梓の非日常/第五章・音楽教師走る
(四)音楽部員、梓  チャイムが鳴っている。  音楽室での音楽の授業中。 「真条寺さん」 「え? は、はい」 「授業のピアノ伴奏、お願いできるかしら」 「なぜ、あたしが伴奏しなければいけないのですか?」 「だって、あなたのほうがピアノを上手に弾けるし、私は生徒達の様子をじっくり見 ながら、授業の点数つけられるから。私って元々声楽科出身だから」 「他のクラスは先生が弾かれるんですよね。なのにこのクラスだけは、あたしが弾く。 それって不公平じゃないですか」 「あらあ、他のクラスにもピアノが弾ける子がいたら弾いてもらいますよ。でもいな いんだから仕方ないのよね。しかし、あなたは弾けるから」 「お断りします」 「そう……じゃあ、真条寺さんの授業の点数、マイナス十点ね」 「な、なんで? そうなるんですか」 「だってえ、先生の言うことを聞かないし、才能を出し惜しみするから。他の生徒達 は歌を歌ったり、笛を吹いたりして点数がもらえる。そして真条寺さんは、ピアノ伴 奏することで点数がもらえる。私は、そう決めたのよ」 「そんなあ。不条理な」 「ところで、聞くところによると、ピアノの腕前が上達していないと、道場への出入 り禁止になるんですってね」 「な、なんでそれを知っているのですか?」 「ふふふ。先日お宅にお邪魔して、竜崎さんから聞きましたよ」 「麗香さんから……」 「ということは、音楽の成績が下がったりしても、もしかしたら出入り禁止になるん じゃないかしらと思ってね」 「ひ、ひきょうです。先生」 「あーら。私はあなたのためを思っているのよ。少しでも長くピアノに接していれば、 それだけ上達も速くなるのじゃないかしらってね」 「わ、わかりました。伴奏を弾けばいいんですよね」 「うんうん。女の子は素直が一番よ」  席を立ちピアノのそばに歩み寄る梓。 「それじゃあ早速はじめましょうか。四十八ページの曲ね。あなたの腕前なら練習な しで弾けるでしょう」  梓は教本の譜面を見た。教師用の教本は、メロディーと歌詞が記された生徒達用の ものと違って、ピアノ伴奏用の譜面となっている。幸田が指定したページを開く。ご く簡単な楽曲だった。 「さあ、みなさんは歌いますよ」  幸田が合図を送り、梓が伴奏を弾きはじめる。前奏に引き続き生徒達が歌いだす。  音楽の授業が終わり、生徒達がホームルームに戻っていった後に残った梓と幸田教 諭。 「はい。これ渡しておくわ、音楽教室とピアノの予備鍵よ。昼休みと放課後の時間に 自由に使っていいから。それと、あなたが免除されている英語の授業中の自習時間に も、静かな曲なら弾いていいことになったから。校長と他の先生方の承認は得ている から心配しないで。コンクールの練習するからって特別に許可をもらったの」 「コンクールって、あたし音楽部に入った覚えはありません」 「毒を食らわば皿までもっていうじゃない。実は、もうとっくに入部手続きは済んで あるの。音楽部員でないとコンクールに出場できないし、出場締め切りが近かったか ら、それに教室使用の特別許可ももらえないでしょ」 「身勝手です。先生」 「そうね。あなたにとっては大きなお世話かもしれないけど。私は、あなたのそのピ アノの腕前を埋もらせたくなかったの。九歳でセント・ジョン教会の正式オルガニス トに承認されるくらいのあなたの音感性をもっと伸ばしてあげたい。真剣にそう思っ ているの。それだけは、信じて欲しい」 「せんせい……」 「音楽部員として勝手に手続きしちゃったけど、いいわよね。梓さん」 「わかりました」 「そう、良かったわ。ああ、そうそう。コンクールですけど、ピアノ部門の方に個人 としてエントリーしておきましたから」 「な、なんですって?」 「せっかくの機会ですからチャレンジしてみましょう」 「そんな……先生、困ります」 「大丈夫、あなたならきっと全国大会に出られますよ」 「そんなこと言っているのじゃなくて」 「さあ、忙しくなるわよ。らんらん」  幸田教諭は聞く耳持たないといった表情で、スキップするような軽やかな足取りで 職員室へ戻っていった。 「こういうことは、押しの一手に限るのよ。有無を言わさず積極的にね。ピアノの腕 前はピカイチでスタイルも抜群、しかもまだ一年生。うふふ、本当に素晴らしい子が 音楽部に入ってくれたわ。さてと、あと残る問題は……」  職員室を見渡して、 「下条先生、よろしいですか?」 「幸田先生……また、真条寺さんのことですか? 何度も言っていますように、これ は本人の問題ですから」 「空手部をやめさせることは、諦めましたわ。ですが、女の子が空手をやるにあたり、 顧問の下条せんせいに、そのあたりのことしっかり指導してもらいたいのです」 「指導ですか」 「あの子のしなやかな指先を壊させたくありませんからね。男子生徒相手の乱取り稽 古の禁止、ましてや瓦割りとか直接手先を傷つけるようなことは絶対反対ですから」 「瓦割りですか、あはは。真条寺君は腕力にまかせるような、そんな男的なことしま せんよ。男と女では骨格がまるで違いますからね、真条寺君のか細い手先で、瓦を割 ろうものなら瓦が割れずに手の骨が折れちゃいますよ。あの子の信条は技とスピード ですから」 「そういうことを言っているのではなくて、男子生徒に対して徹底した指導をして頂 きたいと申しておりますの。無理矢理やらせるということがあるかもしれないじゃな いですか。あの子、音楽部に入りましたの。指導教員としての責任があります」 「ほう……そうでしたか。それじゃあ、あなたが心配するのは当然ですね。わかりま した、男子生徒には重々言っておきます」 「絶対、お願いしますよ」 「わかりました」
     
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