続 梓の非日常/第三章・スパイ潜入

(八)これから  真条寺家のオフィス。  梓が、麗華から報告を受けていた。 「やはり、スパイが潜り込んでいたのね」  長年愛用のパンダのぬいぐるみを両腕で抱くようにしている梓。  情緒不安定な時に見せるいつもの癖だった。  自分の命を狙う組織が判明し、その首謀者が敵対する神条寺家の当主であり、それ を密告したのが同い年の葵だったということ。  十六歳の少女には耐えざる状況にあるということである。  重々承知の麗華は、慎重に言葉を選んで答える。 「はい。偽の情報を与えて誰がどう動くかを監視していたところ、上手く偽の情報に 釣られて正体を現しました」 「そのために自家用専用機をブロンクスから向かわせ、おまけに背格好の似ている美 鈴さんにまでファントムVIに乗ってもらって成田に行かせるとは。まかり間違えば ファントムVIが狙われていたら、美鈴さんに危害が加わっていたのですよ」 「いえ、美鈴さんは自ら志願してファントムVIに乗ったのです。人が乗ってる形跡 がなければ疑われる、フィルムシート越しなら他人でも気づかれないだろうからとい うことで」 「そうだったの……何にせよ。美鈴さんには危険任務従事手当てを差し上げないとい けないわね」 「かしこまりました。そのように致します」 「でも犯人も逃げ出す途中で、交通事故で亡くなるなんてついてないのね」  麗華は事実を伏せていた。  犯人を狙撃殺害したなどとは決して言えなかった。  真条寺財閥の若く美しいご令嬢にして、三百二十万人を擁する企業グループの総帥。  使用人に対してもその健康状態に常に気を配って、いたわりの心で接している。  そんなやさしい性格のお嬢さまには、血で血を洗う裏の世界を見せたくなかった。  嘘も方便という言葉もある。 「人を雇うには十分吟味しなければいけないようね。かつ買収されるような不満のお こる職場でもいけないし……。人の心は難しいわね」 「そのようでございます」  はあ……。  ため息をつく梓。 「今後の行動には十分気をつけてくださいませ」 「葵さんみたいに、四六時中ボディーガードを貼り付けますか?」 「いえ、そこまでは必要ないと思います」  神条寺葵のように黒服のボディーガードで身の回りを固めてしまえば、確かに鉄砲 玉のような特攻殺人はできないだろう。しかし沢渡敬のような狙撃犯に対してはまっ たくの無防備である。それに人並み以上の護身術は身に着けているので、わざわざそ こまでする必要はないだろう。  なによりもお嬢さまには、ボディーガードは似合わない。  そう思う麗華だった。 「ところでスペースコロニー建設のため、ラグランジュポイントL4及びL5へ、無 人宇宙実験室【スペースバード】の打ち上げに成功いたしました。今後一年に渡り重 力干渉計による重力の計測、及び太陽放射と宇宙線の測定を行います」 「まずは一安心ですね。ケープカナベラル宇宙港の着工状態は?」 「整地が終了し、ジェットコースターの建設に取り掛かりました」  地球重力を離脱するには、それを可能にするだけの加速力を得るために莫大な燃料 を消費する。それを宇宙船自体の推進力に頼っては、燃料だけで船体のその大半を奪 われ、肝心なペイロードが一割にも満たないことになる。これでは宇宙を頻繁に往復 するシャトル便には不向きだ。  そこで宇宙船そのものをカタパルトに乗せて、強力なカタパルトエンジンで上空へ 打ち上げるというものだった。その形状はまるで遊戯施設にあるジェットコースター を、天空に向かうコースの途中で切り取ったようにできていた。  ゆえに梓が名付けたその施設の名前が、「ジェットコースター」だ。  単純明快にして、誰にも理解できる名前だろう。  カタパルトエンジンは、米国のNASAが所有するスペースシャトルを、第二宇宙 速度の秒速11.2km(地球表面における脱出速度)までいっきに加速することが出来る 性能を持っていた。  施設の建設と保守点検は、篠崎重工が担当することになっており、後に発足する米 国現地法人の篠崎重工アメリカに引き継がれる。建設資金はAFCが全額出資してい た。  その運営には、AFCの新規事業体である「宇宙貨物輸送協会」が当面の間受け持 つこととなった。 「AFCの新規事業体のすべてが順調に進んでおります。お嬢さまには、ご安心なさ れてお勉強に勤しんでくださることをお願い致します。それが相談役として執権代行 なされている渚さまのご意思でもあります」 「そうね……。まだ高校生だものね」  確かにAFCの代表として最終決定権を持っている梓ではあったが、実際の運営は 執権代行している母親の渚である。軍事基地であるケープカナベラルに隣接する宇宙 港の建設許可を取り付けるには、大統領や統合軍などに意見具申できる渚の政治力あ ってのことである。  梓、十六歳。  まだまだほんの子供でしかない。 第三章 了
     
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