続 梓の非日常/第三章・スパイ潜入
(五)スパイ  その夜。  就寝前のひととき、ベッドの中で起きて本を読んでいるネグリジェ姿の梓。  ぱたりと本を膝のあたりに置いて、 「それにしても……」  神条寺葵との会話を思い起こしていた。 「ライバルか……。それにあたしの命を狙っているのが、その母親ということらしい し。これって密告……だよね」  母親が密かに命を狙っていることを知らせてくれたのだ。  どういう心境からかは計り知れないが、これまで何度となく命を狙われたその首謀 者が判ったとはいえ、それが葵の母親だったとは……。  確かに神条寺家の財力を持ってすれば、一国の軍隊を買収して海賊行為を行わせる ことは簡単であろう。  麗華を呼ぼうと、つと電話を取り上げるが、しばし考えて何もせずに元に戻した。 「いや、今夜はやめておきましょう。昼間の仕事で疲れて寝ている麗華さんを起こし てまですることじゃない」  明日にしよう。  少なくとも今夜は命を狙われることはない。  セキュリティーシステムにがっちり守られたこの屋敷内にいる限りは……。  数日後のことである。  若葉台衛星事業部の地下施設。  二十四時間体制で稼動している、衛星追跡コントロールセンターである。  正面スクリーンにはAFCが運営し、協力関係にある組織の衛星の軌道がトレース されていた。スクリーンが良く見えるように階段状になったフロアーには所狭しと操 作端末が並び、それぞれにオペレーターが張り付いて、衛星のコントロールにあたっ ていた。  その部屋の最上段後方に全オペレーターを統括する主任監視官がいた。 「突然な話であるが、梓お嬢さまが急用でブロンクスにお戻りになられることになっ た。成田に自家用専用機がまもなく到着し、それに乗って真条寺空港へ向かわれる。 各監視員は自家用機のコーストレース追跡準備にかかれ!」  かつて梓とその一行がハワイへ向かった時もそうであったように、今また万が一に 備えての自家用機の追跡が開始されるというわけである。  広大な面積を有するコントロールセンターの正面スクリーンに成田近隣の俯瞰図が 大写しにされた。また別のスクリーンには成田へ向かう自家用専用機をトレースして いる状況がリアルタイムで表示されている。さらには梓を乗せているであろうファン タムVIを捕らえた「AZUSA 6号F機」からの実写映像を投影したスクリーンもあっ た。 「出発予定時間は午後五時二十分である」 「お嬢さまの成田到着予定時間はおよそ十二分後です」  てきぱきと端末を操作するオペレーター達だった。  その時、一人のオペレーターが席を立った。 「主任、ちょっとトイレへいいですか?」 「いいだろう。十分以内に戻ってこいよ」 「判りました」  コントロールセンターを出て行くオペレーター。  その後ろ姿をちらと見て再び正面を向いて指令を出す主任であった。 「予備機の4号B機を稼動させる。準備にかかれ!」 「了解!」  4号B機担当のオペレーターが動き出した。  各衛星には一基ごとに三人のオペレーターが付いていた。姿勢制御などの衛星本体 の運用担当、搭載された各種機材を操作する担当、機材に電力を供給するシステムを 監視する担当の三人である。特に電力供給を監視する担当は責任が重かった。電圧電 流の異常をいちはやく察知して対処しなければ、高価な機材を破壊してしまう可能性 があるからである。 「4号B機に電力供給開始しました。電圧・電流すべて正常値です」 「よろしい!」  その頃、トイレに立ったオペレーター。  その女子トイレにて用を足した後で、挙動不審な態度を示していた。  手洗い場の下を探っていたかと思うと、その一部が開いて洗い場の下に設けられた 空間が現れ、そこから何かしらの端末を取り出した。そしてイヤホンを耳に、壁の電 灯線のコンセントに端末から延びるコードを差し込んだ。 「こちらK2。聞こえますか? こちらK2応答どうぞ」  端末に向かって喋るオペレーター。  どうやら電力線を利用した通信機のようだった。  HD-PLC(Power Line Communication)方式、電力線ネットワークアダプターと呼ばれ るものに端末を接続して通信ができる。例えば一階と二階のそれぞれの電気コンセン トにこれを差し込んでLANネットを形成できる。また電信柱にある変圧器を共有し ている家屋同士なら、燐家とも通信ができるものだ。  Wi-Fi無線LANが発達した現代では、HD-PLCの需要は減っている。  研究室の壁は、内外からの電磁波を遮蔽する素材で出来ていた。もちろん外部から は地磁気や雷放電などの電磁波から計器の狂いを生ずるのを防ぐのと、内部からは電 磁波に乗って機密が漏洩するのを防ぐためである。  しかし、いかに電磁波をシールドしていても、計器を動かすには電力が必要である。 その電力線に乗せて、その電力線が通じている別の部屋へ情報を伝達することが可能 というわけである。 「突然ですが、真条寺梓が成田からブロンクスへ自家用飛行機で飛び立つことが判明 しました。出発は午後五時二十分です」  外部との連絡を終えて、端末を元通りにしまって、トイレを出て持ち場に戻り、何 事もなかったように振舞うオペレーター。  だが席に着くと同時に周りを警備員に取り囲まれたのである。
     
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