続 梓の非日常・第四章・峠バトルとセーターと

(七)そんでね……  真条寺邸に戻った梓を待っていたのは、書類の山だった。  真条寺グループの傘下企業から提出されたさまざまな書類の中で、麗華が決済でき る範囲のものは処理が済んでいたが、代表である梓にしか決済できない書類が残され ていたのである。 「明朝までに決済おねがいします」 「あーん。こんなに残っているの?」 「授業が終わった頃合をはかって、決済の事がありますから、お早めにご帰宅くださ いと申しあげたはずです。なぜご帰宅が遅れたかは、あえて問いませんが、お嬢さま は真条寺グループの代表としての仕事も多々あることを、お忘れにならないでくださ い」 「麗華さんがやってくれればいいのに……」 「これはお嬢さまのお仕事です」  うんざりといった表情の梓。  麗華も手伝いたい気持ちもあるのだが、あえて冷たく突き放すことで、お嬢さま気 分の抜けない梓を、社会人としての自覚を持たせようとしていたのである。 「それでは、明朝取りに参りますのでよろしくお願いいたします」  うやうやしく礼をして、静かに退室する麗華だった。  積まれた書類を前にしてため息をつく梓。 「明日にしようっと……今日はいろいろあって疲れてるし……」  大きな欠伸をもらし、パジャマを取り出して着替え、そのままベッドに入る。   すぐに軽い寝息を立てて眠りに入る。  が、しかし……。  突然、目をぱちりと見開いたかと思うと、ベッドを抜け出して書類の山に向かった。 「だめじゃない、梓。こういうことは、できる時にちゃんとやっておかないと。麗華 さんが明朝に取りにくるんだから……」  と呟くと、黙々と書類の山をかたずけていった。  翌朝。  目覚める梓。 「うーん。なんか……寝不足みたい。ちゃんと眠ったのに……」  パジャマのまま、昨夜の書類に取り掛かろうとするが、 「あれ? 書類がない!」  机の上に置いたままにしていたものが無くなっていた。 「ねえ、ここにあった書類、知らない?」  朝のルームメイク担当になっていた美智子に尋ねる。 「麗華さまが持っていかれましたよ」 「え? まだ決済してないのに」 「いいえ。ちゃんとお嬢さまのサインがなされていましたよ。わたしも見ましたから 間違いありません」 「ほんとう?」 「はい」 「おかしいなあ……」  首を捻って合点がいかない様子の梓だった。  いつの間にサインしたのかしら……。 「ま、いいか。手間がはぶけたというものよ」  あまり考え込んでも詮無いこと。  やがて麗華がやってくる。 「お嬢さま、おはようございます」 「うん。おはよう。ところで書類のことだけど……」 「はい。すべて滞りなく決済が済みました。記入ミスとかもありませんでした」 「あ、そう……」  毎朝の日課となっている、麗華の手による梓の髪梳きの時間である。  これだけは誰にも任せられない、梓と麗華の強い結びつきを確認する儀式みたいに なっていた。 「慎二さまとのことは、仲良くなされていますか?」  手際よく髪を梳きながら、やさしく語りかける麗華。 「な、何を急に?」 「ええ、渚さまがたいそう気になさっておられましたから」 「それって、お婿さんに迎える話?」  以前に誕生日にブロンクスに帰ったときに、俊介との間に起こった決闘で、慎二の 自動的婚約者となったことを思い出した。 「その通りです」 「何だかなあ……」  確かに命預けます! な、関係があるとはいえ、さすがに結婚までは考えにくい。 「でも、セーター編んであげてましたよね」 「それよ、それ。ほんとにあたしが編んだのかな……」 「お嬢さまが編んでらっしゃるところを見てますよ」 「そうか……」  そんな梓の表情を見るにつけて、麗華は絵利香の言葉を思い出した。  確かに、お嬢さまは変わられたようだ。  あの研究所火災事件を契機として。  そう、まるで二重人格だと。 第四章 了
     
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