道の片側に寄せながらさらにギアを落としていく。
サイドブレーキを引き、なんとか交差点の寸前で停まるロールス・ロイス。
全重量2700kgのロール・ロイスの巨漢が事故を起こせば、今時のちゃちなボディーの自動車は全損破壊されるのは必至。ゆえに運転手の白井は、街中においてはどんなに前方が空いていても、法定速度の時速30km以上は出さないようにしていた。
当然後方には、自動車の渋滞の列が続くことになる。なにせ黒塗りのロールス・ロイスなのだ、後続の運転手の脳裏には「暴力団幹部」の文字が浮かんで、とても恐くて追い越したり、クラクションを鳴らす勇気のある者は、だれ一人いない。まさか可愛い女の子が乗っているとは想像だにできないだろう。しびれを切らした者は、脇道へ入って迂回ルートを選ぶことになる。
『ふう、あぶなかった』
何とか車を道路の脇に寄せて停車し、胸をなで降ろす白井だったが、すぐさま後部座席の梓を心配する。
『お嬢さま、大丈夫ですか』
『大丈夫です。いったい何があったのですか』
『ブレーキが効かなかったのです』
『ブレーキが?』
『はい。ちょっと調べてきます』
白井は外に出て、後方に故障を示す三角板を置いてから、ボンネットを開けて調べはじめた。
『ひどいな……』
ブレーキホースが何者かによって鋭利な刃物かなにかで切られていた。その切り口をパラフィンシートで巻いて覆ってある。エンジンが止まって冷えている間は、パラフィンは固まっているが、エンジンを始動しボンネット内が、エンジンの熱で温度が上昇し、パラフィンが溶けはじめると、ブレーキフルードが徐々に抜けていき、走行中に突然ブレーキが効かなくなるように細工されていたのだった。おそらく空港で梓を迎えにしばらく車を離れていた時だと思われる。
……高級車を持つものにたいする単なるいたずらか、それとも……
白井は後部座席に腰掛ける梓を見やった。
『どうですか?』
梓が窓を開けて尋ねてくるが、
『いえ。どうもこうも。しばらく動かせそうにありませんので、タクシーを呼びましょう。お嬢さまは、それで先にお帰りください』
白井は、あえて事実を伏せることにした。梓を心配させたくないとの配慮だった。
『いいわ。ここからは歩いて帰るから』
『ですが、渚さまが首を長くしてお待ちになられて』
『いいじゃない。今日から生活することになる川越が、どんなところなのかじっくり見学させていただくわ。地図もあるし、屋敷の場所もわかりやすい所にあるから。いろいろとね』
『あ、お嬢さま』
白井は梓を追おうとしたが、交差点前に停まった大型のロールス・ロイスを放ったままにはできない。交通の妨害になるからだ。
ロールス・ロイスのそばで立ち尽くす白井。
……もしかしたら、お嬢さまは誰かに命を狙われているかもしれない……
川越の町並みを散策している梓。蔵造りの街をめずらしそうに、あたりをきょろきょろと見渡しながらゆっくりと歩いている。
交差点に差し掛かる。
反対側からは、喧嘩を終えたばかりのあの男が歩いて来る。そのずっと後方からは先程の少年も後をついてきていた。
信号は赤。
横断歩道を挟んで対面する二人。先に相手に気がついたのは男の方だった。
「へえ、可愛い子がいるじゃんか。声掛けてみよう」
信号が青に変わった。
ゆっくりと横断歩道に進み出る梓。
その時だった。信号を無視して突っ込んで来る大型トラック。目前に迫るトラックにも、梓は足がすくんでぴくりとも動けない様子だった。
「あ、危ない!」
男はとっさにトラックの前に飛び込み、梓を抱きかかえるようにかばったのであった。
当たりに飛び散る大量の血飛沫。交差点にこだまする悲鳴。
梓を抱えたままトラックに跳ね飛ばされ地面に激突する男。
当たりにいた人々も、あまりの惨劇に身体が固まって動けないといった表情であった。
ぴくりとも動かなかった男だが、やがて意識を取り戻す。
「お、俺は、いったい……」
男は額に手を当ててみるが、その手にべったりと付着した血糊。
「血……」
男は自分が流血しているのを悟ったが、痛みを感じていないことに気づく。
ふと首を振ると、そばに先程の梓が倒れている。
「お、おい。だ、いじょう、ぶか……」
梓は答えない。じっと横たわったままだ。
……死んだのかな……。もっとも俺の方も……だめかな……
次第に薄れていく意識の中で、男は最後の音を聞いた、それは近づいてくるサイレンの音だった。男はゆっくりと目を閉じ、そして動かなくなった。
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2021.01.28 08:02
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